30代が大自然に飛び込むきっかけとなった場所【人生の岐路】

幸せ

こんにちは。

緊急事態宣言の合間に、すずきは三渓園にいきました。

神奈川で大きな公園というか自然というか、「そんな場所はどこだろう?」と思って調べたところ、三渓園が出てきましたので行ってみることにしました。

当時は心もズタボロ、緊急事態宣言に伴う緊張感も漂う状況だったので、様々な気持ちの変化がありました。

三渓園に行ってみて、感じたことをお伝えします。

三渓園とは

実業家である原 三渓が公開した庭園です。

以前僕は根津美術館も行ったことがあるのですが、実業家による庭園や美術館は数多くありまして、その恩恵にあずかれるのであればあずかろうと思うこの姿勢は、男の鑑なんじゃないかなって思っています。

どうもミスターミラーと呼んでください。

山手駅という、ただでさえローカルな根岸線の駅から降りて歩くこと30分。遠いわ笑。

山手駅周辺は高級住宅街があるので、歩いて一軒家を見て回るだけでもとても楽しいです。

三渓園は庭園がものすごく広いので、カップルで来て半日くらい歩いて回るのもまたオススメです。

三渓記念館でお茶も振舞っていたはずだったのですが、コロナの関係で抹茶は飲めず…

少し高い丘を登ったりと、ちょっとしたエクササイズもできますし、広い池を眺めながらゆったり歩くのも悪くないです。

喫茶店もあるので、食べ歩いたりするのもまた乙なものです。

総じてVery good。

行く価値は大いにあります。

自然を感じる

以前、散歩に関する記事を書いた際に五感を使って空気を感じると書きました。

最近読み始めた草薙龍瞬さんの反応しない練習に、「五感で周りの環境を感じて散歩してみろ」という内容があったので驚愕しました。

コロナ禍で何か始めたいなと思った矢先に向かったのが三渓園でしたので、今思えばその時からどこか外へ飛び出したいという気持ちが強かったのかもしれません。

特に神奈川という準都会に住んでいますと、なかなか自然や緑に触れることは少なくなってきますからね。

小川や田んぼや畑など、意識して向かわないと出会えない風景もまだまだあります。

三渓園はいわゆる粗いような「ありのままの自然」ではありませんが、日本の庭園とはどれも美しく人為的な手が加えられていながらも、自然の美をそのまま残していると思っています。

歩いて回るのにもストレスはかからないですし、言い方は悪いですが汚くなったり疲れたりするのが嫌な人からすれば、気持ちよく自然を満喫できるというメリットがあります(広いので結構疲れます)。

三渓園を訪問したのは2020年11月あたりだったので、僕は新しい場所・新しい世界に何か惹きつけられていた時期でしたね。

その時の心境をお伝えします。

心境が反映される

コロナ禍でも特に最初の緊急事態宣言が出た時には、庭園など人が集まるところは閉められていたのですが、誰でも入り込める公園は開放されていました。

僕は当時自転車での移動なら迷惑もかけないだろうと、近くの公園や自然のある場所を余すところなくおとずれていました。

調べ方は様々ですがシンプルです。

近くの公園や自然のランキングを調べたり、Google Mapでいわゆる”緑色”のところをめがけて自転車をかっ飛ばすというものです。

宣言が解除されて以降、ある程度移動ができるようになったので「どこか広い、自然を存分に感じられるところに行ってみよう」と決断しました。

当時は離婚直前ということもあって、自分の人生について本当に悩んでいた時期でした。

コロナで人と会話することもなかったので、ただただ1人で何かを考えたり感じたりしたいと思っていたのです。

しかしそうした自然・緑のある場所に行けば行くほど少年時代を思い出してしまい、ふと1人泣いて自転車を漕いだこともありました。

それくらい緑や草木の匂い、土の匂い、照りつける日光、澄んだ空気、流れるせせらぎの音たちは、雑踏だったら消えてしまうであろう僕の思考を、しっかりと受け止めてもう一度僕に返しているようでした。

あの時の世界の緊張感はすさまじかったですよね。

世界の不安やストレスを可視化できたのなら、過去最高のレベルまで膨れ上がっていたのではないかと思います。

少しコロナの緊張感が落ちついてから三渓園に行ったおかげで、一人で自然に飛び込んで行くことを気持ちよく感じられるようになりました。

そこで僕は大切なことに気づきました。

結局は行く先々の影響を受けて心境に変化が起こるのではなく、自分の中にある気持ちによって行く先々での感じ方が変わるのだということです。

つまり自分の内側・心が安定した状態で出かけたほうがいいということです。

どんなにキレイな景色を見ても、自分の心がそれを許容できる状態じゃないとせっかくの自然の恩恵を100%受けることができません。

モヤモヤしたまま出かけても、一日中考えて終わってしまうからです。

自然の中でのストレス発散も良いですが、自然に全てをゆだねても解決しないこともあるということを感じたのでした。

「生」に囲まれる

都会に住んでいて触れられる自然や生き物といえば、そこらへんに生えてる木や雑草、鬱陶しい昆虫や散歩中の犬くらいなものでしょう。

庭園でも自然公園でも、行ってそこに入ってしまえば人工物よりも自然物のほうが多数派です。

そこに身を置いた時に感じることは、自分なんて小さい存在なのだということでした。

緑に囲まれた時、感じる無数の呼吸。見聞色の覇気ですね。

そうやって周りを見渡せば、いかに自分がちっぽけな存在であるかがわかり、自分が無の状態になることができます。

これを「自然と一体となる」というように感じる人は多いかと思います。

自然にはリラックス効果が期待できるという研究がたくさんありますけれど、僕はそれ以上に何も考えずに自然の一部になることには人間の原始的な部分を再起動させる力があるのではないかと思っています。

無機質なオフィスや都会だと”生”を感じることって少ないんですよ。

教員の場合だと、青春とか感動とかまた違った形の「生」を感じることはあるのですが、人間本位の環境から離れた「生」を感じるという意味では、自然を満喫するのが一番手っ取り早いです。

「自分は生きているんだな」と思うと同時に、自分はあまりにもちっぽけで地球から見れば存在さえ怪しいと思ってしまうという、壮大な矛盾を生み出すこの大自然。

こんな気持ちになれるのは、周りを別の無数の「生」に囲まれた時くらいなんじゃないかなって思います。

だから僕は、自分にまた別の視点を与えてくれるような「自然のある場所」に出向くことで、新しい気持ちで前に進める気がするのです。

おわりに

三渓園を大自然と呼ぶことはできませんが、タイミングもあってか当時の僕は結果的に様々なことを感じた一日となりました。

改めて「散歩」「五感」「自然」などのキーワードは僕にとってのマイブーム、幸福度をUPさせる極めて重要な要素となっております。

言葉で伝えることは非常に難しいのですが、自然に飛び込んでも写真を撮っていないにもかかわらず、三渓園の情景は脳裏にしっかりと焼き付いております。

他にも箱根や袋田の滝など、自分が一人で行った箇所はなぜか鮮明に覚えていて、いつでも情景を思い浮かべて語ることができます。

庭園には庭園の良さがありますが、日本でも地方に行けば簡単に田園風景を体験できますし、海外に行けばもっと息を呑むような、ワイルドな景色が広がっていることでしょう。

自分を忘れて無我の境地に達するべく、今日もまた美術館とサウナと大自然を求めて散歩します。

みなさんもともに幸福度をあげていきましょう。

それではまた!

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