こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
最近はほとんど時間がないのですが、本を読む時間もとっていまして、堀江貴文さんの「ゼロ」を読んでいます。
彼が刑務所にいた時の「働きたい」という想いが伝わってくると同時に、「働くとは何なのか」を考えさせられます。
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先日、埼玉で友人たちとお会いした時に、 読んだ内容を早速アウトプットしましたので、今一度文に起こそうと思いました。
今日は「働くこと」について書いていきます。
僕は時間しか売っていなかった
僕が教員をしていた頃は、結論、時間を売っているだけでした。
もちろん学校では、
- 英語を教えたり
- ダンスを教えたり
もしていましたが、「定時」という縛りがあったため、良くも悪くも「その時間内に収まるように」していました。
ある意味、その時間さえいればいいので、
- 効率さを求めたり
- 教育の熱心さを求めたり
する人は少なかったものでした。
堀江貴文さんは、
と語っています。
僕は僕なりに、教育現場でできることを模索してはいました。
言い訳にもなってしまいますが、やはりそこには「制限/限界」があって、自由度が大きく削られていたのは事実でした。
すると「意識」がどうしても低くなってしまいます。
と、他と比べるようにもなってしまいます。
幸い、僕も教員という仕事における楽しさややりがいを作っては、お給料をいただいていましたので、そこまで不満はありませんでしたが、
とは当時思っていましたので、今考えれば辞めたのは正解だったのかなとも思っています。
意識が下がりますと、
という悪いほうの意識が芽生えてきます。
と思うようになってしまうのです。
これではダメですね。
ただ時間を売っている意識になってしまうからです。
できることをやっていたという意味では、ベストは尽くしていたものの、総合的に見たら「その時間、とりあえずそこにいた」という意識があったことは、間違いのないことでしたね。
何を売れるのかを考えてみること
こう言われた時に、みなさんの中には、
と言い返したくなるかもしれません。
僕も英語を教えていたわけですから、
- 先生とは何か
- 現在の学校現場とはいかなるものか
を学べたことは間違いのないことでした。
ただし、
- どのようにお金をもらい
- どこにお金が使われているのか
は、一教員であるだけではわからなかったのです。
なんなら、
というレベルでして、自分の給料から税金が引き抜かれていたことにすら、当時は気づいていませんでした。
ここが「時間」を売っている意識になってしまう、大きなポイントです。
給料や会社といったことを悪く言うつもりはないのですが、辞めてみて初めてわかったことは、「大局的なお金の流れ」でした。
- どうやってお客さんを呼び
- どうやってお金をいただき
- どうやって税金を納付するのか
なんて、全く持ってわかっていなかったのです。(2024年現在は確定申告も未経験)
それがわかると、「いかに労働を売ることができるか」に意識が向かうようになります。
堀江貴文さんは、
- 稼ぎたくて
- 時間単価を上げたくて
働いていたわけではなく、
と、ダイレクトに感じることを大切にしていたのだと思っています。
時間を売っている感覚になりますと、全てがネガティブに捉えられてしまいます。
- 縛られている
- 一所懸命働きたくない
- 我慢の上に給料を「もらえる」
といった感覚だそうです。
特に「給料をもらっている」と感じている人は要注意です。
以前の僕ですね笑。
雇用されていますと、どうしても仕組み上「稼いでいる」という意識は薄れてきます。
それは仕方のないことだとしても、彼のように自分のスキルを売ってお金を稼いだり、会社を経営したりすることとは、やはり雲泥の差があります。
常にこの点を考えること。
これこそが「労働」なのでしょうね。
働くってどういうこと?
いろんな書籍でいろんな意見が述べられていますが、彼の書籍を読んで感じたことはやはり、
「誰かのための役に立つこと」
が労働を意味するのだということでした。
何度か記事で書いていますが、決して、
とは思っていません。
それでも、「労働を売っている」という感覚にはなりづらいのは確か。
直接的に、お金の流れを把握できないからでもありますね。
教員を辞め、世界一周の後半から自分の事業やオンラインで講師を始めたことで、
と思えました。
「その時間、その場にいるだけ」では、働いていると言うよりも確かに「働かされている」という思考に陥りやすいです。
そして毎月「給料」がもらえるため、
と妥協をしてしまいます。
とは、なるほど言い得て妙だなと思いましたね。
本来「働く」とは、時間を売ることではないということ。
「価値のあるサービス」を提供して、そこに対価としてお金を払ってもらうということ。
ここが大切な意識なのです。
だから現在の環境に対して「我慢」という意識があること自体、労働を売っている人からすれば変な話なのですね。
僕が公立高校の教員を辞めたのには、同じようにそこに「働いている実感」がなかったからなのかもしれません。
やりがいは確かにあったものの、自由度や制約などを加味した時に、どうしても納得ができなかったのですね。(我慢していたこともありましたしね)
そう思ったのです。
それこそが「働く」ということ。
堀江貴文さんはこう言います。
と。
起業家たちの言葉は、いつも日本人の眠っているマインドに語りかけて、目を覚まさせてくれます。
僕もこれから、ちゃんと「働いて」いこうと思っています。
「ただ時間を売る感覚」から抜け出し、価値を与えていく人になるのです。
おわりに
世界一周から帰ってきて、
- オンラインのバイトを始めたり
- 自分のサービスを買ってもらったり
して初めて、
と実感している毎日です。
そこには疲れよりも、
- 納得感
- 責任感
- やりがい
がありました。
今の僕は、時間を売っているという感覚よりも、労働を売っている感覚にシフトしつつあります。
これこそが働くということ。
時間を売っている感覚ではダメなのです。
- 価値を
- サービスを
売っていきましょう。
それではまた!
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