こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
最近の日本の現状に憂いつつある僕です笑。

と思い、

と思うこともあります。

と思うことすらあります。
戦国時代の人たちからすれば、完全に別の世界であって、この「令和」という時代を見ないまま亡くなっていった人たちがいると思うと、僕自身も「昔の人間」にいつかなってしまうわけです。
さて、この現実世界をどう受け止めるか。
今日は「現実世界はフィクションなのかどうか」について書いていきます。
この世界をどう生きるかが鍵
僕は父の死を経験する前から、「死」についてはよく考えていました。
死について考えることをしていなければ、こんな「今」は送っていなかったと思っています。
この世界をどう生きてゆくのか。
これが僕らの最大の課題であり、必死に生きてゆくと決めた僕は、

にしました。
先述した通り、僕らはもう数十年後にはほとんどの仲間たちが土に還っています。
ある意味「死」に向かっているだけの存在であり、
- 育てられ
- 飲み食いして
- 大きくなって
- パートナーを作って
- 子ども(次の世代)を作って
ゆくのだと思っています。
ともすれば大したことのない存在かもしれませんが、これはもう人それぞれの捉え方次第です。
と思うのならばそれでもいいですし、後述するように、
と、あえてポジティブに考えて生きるのもありです。
とネガティブになってもいいですが、別に何か生み出されるものはありませんので、オススメはしませんね。
いずれにせよ、この「今」という時間をみなさんがどう過ごしてゆくのかで、その人の人生も決まってくるのです。
フィクションの世界だと思うのもあり
この世界は現実世界でもあり、ある一種の「フィクション」だとも思っています。
それはどういうことかといえば、自分が消え去った世界は、見ることができないからです。
僕は、もう一度生まれ変わる「輪廻転生」も若干信じていますが笑、それでも、

という事実を悟り、

と思うようにもなりました。
僕が世界一周をしたのも、

という気持ちがあったからでした。
今、SNSを見れば、
- 世界を回ったり
- どこかを歩いて横断したり
- バカみたいなことをしてみたり
と、いろんなことにチャレンジしている人たちが増えてきました。
僕も、みなさんも、その内の「一人」なのであって、別に例外なんてありません。

と思うのは、悪いことではありませんよね。
僕が今触れているもの、食べているものも、この世から消えてしまったら何も感じなくなります。
まるで「ゲームの世界」にいるように、
- この国
- この世界
- この時代
に生まれたことが奇跡のようで、

と思って、幸せを求めるようになりました。
ただ、中には、
と思って、命を絶ってしまう人もいます。
僕にはそんな勇気もないですし、せっかくだから何かしておきたいなと思うのです。
ある程度の不便さやガチャはあるとはいえ、日本に生まれた時点で、
と思っていてもいいでしょう。
「明日食べるものがあるかわからない」という人たちを見てきた僕からすれば、いろいろと不満や理不尽はあるとはいえ、日本は素晴らしい国だと思っています。
僕がいろいろなことに挑戦ができたのは、

とすら思っています。
このフィクションの世界を、僕らはどう生きていくのか。
ゲームだと思って生きていくのも、実はそんなに悪くないことなのかもしれませんね。
だからやれることはやっておこう
「せいじ」というキャラクターで、この世界は一度きりしか生き抜くことができません。
地球から見て一瞬のこの僕の命も、「終わりがあるのだ」と悟ってからは、ムダに過ごさなくなりました。
僕が生きているこの1900年代〜2000年代は、僕が見られる最後の景色です。
どうやって最期を迎えるのかはわかりませんが、

そう思ったのでした。
僕にとっては、人生についてある一種の「悟り」を開けたことが、とにかく幸運なことでした。
いえ、それを「幸運」と定義してしまうのもよろしくありませんが、

と早い段階で気づけて(むしろ遅い?笑)、よかったなとは思っています。
人生に何かモヤモヤを抱いていた僕は、ようやく「自分のやってきたこと」のムダさ加減を理解できたからです。

と。
もちろん、遊びに遊んで後悔を残さない人生もあるでしょうから、その人その人によって「人生」の捉え方は様々でしょう。
ただ、

と思ったのです笑。
人生100年時代とはいえ、後半戦ではなかなかできることが限られてきますからね。
リンク
若い時から「自分には何ができるか?」と挑戦する人生のほうが、よっぽどエキサイティングで楽しくなるはずです。
あくまで僕個人の意見ですけれどね。
でも、多くの方々が亡くなる直前に、
を後悔のベストワン(ワーストワン?)に選んでいるくらいですから、やはり「この世界がいつか見られなくなる」と思うのならば、それまでに精一杯生きてみることですね。
僕は、
- いろんなことを辞めて
- いろんなことを始めて
結果的に、幸せに近づいてきました。
それぞれの幸せを見つけに行ったらいいのでしょうけれど、そのためには動ける時に動き回ることが大事ですね。
何もすることなく「幸せ」になることは難しいです。
ここ日本でも、もちろん生まれただけでラッキーかもしれませんが、自分なりの「幸せ」を見つけるには、黙って突っ立っているだけでは見つけることができません。
- フィクションだからこそ
- 動けるゲームのキャラクターだからこそ
今を生きていきましょう。
人生、楽しんだもの勝ちですからね。
おわりに
僕という人間の、
- 脳が動いて
- 体が動いて
この世界を認知し、100年以内に朽ち果てる。
なんだかわからないのですが、そこに「浪漫(ロマン)」も感じてしまうのです。(変態笑)
この儚(はかな)い一生を、どうそれぞれが捉え、何をしてゆくのか人生なのか。
ぜひ今一度考えてみてくださいね。
それではまた!
コメント