宇宙はバランスをとるために回ってる【お金のために働く?それとも…】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日から読んでいます、稲盛和夫さんの「心。」ですが、序盤からすでに格言がたくさんあって感銘を受けております。

今まで僕が何年かかけて、

  • 利他の精神
  • 足るを知ること

など、一見すると「キレイごと」に聞こえることも、彼の成功を目の前にしますと、

やっぱり間違っていなかったのだなぁ

と納得できます。

最近は日本の政治も不安定であり、分断も生まれているところから、

どうやって調和してゆくことが望ましいのだろうか?

と考えることもあります。

今日はそんなことを考えている僕が、「どうやって働くか」に焦点を絞って書いていきます。

誰かのために生きられないと失墜する。世界とはバランスをとるようにできている。

お金が欲しけりゃ死ぬほど働いている

僕は教員を辞めて個人事業主となりましたが、本気の本気で経済的な安定を欲するなら「教員を続ける選択肢」が圧倒的に一番でした。

それでも教員を辞めたのは、いろんな考えがあったとはいえ、少なくとも、

金じゃねぇ!

と思っていたのは事実です笑。

それに教育や学校現場も好きでしたから、後ろ髪を引かれる思いもありました。

いろいろ考えを巡らせてみますと、

やっぱり僕にとってお金は二の次、三の次くらいの目的であって、もっと幸せな生活を求めたいなぁ

と思うようになりました。

間違えて欲しくないのは、

  • だから稼がなくていい
  • じゃあ投資なんてやめろ

ということは「極端だ」ということです。

バランスを取ればいいですし、僕の現在はなんだか「持続可能な生活」をしている印象ですね笑。

午後の時間も働けばいいのですが、

  • ブログを書いたり
  • 言語学習をしたり
  • インスタをアップしたり

と、直接的にお金を稼いでいるわけではありません。

果たしてこれらを取っ払って働いていたら、それは幸せだろうか?

と思うわけです。

教員時代もそうですし、今も同じ。

「稼げばいい」ではないのだなぁと。

それはキレイごとだ

と言う人も、それはそれで結構なことです。

いろんな意見があっていいですからね。

自分なりにいろいろ考えればよくて、何億何千万とお金が必要だと言う人がいれば、頑張って稼いだらいい話です。

僕が死ぬほど働かないのは(直接的にお金を稼がないのは)、やはりそこに強い欲求がないからなのかなと。

十分に清貧な生活ができれば、それでいいのだと思っているのです。

僕はいろいろと考えた結果、お金を稼ぐことを第一の目標にしなくなっていた。どうやって幸せな生活をするかを、考えるようになったのだ。

世界はバランスをとるようになっている

「心。」によれば、

世界はバランスをとるようになっている

ということでした。

歴史上、大きく反映した列強各国も、いずれは衰退して小さくまとまっています。

この例に限らず、

“大きくなりすぎた” 場合、そのバランスを取る必要がある

ということでした。

なるほど。

僕は投資をしていますが、それは自分の経済的な安定のためでもありますが、

日本企業に微力ながらも貢献したい

という気持ちからでもあるんですよね。

人に配れるほどお金はなくても、

自分の力だけではない、様々な人たちのおかげでお金を稼いで生きているのだ

という発想になれば、

確かに「稼いで余っているお金」は、そもそも僕自身だけのお金ではないのだな

と気付かされます。

だから人にプレゼントを送ったり、お土産を買ったりして「自分の余力」を他に回してみたくなるんですよね。

確かに教員になりたての「がめつかった頃の自分(=誰にもお金を渡さない)」は、

  1. 全然お金も貯まらないし
  2. どこか幸せではなく、余裕がなかった

ことを覚えています。

「他人に対してお金を使おう」という発想がありませんでした。

一方で、

誰かのために使う。そのために稼ぐ!

と思えているほうが、どこか健全で「バランスをとっている」感があります。

僕が仮にガーっと稼いだとしても、それは投資に回すべきでしょうし、後進のために使ったほうがいいのだと思います。

どこか独善的であれば、天罰を受けるということですね。

またまた笑。そんなことあるわけないって!

と思う人もいるかもしれません。

でも僕にとっては、それが地球上の(あるいは宇宙の)真理なのかなとも思っています。

こういう姿勢でいますと、自然と幸せになりますし、確かに「めっちゃ稼いだ人!」であっても、どこか謙虚で利他の精神を持っている人のほうが、人も集まってきていわゆる「成功」をしているような印象がありますしね。

世界はバランスを取ろうとするもの。

こう考えておくことも、面白いのかもしれませんね。

成功することは悪いことではない。しかし私腹を肥やして独善的になってしまうと、痛いしっぺ返しを喰らうことになる。

利他の精神と足るを知ること

読み進めていますと、早速出てきました「足るを知る」精神。

おお!

と思うと同時に、ちょっとした例も紹介されていました。

ライオンは狩りをする肉食動物ですが、ある程度お腹がいっぱいになると、目の前の動物を襲わないそうです。

こんなの当然のことかと思いますし、

人間でもお腹がいっぱいになって満足したら、それ以上は食べないでしょ笑

と言う人もいるかもしれません。

でも僕ら人間の「」とは、良くも悪くも計り知れないものです。

食欲には多少なりとも限界があるとしても、

満腹になるべきかどうか

で考えれば、また話は違ってきます。

僕はここ最近ですと、満腹になる機会をなくすようにしました。

友人と飲みに行けば、そりゃあしこたま飲んで食べますが笑、大学時代のように、

  • 死ぬほど飲んで
  • 死ぬほど食いまくる

ということはしなくなりました。

別に罪悪感が生まれるわけでもないですが、何かこう、

やばい、食いすぎた…

と思ってしまうわけですね。

欲がなくなったと言いますか。

お金に関しても一緒です。

教員時代に、ある程度まとまったお金ができますと、

じゃあ他のことに使ってみたらどうだろう?

と思うようになりました。

自分の分は、最低限でいいのかなと。

そう、自ら「世界のバランス」を意識するようになっていたんですよね。

バチが当たるとかそういうことではないと思うのですが、稲盛和夫さんがおっしゃることは真理だと思っています。

だからこそ、

  1. 他人のために生きて
  2. ある程度のお金を稼ぎ
  3. 足るを知ることができたら
  4. 余剰資金を他人のために使ってみる

こんな姿勢を持っておくことが、大事なことなのではないかなと。

世間一般で言うところの「キレイごと」は、真髄まで考えてみますと一つの「真理」のようにも感じます。

みなさんは、この世界のバランス感覚は正しいと思いますかね。

世界のバランスのためにも、自ら足るを知り利他の精神を持って生きてみよう。これが一つの真理だと言えなくもないと感じるはずだ。

おわりに

序盤から共感の嵐(せいじ内)が吹き荒れていますが笑、やはり本当の意味で成功している人とは、考え方の根本に「表面上のキレイごと」を超えた、何か真理のようなものを体得しているような気がするのです。

もう少し読み進めて、自分の精神のあり方の糧にしていこうと思っています。

それではまた!

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