今生きているこの瞬間はフィクションなのか【現実世界をどう捉える?】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

最近の日本の現状に憂いつつある僕です笑。

もう何十年もしたら、自分もいなくなるんだよなぁ

と思い、

なぜ今を頑張っているのだろうか?

と思うこともあります。

この現実世界は、実は現実に見えてフィクションなんじゃないか?

と思うことすらあります。

戦国時代の人たちからすれば、完全に別の世界であって、この「令和」という時代を見ないまま亡くなっていった人たちがいると思うと、僕自身も「昔の人間」にいつかなってしまうわけです。

さて、この現実世界をどう受け止めるか。

今日は「現実世界はフィクションなのかどうか」について書いていきます。

この世界は一種のフィクションだ。その中で楽しめればいいのだと思う。

この世界をどう生きるかが鍵

僕は父の死を経験する前から、「死」についてはよく考えていました。

死について考えることをしていなければ、こんな「」は送っていなかったと思っています。

この世界をどう生きてゆくのか。

これが僕らの最大の課題であり、必死に生きてゆくと決めた僕は、

毎日を後悔のないように生きること

にしました。

先述した通り、僕らはもう数十年後にはほとんどの仲間たちが土に還っています。

ある意味「死」に向かっているだけの存在であり、

  • 育てられ
  • 飲み食いして
  • 大きくなって
  • パートナーを作って
  • 子ども(次の世代)を作って

ゆくのだと思っています。

ともすれば大したことのない存在かもしれませんが、これはもう人それぞれの捉え方次第です。

自分の人生に意味がある

と思うのならばそれでもいいですし、後述するように、

まぁあまり意味なんてないだろう

と、あえてポジティブに考えて生きるのもありです。

自分なんてダメだ

とネガティブになってもいいですが、別に何か生み出されるものはありませんので、オススメはしませんね。

いずれにせよ、この「今」という時間をみなさんがどう過ごしてゆくのかで、その人の人生も決まってくるのです。

今あるこの時間を、どう生きていきたいのか。それ次第で、人生はどうとでもなるのだ。

フィクションの世界だと思うのもあり

この世界は現実世界でもあり、ある一種の「フィクション」だとも思っています。

それはどういうことかといえば、自分が消え去った世界は、見ることができないからです。

僕は、もう一度生まれ変わる「輪廻転生」も若干信じていますが笑、それでも、

いつかこの世界は終わって、その未来を見られなくなる

という事実を悟り、

なるほど。この世界も捉え方によってはフィクション、ゲームの世界なのかもしれない

と思うようにもなりました。

僕が世界一周をしたのも、

この世界でできることはしておきたい

という気持ちがあったからでした。

今、SNSを見れば、

  • 世界を回ったり
  • どこかを歩いて横断したり
  • バカみたいなことをしてみたり

と、いろんなことにチャレンジしている人たちが増えてきました。

僕も、みなさんも、その内の「一人」なのであって、別に例外なんてありません。

この世界がフィクションなのだ。だから何かをしてこの世界を引退しよう

と思うのは、悪いことではありませんよね。

僕が今触れているもの、食べているものも、この世から消えてしまったら何も感じなくなります。

まるで「ゲームの世界」にいるように、

  • この国
  • この世界
  • この時代

に生まれたことが奇跡のようで、

この世界を精一杯生きなかったら、ちょっともったいないなぁ

と思って、幸せを求めるようになりました。

ただ、中には、

こんな世界はゲームの世界だ

と思って、命を絶ってしまう人もいます。

僕にはそんな勇気もないですし、せっかくだから何かしておきたいなと思うのです。

ある程度の不便さやガチャはあるとはいえ、日本に生まれた時点で、

かなりいいカードを引いた

と思っていてもいいでしょう。

「明日食べるものがあるかわからない」という人たちを見てきた僕からすれば、いろいろと不満や理不尽はあるとはいえ、日本は素晴らしい国だと思っています。

僕がいろいろなことに挑戦ができたのは、

この日本という国に生まれたからでもある

とすら思っています。

このフィクションの世界を、僕らはどう生きていくのか。

ゲームだと思って生きていくのも、実はそんなに悪くないことなのかもしれませんね。

この世界をフィクションと思うのもありだと思う。僕らの体がなくなれば、今感じているものは全てなくなるからだ。

だからやれることはやっておこう

「せいじ」というキャラクターで、この世界は一度きりしか生き抜くことができません。

地球から見て一瞬のこの僕の命も、「終わりがあるのだ」と悟ってからは、ムダに過ごさなくなりました。

僕が生きているこの1900年代〜2000年代は、僕が見られる最後の景色です。

どうやって最期を迎えるのかはわかりませんが、

それなら、最後までやり切りたい

そう思ったのでした。

僕にとっては、人生についてある一種の「悟り」を開けたことが、とにかく幸運なことでした。

いえ、それを「幸運」と定義してしまうのもよろしくありませんが、

人生をムダにせずに生きよう

早い段階で気づけて(むしろ遅い?笑)、よかったなとは思っています。

人生に何かモヤモヤを抱いていた僕は、ようやく「自分のやってきたこと」のムダさ加減を理解できたからです。

おいおい、もし明日事故にでもあって自分の人生が終わった時、死んでも死にきれないぞ?

と。

もちろん、遊びに遊んで後悔を残さない人生もあるでしょうから、その人その人によって「人生」の捉え方は様々でしょう。

ただ、

生まれたからには、この屈強な体を武器にして、やれることをやらせてみよう(せいじに)

と思ったのです笑。

人生100年時代とはいえ、後半戦ではなかなかできることが限られてきますからね。

若い時から「自分には何ができるか?」と挑戦する人生のほうが、よっぽどエキサイティングで楽しくなるはずです。

あくまで僕個人の意見ですけれどね。

でも、多くの方々が亡くなる直前に、

やりたいことをやろうとしなかったこと

後悔のベストワン(ワーストワン?)に選んでいるくらいですから、やはり「この世界がいつか見られなくなる」と思うのならば、それまでに精一杯生きてみることですね。

僕は、

  • いろんなことを辞めて
  • いろんなことを始めて

結果的に、幸せに近づいてきました。

それぞれの幸せを見つけに行ったらいいのでしょうけれど、そのためには動ける時に動き回ることが大事ですね。

何もすることなく「幸せ」になることは難しいです。

ここ日本でも、もちろん生まれただけでラッキーかもしれませんが、自分なりの「幸せ」を見つけるには、黙って突っ立っているだけでは見つけることができません。

  • フィクションだからこそ
  • 動けるゲームのキャラクターだからこそ

今を生きていきましょう。

人生、楽しんだもの勝ちですからね。

この世界がフィクションだとしても、楽しく生きてやろう。そのほうが、一度きりの人生で後悔なく生きられるからだ。

おわりに

僕という人間の、

  • 脳が動いて
  • 体が動いて

この世界を認知し、100年以内に朽ち果てる。

なんだかわからないのですが、そこに「浪漫(ロマン)」も感じてしまうのです。(変態笑)

この儚(はかな)い一生を、どうそれぞれが捉え、何をしてゆくのか人生なのか。

ぜひ今一度考えてみてくださいね。

それではまた!

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