こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
生徒さんたちと話していますと、またも、
なんて泣きついてきた人がいました。
この前の記事でも書きましたが、それをあえて相手に伝える必要なんてないと思っています。
だって、
- 伝えられた側もイヤな気持ちがするし
- ただのリベンジ(やり返し)でしかない
からですね。
と考えますと、本人がどこかに、
- 人から好かれたい
- 相手に変わってほしい
- 何とか思いを伝えてやりたい
といったようなマインドがあるからだと思いました。
今日は「人間関係で悩むことの原因」について書いていきます。
気にしなくなるのが人間
朝活で友人たちと話していたところ、
という話になりました。
もっと厳密に言いますと、
- 小学生の頃は気にしていなかったが
- 思春期で人の目を気にするようになり
- 大人になってくるとどうでも良くなってくる
という感じの流れがあるかもしれない…ということです。(知らんけど)
もちろん、大人になっても人の目を気にする人なんていくらでもいますし、決して「上の流れが普通なんだよ」と言っているわけではありません。
ただ「気にする性格」とは、”不可逆的なものではある” とは思っています。
どういうことかと言いますと、大人になって一度でも気にしなくなり始めてしまえば、
なんてこと(つまり戻ること)はないだろう、ということですね。
だから思春期を越えたら、徐々に気にしなくなることを心がけてゆくだけで、性格も図太くなっていくのだと思っています笑。
これは性格の問題ですから、
ということではありません。
ただ、
- 気にしなくなってくれば
- 生きやすくなるのは間違いない
ということ。
年を重ねていくごとに人の目なんて気にしなくなってゆくものですが、今でも気になるという方は、そうした経験がちょっと少ないのかなと。
人との交流をたくさんしていますと、確かに傷つくこともありますが、だんだんとどうでも良くなってきます笑。(そう思いません?)
いちいち「自分がこう感じたんだ!わかってほしい!」と、相手に伝える時間をかけるのもムダですし、
と思えば、それでいいからです。
それでも気にしてしまう人。
そんな人たちには、共通点があると思っています。
人に好かれようとしている時点でアウト
特に僕が生徒さんたちから話を聞いていて不思議に思ったことは、
ということでした。
わざわざキライな人(?)に対して、傷ついたアピールなんてしなくていいからです。
そういうことをする人の共通点とは、
- ずっと人の目を気にしていて
- 他人から好かれようとしている気質がある
ということです。
と思われる方もいるかと思います。
しかし、本当に人の目なんて気にしていなかったら、もうその人に後から言いにいくことなんてあり得ません。
つまり心のどこかで、
と思っているということですね。
「人から好かれよう」なんて思わなくなった僕は笑、仮に自分が傷つけられたとしても、
と思うくらいで、もうそこで関係を断(た)ってしまいます。
だから、「人に好かれたい」と思っている時点でアウトなのです。
よく話題に出ることですが、100人がいたら100人から好かれるのは不可能だということ。
それを頭ではわかっていても、どうしても受け入れられない人はいます。
では逆に、
という人に質問です。
今まで、自分が人を傷つけたことはないと思っていますか。
結論、それは100%あり得ません。
「そんなことはない!」と思っている人でも、ただ当人から言われていないだけです。
あるいは、
- その考え方どうなの?
- あなたとは合わないなぁ
- その発言は良くないと思うけど
と、必ず “誰かしらからは” 思われています。
いつまでも「誰からも好かれたい」と思っていますと、この現実と向き合うことができません。
今まであなたから(僕から)自然と離れていっている人なんていくらでもいますし、自分が傷つけたり傷ついたりしながら、みんな生きているのです。
それなら、
と思えるはずですよね。
言われて気にするなら軸がブレている証拠
特に、誰かに何かを言われて “何かイヤな思いをした” ということは、それだけ自分にも「思うところがある」ということです。
相手が明らかに悪意を持って攻撃(口撃)してきたのでしたら、もうそれは気にしなくていいです笑。
しかし、議論の中で、
と言われて「ヒドい!」と言う人は、一旦「議論の仕方」を学んできてください笑。
もちろん、僕も否定されたり、非難や批判をされたりすることも(ごくたまに)ありますが、その時に、
とか、
と思うか、くらいです。
以前の僕は柔軟性に欠けていましたから、
と言い張っていましたけどね笑。(典型的なダメパターン)
一方で、
- いろんな書籍を参考にして
- いろんな人と会話をした上で
- 自分なりに出した答えであれば
それを否定されたからと言って、別に軸がブレることはありません。
何か言われたことに対して、
と思っている時点で、そのことについては、
- 何も考えていなかった
- あるいは考えが足りていなかった
ということですね。
良くも悪くも「反応してしまう」ということは、そういうことなのです。
その人が言うところの「ヒドい言動 / 傷つけられた言動」が、
- 悪意のあるものならば、その人ともう関わらなければいいだけで
- 何か感じたことがあるのならば、もう一度考え直さなければならない
ということ。
軸をしっかり保ち、ブレていなければ、その信念は大切に持っていたらいいのです。
逆に「考えさせられること」がもしあったのならば、それを持ち帰って考え直し、人生の糧にすればいいのですね。
- 人の目を気にして
- 誰からも好かれようとして
- 何か言われたら反応してしまうようであれば
一回、出直してきたほうがいいでしょう笑。
人と話すたびにツラくなってしまうからです。
それらを軽減する(慣れる)ためには、
- いろんな価値観に触れておき
- 人から嫌われる勇気を持ち(現実を受け入れ)
- 自分の軸を確立させられるくらい考え抜いておくこと
ですね。
無理にそうなれということではありません。
ただ「生きやすくなっていくこと」は、間違いないと思いますよ。
おわりに
こういう話を聞くたびに、
と思ってしまいます。
「何も生まれないから」ですね。
確かに相手の言い方が悪かったかもしれませんが、それ以上に「自分の課題」として受けとめて、自分で処理すればいいことだからです。
それができない人は、まだ考えが足りてないんじゃないかなと。
以前の僕もそうでした。
イヤなら、可能な限りで離れればいいだけですしね。
人との関わり方で悩んでいる人は、大抵「自分の見られ方」を気にしています。
それが悪いと言っているのではなくて、それで生きづらいのであれば、考え方を少しでも変えてゆく必要があるのかなと。
みなさんはどうでしょうか。
それではまた!
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