30代が他人の目を気にしない理由【自分を中心に据えてみる】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕は「良く見られたい」というような欲がなくて、びっくりするくらい人の目を気にしなくなりました

「自分がやっていること」と「人がやっていること」の境界線がものすごくはっきりしており、「誰かのためにやっている」という感覚がないということです。

  • ブログ
  • インスタ
  • ランニング

も生活習慣の改善も、当たり前ですけど自分のためにやっているんですよね。

僕はどうしてこうも自己中心的なのか笑。

早速探ってみましょう。

とりあえず発信をしてみる

その昔僕はかなり「他人の目」を気にしていました。

それこそ、

  • テストの点数や大学名
  • 人からよく見えているか
  • どのように評価されているのか

などなど。

それらが違うなと思ったのは、教員になって数年経った頃でしょうか。

あまりこれといった記憶に残る鮮明な経験談はありません。

ただここ最近では本をたくさん読んだことも影響して、自分は自分、他人は他人と思うようになりました。

強いて言うなら「疲れる」という気持ちが出てきたのが、ことの発端ではないかと思います。

その昔、mixiで日記を書いていた時はまだSNSが発展途上だったこともあり、いかに「いいね!」をもらえるかという気持ちだったことは否めません。

僕もまだ若かったですし「承認欲求」なんて言葉もまだない時代でした。

そんな承認欲求全盛期の大学生頃にmixiが始まり、最初のほうこそ「いいね!の数」も気にしていたものですが、次から次へと新たなSNSがスマホに参入してきますと、シンプルに疲れ始めました

この「いいね!の数」が何を生み出すのだろうかと考えてみたところ、いとも簡単に結論に至ることができました。

そう、意味はないのだということです。

それからというもの、mixiは区切りよく大学4年生でやめたのち、そのような「承認」は気にせずにフェイスブックやTwitter、インスタ、そしてこのブログをやらせていただいております。

かっこよく言えば発信は自分自身のためですが、見てもらえる人が「ゼロ」だとそれはそれで意味もなくなってしまいますし、普通に悲しいものです。

難しい按配ではありますが、割り切って「発信することに集中しよう」ということになりました。

好きな人が、好きなように見られるような発信をこころがけようと思ったわけです。

結局は自己満じゃねぇか!

と言われそうです笑。

でもこの「とりあえず発信してみる」という行動は、今でも僕の中で大きな支柱になっていると思っています。

他人からの目を気にしなくなる

発信をしていますと、最初は、

自分はどう見られているのだろうか

と知りたくなるものです。

mixiも始めたては恥ずかしかったものですし、このブログも細々と始めました。

しかし意外にもそう言う時ほど、”悪い意味で”過剰に他人の目を意識してしまいがちだったなと思っています。

まずは「いろんな、多くの人に見てもらうこと」のほうが、実はとても大きな効果があるのだということがわかりました。

“いい意味で”相手を意識して書くようになりますし、

できる限り良いものを届けよう

と考えるようになるからです。

他人からの批判や、どう映っているのかを感じるというよりは、むしろ自分が相手にどう届けようかと考えるほうに重点が置かれるようになりました。

こちら側の「発信の仕方」も問題になってきますので、あまり他人からどう思われているのかが気にならなくなってきます。

「いいものを発信し続ける」というシンプルな自分主体のルール。

これに従って発信を続けていこうと思いますと、

  • 「他人から高評価をもらえるものを書こう」
  • 「炎上やネガティブなタイトルを使って人を集めよう」

という発想がなくなってきます。

そうした「他人中心の立場」に立たずに発信をしていますと、特に他人は気にならないですし気にする必要もなくなってきます。

もともと数や評価を問題にしていないからです。

もちろん他人からの「評価」を気にする必要はないと言っても、純粋に「いいものを届けたい」という気持ちを忘れてはいけません。

読者さんたちの”目線”に立つことはとても大事ですからね。

そうした感性が養われてきますと、実生活でも他人の目を気にしなくなります

例えばランニングや筋トレ、ダンスや読書なども「やっているオレ、かっこいい」っていう発想は僕にはないんですよね。

たぶんそれじゃ続かないだろうなと自分でも思います。

「窮屈」な考え方だからです。

他人からの評価を気にしながら続けているものは、僕にはほとんどありません。

じゃあなんのためにやってるの?

って、時々自分でも問うくらいですけど笑。

毎日、毎週、毎月更新して「続けているのが楽しい」っていう感覚があるからでしょうかね。

よくわかっていませんが、とにかく楽しいです笑。

いずれにせよ、ブログの更新もダンスやランニングなどの運動も、

  • 「みんなにこう見られたいから更新しなきゃ」
  • 「すごい人だと思われるようにアップしなきゃ」

という考えではなくて、常に自分が発信の主導権を握ってアウトプットすることに努めています。

自分がやりたいから、やる。

他人主導ではありませんので、自分がどういう人間でありたいか」という考え方に意識が集中するようになります。

すると本能に従ってやりたいことができるようになって、ストレスのない発信ができるようになりました。

あくまで強制されてやるのではなく、自分から「やりたい!」という欲求を持って続けていく。

これは他人の目や要求を気にしていてはできません。

また「自分から」発信をしているからこそ、他人の目が気にならなくなるという相乗効果も生まれると思っています。

人の動き<自分の行動や考え方

反応しない練習」の記事で書きましたが、僕はいい意味で人の動きもまた気にならなくなってきています。

例えば、

  • SNSの投稿だったり
  • 悪いニュースだったり
  • 芸能人のすったもんだだったり

一応SNSは何かのついでにサラッと見ています。

しかし「今みんな何しているのかな?」という気持ちで見ることは、極端に減ってしまいました。

一方で頑張っている人の更新や、興味のある分野の人たちは積極的に注意して見るようになりました。

これにおいては僕としても正解不正解はわかりませんし、

「それぞれが好きに、自由に取捨選択していいもの」

だと思っています。

本を読んだりニュースを閲覧することも、それぞれの取捨選択の上に成り立っているものですからね。

ただ、あまりにも他人を気にしすぎていますと自分の発信の時間や意欲が奪われてしまうだけでなく、他人の人生を生きることになってしまいますので、僕はできる限り気にしないように努めています。

それが、

  • 「テレビ売却」
  • 「SNSの通知OFF」

といった行動につながっていったのかもしれません。

他人や外部の情報との適度な距離感を保つことは良い効果をもたらすようでして、だんだんと思考のベクトルが自分に向くようになってきます

自分の人生は一度きりで、その自分という存在に対してきちんと向き合う時間のほうがよっぽど大切です。

「他人の動きに全く興味を持つ必要はない」など極端すぎるのもまた社会性を疑われますので笑、あくまで「適度な距離感を保つこと」がよいことなのでしょう。

そこを突き詰めていくことも、よりよい人生の第一歩ですね。

おわりに

「他人の目を気にしない」あるいは「他人の動きを気にしない」という行為は、100%そうすべきだという考えのもとにあるわけではありません。

大切なのは、自分が周りの世界に対してどのようにアプローチしているのかという点だと思います。

僕の中では「この投稿でいくらくらいのイイ評価がもらえるかな」と思って緊張して何かアップするのも違うと思っていますし、「映え」や「ウケ」を狙いにいって写真や動画を撮りにいくのもまた違うと思っています。

何も考えずにSNSをスワイプしていく時間はどうしても無駄に感じるようになりましたし、ニュースを垂れ流して聞いているのも何か生産的ではないよなと感じるようにもなりました。

要は「自分は何をしたくて、どう感じているのか」と自分を中心に据えて考えてみて、自分が必要だと思うものには注意を払って選んでいく。

そうやって自分にとって大切な情報を選ぶようになれば、必要な情報も自然と集まってくるようになってきます

すると自分の生活がより洗練された、豊かな情報で固められてゆくことでしょう。

僕も以前は必要以上に他人に意識を払いすぎていましたが、だんだん自分に意識が向いてきますと、そっちのほうが面白いですし楽しくなってきます笑。

こうして「変態」が完成するのです。「アウトプッターすずき」と呼んでください。

ぜひみなさんもこちらの世界へ。お待ちしております。

それではまた!

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