30代は常に幸せについて考えている【日頃から問い続ける】

幸せ

こんにちは。

最近読んでいますダニエル・カーネマンのファスト&スローですが、その中で幸せについての言及がちょこっとだけありました。

たぶん読み進めていけば、またきっと何か幸福度に関連する実験が出てくるのかもしれません。

すずきは普段から幸せについて考えるようにしています。

自分にとって一体何が大切なのか、一度しかない人生でどうやってフィニッシュを迎えるのか、などなど。

とっても哲学的な感じかもしれませんが、昔からこうした抽象的な思考には慣れております。

ただここ1年はそのスピートが凄まじく、自分でもびっくりするくらいに自分の身の周りのことが変化していっている、いや自分自身で変化を迎え入れていることに気づきました。

本書の例はちょこっとだけ使い、あとは持論を展開していこうと思います。

幸福度とデートの回数の相関性

数ページ分だけ、幸福度とデートの回数の関連性を調べる実験について書かれておりました。

実験の対象は学生たちであり、質問は以下の2つです。

  1. あなたは最近どのくらい幸せですか。
  2. あなたは先月何回デートしましたか。

という質問です。

結論から言いますと、ここに相関関係は全くと言っていいほどありませんでした。

そ、そりゃデートの回数だけで幸せは測れませんからね。(必死)

しかし今度は順序を入れ替えて質問したそうです。

  1. あなたは先月何回デートしましたか。
  2. あなたは最近どのくらい幸せですか。

すると打って変わってこの2つ回答の相関関係は有意なものとなったのです。

じょ、冗談だろ?!って思いますよね。

要は質問1によって今の自身の状態を考えた時に、自分の感情が前面に出てきてしまうということです。

すると「あれ、俺/私最近デートしてないよな…なんか寂しいなぁ」とその後の質問に大きく影響を与えてしまうのです。(デートをたくさんしていれば=幸せと思い込みます)

面白いものですよね。

特にこれは「ドイツの学生を対象とした実験」ということもあり、彼らの学生生活の中で大部分を占める「恋愛事情」は彼らの幸福度に大きく影響を与えていたのです。

これがたぶん、大人やちょっと悟りを開いたすずきくらいに質問するのであれば、順序は意味をなさないことでしょう。

ちょっと面白い実験でしたので、深掘りしていこうと思います。

感情に流されずに幸せを引き寄せる

質問によって答えが変わってしまうということは、「あー言われてみたら幸せじゃないかもな」とか「うーん特に不満はないし、現状まぁまぁ幸せかな」って感じていることなのかなと思います。

すずきはデ、デートなんかしてなくても今は最高に幸せです…

まぁちょっとした冗談ですが、本当に今は自分のやりたいような生活を送れていて、毎週「やらなければならないリスト」が途絶えることがなくて最高に幸せです。(少し前まではこんなこと言えなかった…)

だから順序がどうこうとか、質問の内容がいかに変わっても、たぶん僕は「最近とても幸せである」と回答すると思います。

この「質問によって幸せかどうかが関係してしまう」っていう状態って、僕はあるべき姿ではないんじゃないかなって思っています。

ちょっとストイックな考え方かもしれませんが笑、質問なんか聞かれなくても即答できるほどに幸せを感じていますし、幸せを感じようと努力しています

ごめんなさい調子に乗りました。

でも少なくとも1年前よりは多くのことを吸収しまして、なおかつまた新たなことに挑戦しつつある日々ですから、だいぶ成長したことは間違いありません。

いやぁ30代でもまだまだ伸びるんですね!いと面白きかな、我が人生。

僕はですね。とうとう気づいてしまったのですよ。

幸せになろうと思っていない人は、決して幸せにはなれない、と。

とても当たり前のことを言っていると思われますが、考えれば考えるほど、行動すれば行動するほどに、幸せはぼーっとしててもやってこないと思うようになったんです。

嫌なことや辛いことがあったら避けよう乗り越えよう、自分が楽しいと思えることに時間やお金を使おう、何をしたら自分は楽しいのか今度いろいろ試してみよう。

そうやって試行錯誤を繰り返していかないと、意外と自分の内にある「幸せ」は分からないものなのです。

30代を迎えるまでは、良くも悪くもガムシャラだったし感情的だったし、どこか我慢したり自分を押し殺していました。

そこで「人は自由だ」「もう自分を許してやってもいいんじゃないか」とワンピースで学び、かつ様々な書籍や人に触れたことで「自分が幸せになるためには今、何ができるだろう」と考え始め「そのために必要なことは今、何だろう」って思い始めました。

今までは考えることを怠っていた、ただの「怠け者」でした。

下手したらそれが利口だとすら思っていました。

でも今は違います。

幸せを求めて自ら考え、行動することで、幸せを引き寄せる

やってみて、結果的に「なんか違うな」と思うことがあってもいい。合わなければやめればいい。

ただ一度でも、少しでもそれを感じることができれば、また幸せについて考え、いろいろ試してみたくなる。

すると自分の感情とうまく付き合えるようになってくる。

だからデートの回数なんて関係ないって即答できるし、その場の感情と切り離して「自分の幸せを感じるポイント」がわかるようになってくる。

僕はこうして少しずつ、自分の内なる自分と対話し、内省・内観を繰り返しました。

結果、ここ最近で階段をのぼっているような感覚は確かにあります。

過去や現状の自分の把握は大切です。そこから何を学び、何を感じたのか。

そしてそれを今後どのように活かし、人生を幸せで満たすようにできるのか。

そう考えるだけでもワクワクしませんかね?

幸せメーターをあげる努力は必要

この質問がもし、

  1. あなたは先月何回サウナに行きましたか。
  2. あなたは最近どのくらい幸せですか。

となっていたらすずきはどう感じるのか、とふと思いました。

うーん確かにサウナに行けていない日々が続いていたのであれば、2つ目の質問で「幸せじゃない」と即答してしまうことでしょう笑。

しかしここで大切なのは、そんな自分になってしまっているという結果のほうです。

(この実験はあくまでこんな深掘りするようなものではないのですけれどね笑)

だから僕は「今、幸せである」と回答できるようにしておきたいという強い意志を持っています。

だって先月あまりにもサウナに行けなかったっていうことは、何か仕事やプライベートで多忙になってしまっていたり、他のイヤなことのほうが課題として生活の上位を占めてしまっていたっていうことじゃないですか。

そこから「仕事はこのままでいいのか」「あの人と関わり続けていいのか」「プライベートや家庭で負担がかかりすぎていないか」というように現状を見直すことが始まります。

(ただどうしてもできない時期や季節、年代や環境は付き物ですから、そこはどこかで妥協を考えるしかありません)

ちなみにすずきはここ最近サウナに行けていません

「おいおい!本当に大丈夫なのか?!爆発しやしないか?」とお思いでしょう。ご心配ありがとうございます。

一方でちゃーんとカフェでゆったり読書したり、美術館を巡ったり、渓谷に足を運んだりと、別のオプションでちゃっかり補填しております笑。

もはや「維持」ならぬ「意地」と言っても過言ではありませんね。(?)

でも大切なのは、その努力を怠ればすぐにつまらない生活になるだろうし、なーんもない1日、あるいは1週間だったなってなっちゃうってことです。

幸せメーターをぐっと高めるために、様々なオプションを試したことは僕にとって大きな糧(かて)となりました。

その努力はきっと嫌なことではないですし、そこまで力を要するものでもありません。

ただ真剣になる必要はあるかもしれませんね。時に積極性や勇敢さも求められるかもしれません。形はいろいろです。

僕は世間知らずだったし今でもそうなので、人生のいろんな楽しみ方を知っているみなさんを見ると、すごいなさすがだなって思います。

ちょっと出遅れましたが30代男性、幸せ探しの努力を始めたっていうことです。

おわりに

「君は今幸せかい?」と誰かに聞かれなくても、僕は常にその問いを自問自答しています。

人それぞれに幸せがあって、その感じ方も「楽しい」「ワクワクする」「まったりできてる」「たくさん寝たなー」「運動後のビールがたまらん」「お茶して愚痴るの最高」と多種多様でしょう。

それを否定したり、奪ったりする権利は誰にもありません。

ただし自分が「幸せだな」と思うことが一過性のものであるならば、それはちょっとしたストレス発散や息抜き程度のものなのかもしれません。

その場合は良かったらもっとよく掘ってみてください笑。

僕も僕なりに自分の「幸せ」がちょっとした質問によってブレてしまわないように、日頃から自分と対話を大事にしていきます。

またあちこち探し回って、自分なりの幸せ探しの努力も続けていきますね。

それではまた!

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