人生は苦しみが基本にあるから【何があっても意味がある?】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、ホステルで一瞬だけ会ったポーランドの友人から、

朝食でも一緒にどう?

と言われましたので、公園で一緒に話すことにしました。

2時間くらい話したと思うのですが、とても良い時間を過ごすことができました。

彼の人生もなかなか凄まじく、

大変な思いをしてここまで来た

と言っていました。

今日は少し広い範囲ですが、「人生」について書いていきます。

人生は生まれてきただけで苦しみに溢れている。だから何が起きても「それが人生だ」と笑い飛ばしていこう。

仏教からヒントを得る

彼と話していてすぐに出た言葉は、

仏教では、生まれてから死ぬまでは苦しみでしかない

という話でした。

彼は、

話しにくいんだけど…

と前置きをしてから、彼の「腕」を見せてくれました。

何針も縫われた腕…

実はその前に、僕がアキレス腱を断裂していたことを伝えていたために、

じゃあ僕も

と、見せてくれたのでした。

「交通事故で昏睡状態になった時」の写真も見せてくれました。

こうして僕らが話せているのは、彼が事故から生還したからこそでした。

人は生まれながらにして、苦しみの世を生きていく。

それなら、僕らの怪我や事故もまた、その範疇を越えることはありません。

死なない限りは笑。

そう考えられるからこそ、僕らはこうして笑い合いながら語り合えたのだと思います。

  • 僕は日本から
  • 彼はポーランドから

なんとも不思議な「縁」でスウェーデンで会うのですから、人生とは面白いものです。

でもそれは、苦しみの渦巻く世界でお互いにしんどい時期を乗り越え、その事実を飲み込み、今ここまで旅をしてきたからだと思っています。

元々しんどいのが人生。それなら、何が起こったってそれは仕方のないことだ

僕も彼も、その事実には激しく同意していました。

仏教の考え方は一見すると残酷なものですが、実際はとても普通のことを言っているのかもしれません。

その事実に反しようとするのではなく、受け入れていくからこそ、人生は生きているだけで幸せを感じられるようになるのだと思います。

仏教の考え方として、人生は苦しみに満ちているという考え方がある。それが本質だと思えば、人生は幸せに感じることのほうが多いのだ。

全てに意味があり全てに意味がない

矛盾しているようですが、人生で起こることには意味があり、一方で「意味がない」とも言えます。

何を言っているんだ?

と思われるかと思いますが笑、要は「捉え方」なのかなと思っています。

例えば僕の「アキレス腱断裂」の経験には、何か意味があったのかと思えば、

あの経験があったからこそ人に優しくなれた

と言うこともありますし、一方でアキレス腱を切ったことをすっかりれてしまっている時すらあります笑。

「大切なことだった」と思えばそうですし、「なくても何も変わらなかった」と言えばそうでもあります。

ただ、人間とは何事にも意味を付与したくなるものですから、僕としては「プラスに捉えること」が大切だと思っています。

あれさえなければ…

と思ったことはほとんどなく、確かに「後悔したようなこと」もありましたが、後悔ばかりし続けていたらキリがないですからね。

一旦、

全てに意味があったのだ

と解釈をしておくこと。

それでポジティブになれれば、それでいいのです。

一方で、人生を変えてくれたきっかけとは何かと言えば「すべてのこと」となります。

だからこそ「大きな転換点」はあっても、「それが人生」だと思えば全て大したことではないのです。

矛盾しているのですが、僕はそのように捉えています。

  1. 人生に大きな意味を与えてくれたものもあるけれども
  2. そもそもそれが人生だから、その積み重ねの上に今がある

というような、そんな絶妙な(微妙な)解釈の仕方です笑。(伝わるかなぁ汗)

僕らが公園で話していた光景は、奇跡でありながらも大したことではない。

大したことではない日常だけれども、かけがえのない一瞬でもある。

難しいようでシンプルなような、そんな感覚なのです。

人生をそのように捉えることができれば、「全てを好転させていくこと」ができるのではないかと思っています。

最初からハードモードなんだし、気楽にいこうよ!

と。

この旅の中でも大変なことや辛いことがありましたが、それが「旅」であり「人生」なのですから、受け入れればそれでいいのです。

そうやっていい意味で気楽に生きていくことが、僕らには必要なことなのです。

人生には意味があると言えばそうだし、意味がないといえばそれもまた正解だ。人生はそもそもハードモードなのだから、全てを楽しんでいこう。

だからと言って何も考えずにいるのはやめにしよう

僕は、

  1. 人生の事象に意味を与えながらも
  2. その上で今を気楽に生きようとする

ようにしています。

それが「」や「与えること」に繋がっていくのだと思います。

人生に意味なんてないんだ!

と割り切り、自分の好き勝手に生きていたり、悪いことをしてもそれが当たり前だと思っていては、その人が成長することはありません。

世の中に答えはない一方で、それは自分自身が追い続けた先にあるのだと思っています。

生き方やお金の使い方、人との付き合い方にもいろんな考え方があるからこそ、世界は色とりどりで美しいのです。

僕は僕なりに考え、僕なりの結論を出しながらここ数年を生きてきました。

  • どうしたら人間関係が良くなるか
  • どうしたら人生は豊かになってゆくのか

とたくさん考えるようになりました。

たくさん本も読むようになりました。

そのおかげで、今の人生をいい意味で「意味のないもの」として捉え、その上でポジティブに考えることができています。

この作業を怠ったり、

まぁなんとかなるっしょ

という考え方が強すぎたりしますと、それはそれでせっかくの一度きりの人生が、ただただ流れて行くだけとなってしまいます。

僕がしきりに「矛盾した考え」を提示しているのは、

実はどちらも大切な考え方だから

と思っているからです。

どちらも正しく、時にどちらかに寄る時もあります。

それは、自分の本能や感覚が指す方向であればよく、

どうでもいい

と思ってしまうことは、考えることをやめてしまっている証拠です。

人生について悩む時期は必要ですし、時に考えて方向性を決めていくことは大切なことです。

その前提に、

人生ってそもそも辛いものじゃない?

というラフな考え方があるだけで、それが時に「助け」となることがあります。

難しい按配なのですが、僕はそうやって生きるようになりました。

すると世界はより美しく見えてきますし、人生も楽しくなってきます。

彼と話した時間が良い時間となったのは、僕自身も自分の人生について深く考えていたからだと思います。

こうして旅を続けていけているのは、そうした深い意味楽観的な姿勢の両者があったからなのかなと。

思考停止になればいいわけではありません。

自分なりに考えた上で、人生を素晴らしいものにしていきましょう。

人生、どうなってもいいわけではない。考えることもまた大切なことだから、その上で人生を受け入れて進んでいこう。

おわりに

旅をしていますと、こうした人生論を語ることが多くなります。

僕は聖人君子ではありませんし、この世の中の成功者が全て正しいということもありません。

ただ、彼らは多くの経験をしてきたこともありますし、自分なりの思想や価値観を突き詰めています。

だから魅力的であり、人生が豊かなのだと思います。

僕もそうありたい

これからの旅も、そうやって一歩一歩を大切にしながら、一方で楽しくワイワイと進んでいこうとも思っています。

それではまた!

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