こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、少し時間があったので「自己啓発系」の動画を見てみました。
彼らは多くの名言を残しています。
僕はこうしてブログやYouTubeの動画投稿を続けていますが、
と思うことがあります。
ブログに関しては、大きく収益化できていないのでただの趣味となっていますが笑、そこはもう割り切っています。
YouTubeに関しても、始めて70日以上が経過したのに、大した結果も出ていません。
今日は幾度となく書いてきた「続けていくこと」について書いていきます。
普通の人からの逸脱
僕は自分が凡人であることを理解しており、これからもずっとそのままだと思っています。
そんな自分がこれからやっていけることは、
- 何か好きなことに情熱を持ち
- それを一所懸命続けていくこと
だと考えています。
先日も、
なんて少し気弱になっていたものでしたが、一応こうして70日以上投稿してきたので、それもまたルーティン化しており、なんだかんだで続いています笑。
そんな時、偉人たちの言葉を見てみれば、大体言っていることは共通していました。
- 今やれ
- 諦めるな
- 一貫性を持たせろ
など、僕が今まで読んできた書籍に書いてあることばかりでした。
それはそうです笑。
今まで読んできた自己啓発本も、偉人たちの言葉そのものなのですから。
ある意味で言えば、
という言葉に置き換えられるのかもしれません。
いいえ違います。
「普通の人」とは違うこと、です。
普通の人、つまり大半の人であれば、
- 続けること
- 立ち向かうこと
- 一所懸命やり抜くこと
をやめてしまいます。
それと「同じこと」をしないこと。
そういった意味での「異次元」に、僕らは向かっていかなければなりません。
僕はテレビを見るような、いわゆる「ムダな時間」を避けるようになってから、自分の作業にフルコミットできるようになりました。
それからというもの、今までの「普通」だった生活は終わりました。
毎日を一所懸命に生きるようになりましたし、より幸せを感じながら生きていけるようになりました。
シンプルに、自堕落な生活を辞めていくこと。
偉人たちが偉人として歴史に名を刻んでいったのは、そうした行動があったからなのだと改めて思いました。
モチベーションに頼るな
以前から、「モチベーション」という言葉をあまり信用しなくなりました笑。
大切なことは、その波がある中でいかに続けていくか。
実はとてもシンプルな話なのです。
僕の大好きな漫画「ワンピース」でも群を抜いてカッコいいキャラクター、ゾロ。
彼は大剣豪を目指しており、深い傷を負った戦いの中でも、
たとえ死んじまうほどのキズでも
おれは死んじゃいけねェ
と言い放ちます。
「普通のこと」から逸脱していくためには、その「強い意志」が一つあれば、それで十分なのです。
夢でも構いませんし、挑戦でも構いません。
どんな言葉に置き換えてもいいので、自分の目指す「何か」があるのであれば、それに向かってひたむきに継続し、成長していくことなのです。
その中には失敗もあるでしょうし、何年もかけて実を結ぶものもあります。
僕はYouTubeを始めて70日が経過しましたが、
なんて、サラサラ思っていないのです。
2ヶ月で成功できるのであれば、みんな始めています笑。
もしかしたら、数年後に花開くかもしれませんし、そのまま潰れてしまうかもしれません。
そこに、
- 好き
- 情熱
- 想い
- 意志
そういった「強くて熱い何か」があることが、ただただ大切なことなのです。
僕がダンスを10年以上続けているのは、ダンスが好きだから意外に理由がありません。
自分が楽しめるだけでなく、人に楽しんでもらうこともできますし、教えることもできます。
英語もずっと続けていますが、何年も続けてきたからこそ、そこに「権威性」が出てきて、自分のビジネスに繋がっていきます。
そこにモチベーションだの何だのといった「細かいこと」はなくて、
「心の底から好きでいる」
という、ただその気持ちだけしかないのです。
偉人たちも、キライなことをずっと続けてきたわけではありません。
「普通の人」でもやりそうなことに、「好き」や「情熱」があるかどうか。
あとはモチベーションの問題ではなく、
- やるか
- やらないか
の、ただ一点のみ。
僕は毎日、「やる」の選択肢を取るようにした。
ただそれだけなのです。
ダラダラ過ごすな
先に言っておきますと、
- リラックスしたり
- 友人たちとお茶したり
する時間を否定しているわけではありません。
そこには「バランス」が必要であり、僕が思う「ダラダラ生きる」とは、もっと全体的に見た時に感じることです。
たとえば、
- 考え方だったり
- 生活習慣だったり
ですね。
以前の僕はそれができておらず、ただただ時間が流れていくことに身を任せていました。
と考え方を変えた時に、習慣も変わって人生が驚くほど好転していきました。
「ダラダラ過ごす」とは、もっと「人生に対する姿勢」を意味するのだと思っています。
偉人たちも、寝る間を惜しんで身を捧げた人が多いですし、時には厳しい名言金言もあります。
でも僕は、「僕なりの幸せ」を探していたこともあり、ある程度その「カタチ」については突き詰めることができるようになりました。
それを感じるようになったのは、教員時代の最後の一年に、本当に一所懸命生き抜くことができたからだと思っています。
そうなんです。
時に人と会って楽しくおしゃべりができるのは、一所懸命に生きている人の特権です。
自分の誇れるものがあり、情熱を持てるものがあるからなのです。
それがないのであれば、「ダラダラ過ごす人たち」としか群れることはないでしょう。
だってそれが一番「ラク」だからです。
そうしてお互いの傷を舐め合いながら、努力もせずに日々を過ごしていくこと。
僕は以前、そうでした。
いえ、今でもまだ、そうした「手を抜いてしまう部分」は多分にあります。
そんな時に、友人や家族、去年一緒に戦った仲間たちを思い浮かべれば、
と思えることができるようになりました。
毎日が刺激的ですし、この一年を一所懸命生きるからこそ、日本に帰ってきた時に熱い感情が込み上げてくるのだと思っています。
もう過去の自分はいません。
かといって、これから偉人になりたいわけでもありません。
そう思っているだけなのです。
おわりに
生きるということは本当に大変です笑。
みなさんが毎日を一所懸命生きているように、
と思っています。
そこに正解の道筋なんてないのだと思います。
だからこそ、「好き」や「情熱」を絶やさないことです。
それさえあれば、ずっと続けることができますからね。
それではまた!
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