こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕はその昔、いえ今でもそうですが「陰キャ」でした笑。
これはいわゆる「陰湿(陰鬱)なキャラクター」の略であり(?)、「陽気なキャラクター」の対義語とも取れます。
今では女の子たちともしゃべれるようになり、とても明るい性格(というより話し方)になりました。
とは思っていました。
ではどうやって自分は変わっていったのでしょうか。
今日はそんな「せいじの変遷」について書いていきます。
もとの性格はなかなか変えられない
幼少期から控えめだった僕は、あまり人前に出るのが好きではありませんでした。
それでも、
- 議論
- 正義感
- 話し合い
などのワードと親近感があって、小学生の時も幼いながら教室の前に立って議題について回していくことが好きでした。
よく勘違いされるのですが、
- 先生もやっていて
- ダンスで舞台に立っていたら
と思う人がいらっしゃいます。
先に言っておきますと、今でも目立ってチヤホヤされるのは「大の苦手」です。
みたく言われることもありますが、はっきりと「苦手意識」があり、できるのであればそっとしておいてほしいタイプです笑。
どんなに先生として認知されようとも、有名人になりたいわけではないのです。
僕の中で結論は出ていて、
と思っています。
無理に変えるものでもありませんしね。
人を変えることもできなければ、自分を変えることもできない。
と失望されそうですが笑、根本的な部分はなかなか変えられないということです。
例えば僕はダンスが好きですが、
- 目立ちたくないし
- 野球には興味がないし
- 泳ぐこともできないし
- 楽器なんてサラサラ弾けない
と来ています笑。
これを変えようと思ったって、苦手なものは苦手ですし、やりたくないものはやりたくありません笑。
みなさんの中にも、
という人はいくらでもいるでしょう。
性格もそんな具体的なものに似ていて、その根本を変えることは基本的に難しいのです。
となりますが、そこには多少なりとも「経験」がありました。
性格ではなく、考え方や行動を変えたのです。
要は練習と経験
先生になったということもあって、
- 教壇に立ち
- 生徒たちと会話し
- 保護者さんの悩みを聞いていたら
自然といろんな人と話すことが多くなって、いつの間にか「人と話すことが好き」になっていました。
別に、
といった「スポ根野郎」ではありませんでしたが笑、人と話しているうちに「自分の中にあった教育熱」を出せるようになってきたんですよね。
「自己表現の仕方」って、実はいまだに苦手な人が多いです。
僕もそのうちの一人でしたが、多くの人と話すことが「=リハーサル」となったおかげで、どんなに陰キャでも「人に自分の想いを伝えること」がうまくなってきました。
同時に「人の話を聞く」といったことにも長けてきて、苦手だった「聞き上手」にもなってきました。
なんでもかんでも強引に自分の意見を通すことも、しなくなったのです。
こうしてYouTubeやインスタライブまでやるようになった僕は、
とまで言われるようになり、「陰キャ」という称号を返上したのでした笑。
ただ、先述した通りいまだに目立つことは苦手でして、できることならばチヤホヤされたくないです笑。
それでもこうして発信をしていくのは、そもそも情熱的な性格があるのではなくて、
という気持ちが強いということと、本を読んだり人生について考えたりしたことで、考え方が変わったからなのだと思います。
周りには僕が「情熱的」に映っているのでしょうけれど、
- たくさん練習して
- たくさん経験を積んできた
おかげで、自然と「そういう風に見える人になってきた」と言うほうが正しいと思っています。
英語や勉強、ダンスやサウナ(?)にかけている情熱はありますが、他のことに関してはめっきり弱く笑、できないことにはハッキリと「できない」と言いますし、苦手な「目立つこと」は今でもしたくありません。
性格は変えられなくても、自分がしてきた行動とその経験によって、「そのような人」になることはできます。
誰しもが少なからず「熱い気持ち」を持っていますから、その絶対量が多いかどうかが問題なのではなくて、
- それをどう伝えているか
- 自分の中で何を変えたのか
のほうが大事なのではないでしょうかね。
性格は人それぞれでいい
「陰キャ」から「熱血先生」へと見事な変貌(したように見えているだけ)を遂げた僕ですが笑、今の自分が好きですし、
- 熱心に人にモノを教えたり
- 人と話していく中でボケてみたり
するのは相変わらず好きでして笑、本来の性格そのままに生きています。
情熱的になったわけではなくて、どちらかというと「ありのままの自分」でいられるようになったと思っています。
人の性格とはなかなか変えられないとお伝えしましたが、一方で、
「ありのままに生きられていない人」
が非常に多いという印象は持っています。
別に情熱的であろうが、控えめで目立ちたくない性格であろうが、結局はなんでもいいのです。
それでも、そんな生き方を否定されて生きてきますと、
と卑下し始める人がいます。
それは非常によろしくありません。
取り巻く環境の問題でもありますが、早急にその悪循環から抜け出しましょう。
と思えることが、その人を解放してくれます。
僕も「自分を出すこと」に抵抗がありましたが、
と考え、様々なインプットをし始めてから、
- 先生を辞め
- 世界を一周して
- 発信しながら事業をする
ようになっていました笑。
いろんな性格があっていいのですけれど、自分を出せていないのであればそれはもったいないです。
自分を出せるようになれば、自然と、
- 自信を持っている
- 情熱に溢れている
- 生き生きとしている
ように見えるのではないでしょうかね。
だからどんなに内向的な人でも、自分らしく生きていなければそれは正しい生き方とは言えません。
ネガティブになり、自分を出すことを恐れるだけになってしまいます。
今の僕にはもう、絶対にできませんね。
誰かに性格を指摘されたら、
と思ってしまいます笑。
性格や趣味趣向なんてその人その人で違いますから、あとはその「自分自身」を思う存分出せているかということ。
そうした環境にいたり、友達と話したりできているかということ。
あなたはあなたらしくいれば、それでいいのです。
おわりに
僕の中にそもそも多少の情熱はありますが、別に情熱的な人間だとは思っていません笑。
むしろ論理的にものごとを考えたいですし、
と言われることもあります笑。
「先生」という立場が情熱的に見せているだけですから、人の本心とはわからないものです。
一方で簡単に変わるものでもないですから、自分らしくありのままに生きていきましょう。
それではまた!
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