英語だけ特別視しなくたっていい【英語はもはや趣味程度のもの】

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こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、英語学習(教育者)界隈の友人たちと話をしました。

僕らのように、

  1. 英語をある程度勉強していて
  2. 英語をしゃべることに抵抗のない人

たちとは、どうも「シャイになるな」とか「もっと英語を頑張ってほしい」と言いがちです。

しかし実のところは、日本とは「英語が不要な国」であり、大体が日本語で情報を取得できる現状です。

最近はAIのおかげで、より素人でも英語の情報にリーチすることができるようになりました。

では英語とは一体なぜ、日本に根付いているのか。

今日は英語教育の現状について、書いていきます。

英語は習い事としてやる程度のものだ。学校の教育現場に入ってきてはいるものの、マストだとは思えない。

日本で英語は不要

この点については、以前にもいくつか記事で書いたことがあります。

おい!せいじ、お前は英語教師なのにそんなことを言っていいのか!

いや、いいでしょう笑。

スポーツや水泳、ピアノやダンスなどの習い事も、突き詰めて言えば「不要」の部類に入ります。

ぶっちゃけて言えば、英語なんかなくても日本では生きてゆくことができます。

僕は英語教師だから…

といって、ウソはつきたくないのです。

日本では英語を習得しなくたって生きていけますし、危機感を持っている人なんてほとんどいません。

「入試に/就活に」有利だからという人が、ほとんどじゃないですかね。

だから英語を話せないわけでして、だからこそ僕は「それでもいいんじゃないか」と思うのです。

英語をしゃべってみたい!コミュニケーションを取れるようになりたい!

という目標がある人は、勉強したらいいじゃないんですかね。

それに尽きます。

だから基本的には、日本では「不要」なのです。

なくたって生きていける。

それが「日本」なのです。

そこに教育として、英語が必修化されてしまったものですから、

何か、学ばなければならないもの

という先入観があるんですよね。

だって数学や物理、歴史や国語だって、別に大人になったらもう学ばない人は多いじゃないですか。

だから「教養として学ぶこと」は学校の義務であっても、「コミュニケーションを完成させること」は(いくら文言に書いてあっても)実はそこまで大きな目的ではありません。

僕は「英語なんて学ぶな/学ぶ必要なんて全くない」と言っているのではなくて、ただ単に、

まぁ、興味がなければやらなくていいんじゃない?

という程度なのです。

日本において英語は不要だ。興味のある人は一所懸命勉強したらいい。

英語は趣味程度のもの

僕も多言語を勉強していますが、はっきり言って「趣味」です。

なんで5か国語も勉強してるの?

と聞かれましたら、単純に、

興味があるから。しゃべれたら面白そうだから

くらいです笑。

それ以外の理由で言語を勉強している人とは、果たしてどれだけいるのでしょうか。

いるとしても、

  • 現地にいるか
  • 仕事でちょっと必要か

くらいでしょうし、いずれにせよそれは特殊な事情です。

僕が思うに、英語学習とは所詮「趣味程度」なのです。

だから教育現場においても、「なぜ英語を学ぶの?」という疑問を持つ生徒も一定数います。

もちろん、他国の文化を知るという意味では、僕も学生時代に英語に興味はありましたし、それを知るだけでも視野は広がったものです。

しかし、

しゃべれなくても日本で生きていける

という事実は、どんなに頑張ったところで変えることはできません。

そうした思いから、

あれ?英語ってわざわざ学ばなくてもいいんじゃ…

と思うようになりました。

英語をもっとしゃべれるように!
シャイにならずに積極的に話しかけるように!

と指摘するのは、“頑張りたい人” に向けてだけでいいのです。

まるで、

日本では英語を勉強しなければいけない

という発言をするのは、ちょっとしたポジショントークなのではないかなぁと。

  • 学んでいる側
  • 教えている側

からすれば「やるべきだ!」と言いたくなりますが、興味のない人には言わなくていいのです。

趣味として勉強したい人には、

もっと積極的にしゃべろう
文法もやらないと伸びないよ

と、僕も言いますからね。

小・中学校で必修にはなっていますが、だからと言って話せることは正直、マストではない。

英語に限らず、大人になってから深めてゆくものとは、基本的に趣味の域を越えることはありません。

仕事や現地で必要な人は、話が別ですけどね。

言語学習とは基本的に趣味の活動だ。日本では英語をしゃべれなくてもいいし、趣味として楽しむものだということを理解しておこう。

英語教育者としての今後

僕が教育者としてあえてこう言うのは、「学校教育に戻るべきか」をよく考えるからです。

多くの “英語に興味のない” 生徒たちに英語を教えることは、僕にとっては本意ではないのです。

学校現場はとても好きですし、

  • 部活
  • 学校行事
  • 人とのしてのあり方を話し合う

など、高校生たちとの関わりはかけがえのない時間でした。

ただ、僕が個人事業を始めて思ったことは、

1対1は最強だ

ということ。(記事の通りです)

特に英語においては、ですね。

だから「学校の教育がダメなのだ」とかそういうことを言っているのではなくて、

  • 英語は趣味としてやる
  • 伸ばしたい人が勉強すべき
  • 実際頑張れる人は目標のある人

という事実が、自ずと見えてくるということ。

そうなってしまいますと、学校での英語教育には妥協が生まれてしまったり、本来リーチしたい人に英語教育を届けられないことにもなりかねません。

もちろん、公教育は大事ですから、

金のため、お客さんのためだから、公教育現場に戻りたくない

という気持ちが強いわけでもありません笑。(実際学校の先生は給料も悪くないですし)

公教育にも9年従事しましたし、ここは僕の決断も尊重してほしいなと。

だから教育者の方々に言いたいのは、

なんでもかんでも「英語は必要だ」という前提から入らないこと

です。

自分は英語ができるから何かと言いたいこともあるでしょうが、逆にその方は数学や理科はできるのでしょうか。

英語だけ「最善の必須科目」と言い切るのはおかしなことです。

だから僕も、教育者としてできる限り「必要な人」に英語を届けることを目標にしています。

世間では、

  • 習いごと
  • スポーツのスクール
  • パーソナルトレーナー

などと、なんら変わりません。

できなくたっていいですし、伸ばしたければ勉強したらいい。

僕は泳げませんし、歴史や政治経済、そして他言語について学び始めたのは30代半ばからです笑。

必要な人にリーチをしてゆくこと。

教育者たちが陥りがちな、「傲慢」に染まってしまうことはよろしくない。

無理やり英語を押し売りするのも違う。

純粋に学びたい人たちと一緒に、学んでゆく姿勢を大事にしていきたいですね。

教育者として、僕は英語を本当に必要としている人にリーチしていきたいと思う。公教育とはまた勝手が違うものの、それがある意味で教育の本質でもあると思う。

おわりに

僕は別に英語教育を否定したいわけでもありませんし笑、教えている身としては、

英語は必要なんだ!俺のところへカモン!

と言うほうがいいに決まっています。

ただ現状そうなっていないのは、それだけ「英語は必要に迫られていない」という事実があるからなのです。

その事実を認めた上で、僕はどう教育を進めていきたいのか。

それを考えていくべきだと思っているのです。

それではまた!

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