30代教員が教育について考えてみました【教育の現状を知る】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕は9年間、教員をやってきましたので、今日は「教育」について語っていこうと思います。

教員になることを考えている方や、教育論好きな方はぜひ。

教育について考えていこう。そこにどんな意味があるのか、考えるのだ。

教育の意義

結論から言いますと、最近僕が疑問に思っていることは、

果たして高校や大学、あるいは義務教育が本当に必要なのか?

ということです。

生徒たちからよく、

これをやって何の意味があるんですか

という質問を受けます。

例えば「漢字」。

これは必要そうに見えます。

国語の読解力や論理的文章の読み方なども、日本で生きていく上ではとても大切です。

では、算数はどうでしょう。

四則計算・分数・小数がある程度できて、図形の面積が求められれば上々じゃないでしょうか。

理科・社会は物事の現象や歴史、世界を知る上では重要ですが、最悪知らなくても生きていく分には問題がありません。

英語は必要かという議論がありますが、

  • AIの発達
  • 翻訳の技術

などを借りられれば、要らなさそうでもあります。

このように数教科見て行くだけでも、簡単に疑問は沸いて出てきます。

この教科はすぐなくしたほうがよいのでは?
この教科は生きていく上で必要なのか?

と。

まずは、

日本がなぜこのような教育システムをとっているのか?

と考えるとよさそうです。

義務教育の意義は、

  • 社会の構成員として立派にする
  • 一国民として子どもたちを育て上げる

ということが挙げられています。

よくある他の意見は、

  • 周りと協調しながら出る杭とならせないため
  • 日本の年功序列の雇用システムに組み込める人間を作り上げるため

といった意見です。

うわ…まさに自分のことだ

と思った人もいるのではないでしょうか。

こう考えますと、学校がまるで同じ人間を生産しているみたいですよね。

日本の教育の目的はそうなんだろ?

と思っている人も少なからずいるわけです。

こうした様々な意見をもとに、自分なりに「教育の意味」を考えてみることですね。

日本は教育によってどのような人材を作ろうとしているのか。自分なりの考えを持ってみよう。

教育の有無

もしこの日本に義務教育や学校、入試などの概念がなかったらどうなるでしょうか。

海外でのホームスクーリングなど、家庭での教育は「学校のそれ」に準じていますので、家庭に学校の指示が降りてこない場合があります。

そうしますと、教育は先生たちではなく家族の仕事となります。

父母、兄姉から教わったり、場合によってはご近所さんから学んだりするような、昔の「寺子屋」のような、そんなスタイルになりますよね。

家族・近所の人みんなに専門性があるわけはないですから、面倒で手間がかかります。

仕事がある場合は、子どもたちに教育している暇がありません。

結局のところ、

外部(教育機関)委託したほうがいい

という結論に至るわけですね。

これはあくまで、「読み書きかそれ以上の学問」を修める必要がある場合です。

そもそも読み書きは不要だ

という立場の場合、それはかなり厳しい現実となります。

この世界では、最低でもその国の言語を運用できないと、生きていくのに苦労するからです。

だから、読み書きは必須でしょう。

では小学校で習う教科などは、果たして本当に必要でしょうか。

ここら辺から、意見が分かれ始めます。

人によっては、「やりたいことをやらせる学校」を目指しており、シラバスなどに縛られることを敬遠している人もいます。

こうした考えの家庭は、私立の小学校に入れる傾向があります。

  • 結局は受験のための勉強環境を整えるため?
  • あるいはエスカレーターで進学を狙っているのでは?

これらは公私が問題なのではなく、学習が「手段」となっていますよね。

小学校以上の勉強とは、果たして本当に意味があるのでしょうか。

読み書きは必須だが、小学校の必修科目は果たして必要かを考えてみる。

変わってゆく時代

今までは「5教科+実技科目」が普通でしたが、例えば、

  • 英語教育
  • プログラミング

などが入ってきたように、今後の日本の教育は変わらざるを得ないと思っています。

原点に立ち返り、各教科の「必要/不要」を問うこともそうですし、ペーパー試験での点数や成績の付け方にも、抜本的な改善が求められます。

まずペーパー試験ではない場合、生徒の評価はつけづらくなります。

すると定期試験や入試で、

一体どのようにして生徒を評価していくのか?

と混乱します。

ゆえに、結局は「ペーパー試験が楽(らく)」なのです。

公平性も担保されますので、賛成している方も多いです。

  1. 高校・大学入試や私立の入試が「知識の確認テスト」を必要としなくなった時
  2. あるいはペーパー試験を行なう機関への風当たりが強くなった時

そこまで来て初めて、教育そのものが変わると思います。

確かに現在でも、

学校で教えるべきことは、もっと他にあるんじゃないか?

という意見があります。

  • どのように試験対策をするのか
  • いかにして点数を獲るのか

ばかりに終始している人も大勢いますよね。

では逆に、

  • 税金や投資
  • 実践に役立つ稼ぎ方

だけを教える機関が学校だとしても、何かこうしっくりこないのもわかります。

  • 志望校合格の嬉しさ
  • 分からないことが分かった時の嬉しさ

もまた、教育においての醍醐味だからでしょうね。

ペーパー試験は、どれだけ生徒の能力を適切に測れているのかを考えてみよう。かといって、実践向けの授業ばかりでもいいのだろうか。

学校の意味

授業から一旦離れますと、学校のあり方について考えるようになります。

学校に行けば必ず「同世代」がいて、人間関係の構築を体験できます。

これは学校でしか経験することのできない、貴重な経験です。

さらに、

  • 部活
  • 行事
  • 先生と生徒の関係
  • 委員会組織

など学校を支える要素は、勉強以外にもたくさんあります。

僕は生徒一人一人と話しているときが、一番楽しいですね。

勉強だけではないからこそ、「学校という独特の空間」が必要。

教育現場にいますと、学校の良さも感じるのです。

もちろん、その環境を嫌う生徒もいます。

学校に行くべきだ

という強制が、果たしていいことなのかどうかなのかという議論も、いまだに続いています。

学校という場はあくまで授業がメインではありますが、それと同時に「学校という場」がもたらす様々なメリットもあるのだということも、把握しておかなければなりませんね。

学校は勉強だけでなく、多くの抽象的で複雑な要素で成り立っており、それらが人間性の育成に役立っていることもある。

おわりに

教員になる前もなってからも、この話題については何度も考えました。

教育について語り合うことは無意味ではありませんし、それぞれができることはまだまだ無限大です。

これからも語り合い、日本の教育について考え、よりよくしていきましょう。

それではまた!

タイトルとURLをコピーしました