こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日から読んでいます「サイコロジー・オブ・マネー」。
そこには、
- 物欲の意味のなさ
- 見栄を張らないこと
について書かれていました。
僕はめっきり物欲がなくなりまして、
と思うくらいですが、それも仕事や作業のためのものですから、
というような「モノ」に対する衝動はなくなりました。
人間、最期の瞬間はあの世に何も持っていくことができませんからね。
今日は「無形の財産の大切さ」について書いていきます。
無形の財産とは?
「無形の財産/無形の資産」と言われましても、ピンと来ませんよね。
以前も、「目に見えないもの」の大切さについて書いたことがあります。
目に見えないものを築こうとしていますと、必ず問題にぶち当たります。
それはもちろん、「見えないこと」に対する不安です。
この「見えないもの」という言葉を聞いただけでも、うさんくさいですし、
と疑問に思われることでしょう。
僕が思う「無形の財産」とは複数あります。
- 愛
- 信頼
- 友人
などです。
特に「人」が一番の財産だと思っています。
一緒にいてたくさん笑うことができる人や仲間、そして友人たち。
僕はそれが、一番の幸せだと思うからです。
本書にも書かれているとおり、見栄を求めてモノを買ったとしても、周りの人が見ているのは「あなた自身」ではなく「あなたの持っているモノ」です。
もし人が集まってきているとしたら、それは「モノ」に寄ってきているだけです笑。
これが幸せではないということは、直観的にわかります。
それは、
- 長続きしないから
- 本質を見てもらっていないから
といった理由があげられるでしょう。
また、無形の財産でも「似たもの」はあります。
それはその人の「能力」などです。
僕は英語やダンスが(そこそこ)できますが、その「力」を振りかざしたり、自慢していたりしていたら、確実に人は寄ってこなかったことでしょう。
大切なことは、目に見えない財産にも「築き方がある」ということです。
「人」に関しましても一緒のことが言えます。
- 本当に好きな数人に囲まれている
- 「変な人」「野次馬」などの多くの人から囲まれている
では意味が違ってきますよね。
人でも能力でも、「目に見えない部分」で財産を築けないこともあるということです。
そのためにできることは、「魂を磨くこと」なのです。
無形の財産もまた、「持っていればそれでいい」というものだけではないのですね。
無形の財産の築き方
さて、いざ、
と思っても、なかなか難しいものです。
そもそも目に見えないからこそ「わからないもの」なのであり、僕自身も以前はよく理解していなかったものでした。
学歴社会に揉まれてきた僕は、「上」や「下」で自分の立ち位置が決まると思っていました。
もちろん実力をつけることは大切なことですし、「世の中何のスキルも要らない」と言いたいわけではありません。
ただ、この無形の財産とは「少し特殊なもの」であり、人間の中にある、
- 感情
- 感覚
と、強い結びつきがあると思っています。
大雑把に言ってしまえば、その人の「人格」がモノをいうということです。
僕はずっと「社会資本(=人との繋がり)」を大切にしてきたほうだとは思っていましたが、ここ最近でより意識するようになりました。
僕の周りには素晴らしい人たちがいますが、ひとたび僕自身の人格が崩れてしまえば、みんな去ってゆくものだと思っているからです。
それくらい簡単に信頼は崩れてしまうものですが、一方で自分が一所懸命生きていれば、多くの人と繋がることができるのもまた事実です。
やはりとどのつまりは、その人の「あり方」ということ。
と、あの手この手を使って、社会資本や無形の財産を増やそうと思ってしまう人は多いです。
以前の僕もそう思っていましたが、実はもっとシンプルなものであり、逆説的ですが「求めようとしないこと」がポイントになってくるのです。
どちらかと言いますと、
- 自分自身を磨いていき
- 自分の魂を高めていくこと
このほうが大切であり、続けていけば自然と人はついてくると信じています。
以前よりも僕は、自分に集中することを選ぶようになりました。
- 人との差
- 自分が優れていること
を全面に出して競い合おうとするのではなく、ありのままの自分を出していくこと。
そのおかげで、以前よりも素直になれましたし、そちらのほうが等身大の僕を見てもらっていると感じるようになりました。
ただし、「いつまでも変わらない自分」であってはいけません。
「一所懸命努力を積み重ねる」と言うことは、現状維持を意味するわけではないからですね。
ありのままだけれども、シンプルに努力し続けてその先に向かう姿勢を持っていること。
僕はこれを意識するようになってから、「無形の財産」が徐々に培われてきたと実感しています。
すぐに手に入るものはすぐに消える
お金を一所懸命貯めた時間は、確かに代え難い「長い時間」です。
ただ、それで買ったものが果たして「お金を貯めた時間」に見合っているかどうかは、判断することができません。
大切なのは、その人の「幸福度」や「満足度」によると思うからです。
お金それ自体は、時間をかけて築き上げた「資産」のうちの1つかもしれませんが、それによって手に入れたものが、
- 長期的ではなく
- ただの見栄やマウントのため
に購入されたものであれば、自分で気づいていなくても満足度は低くなると思っています。
そのもの自体は一瞬だけ「他の誰か」よりも金銭的に価値が高くなるだけであり、その人が「本当に欲しているもの」ではないからです。
それ目当てに近づいてくる「表面上の友人」(友人とすら呼べないが)は、またすぐに「別の誰か」にくっついていきます。
「無形の財産」に比べてしまいますと、抑えきれない「物欲」などによる衝動買いは刹那的なものであり、結局長い目で見たときに全く効力を持たないのです。
ただし、モノにももちろん「価値」はありますので、
- 長く使える高価なもの
- 自分の生活水準を上げてくれるもの
などは、本質的な買い物になると思います。
自分の満足度が高いからですね。
お金それ自体は、使うのは一瞬です。
勢いに任せたり、本質を失った欲求に任せたりして得たものとは、消え去るのもまた早いものです。
「物理的に消えるのが早い」
と言う意味ではなく、そのものの価値の期限が早いということです。
一方で、無形の財産は地道な作業の上に築かれる財産であるがゆえに、うまく扱っていけば、
- 崩れにくく
- 強固なものであり
- ほぼ永遠に続いていく
と言ってもいいと思います。
だからこそ築き上げるのは至難の業ですが、瞬間的に手に入れられるものよりも価値があるものが多く、どちらかといえばこちらを大切にしたほうが豊かな人生になります。
モノ全体を否定しているわけではありませんが、要は「目に見えない部分」を大切にしている人であれば、モノを購入するかどうかの取捨選択もまたうまいのです。
時間のかかるものであったとしても、
- 友人
- 人徳
- 信頼
といった無形の財産に重きを置き、育てていきましょう。
おわりに
最期を迎えるとき、人は何も持っていないのが望ましいものです。
それは不可能ではあるかもしれませんが、目指していくことはとても良いことです。
「DIE WITH ZERO」は、裏を返せば、
「人生では目に見えない財産を築いていけ」
ということなのかもしれませんね。
時間をかけて、人生を生き抜いていくこと。
目の前の見栄や利益にとらわれることなく、地道に資産を築いていきましょう。
それではまた!
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