こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
修学旅行から帰ってきますと、案の定、僕は体調を崩してしまいました。
しゅんとしていますと、見知らぬ携帯から連絡が入ります。
と一言。
「また、ただならぬことでも起こったのだろうか」と思い、
と電話を取ると、修学旅行に行けなかった生徒の親御さんからの電話でした。
そうなんです。
僕のほうで、スーツケースにお土産を詰めておいたのでした。
とても感謝してくださり、保護者様と少し話しただけで、俄然やる気が湧いてきました。
今日は、人に与えたことによって自分に返ってきた時の心境について、書いていきます。
与えたことは、最後に自分に返ってくる。
今回僕が、
「スーツケースにお土産を忍ばせること」
ができたのは、実は最近になって「与えること」を大切にしてきたからこそ、簡単にできたことでもありました。
普通にお土産を買って帰ってきてもよかったのですが、
- 一人の生徒に特別感を与えてしまうこと
- 嬉しいと感じて、その場で他の生徒に伝えてしまうこと
などを懸念し、スーツケースに忍ばせておくことにしました笑。
- 値段も気にせず、
- 特別な感情もなく、
と思い、呼吸をするかのごとくお土産を買いました。
もはや買ったことすらすっかり忘れており、電話が来た時には何事かと思いました。
懇切丁寧に感謝されましたが、その言葉を聞いただけでただただ嬉しかったことを覚えています。
変に気を使って買っていたら、リターンを求めてしまっていたと思います。
そうやって与えている時点では、何も得られるものはないのです。
以前の僕は、
- 与えることをイヤがり、
- 相手からの見返りを気にしすぎて
いました。
今は、返ってこなかったものもあったかどうか覚えていないくらい笑、人に与えることができるようになっていました。
しかもそれがまさか、自分が落ち込んでいるタイミングで返ってくるなんて、思いもしませんでした。
何が起こるかわからないのが人生。
今の「与えるスタンス」は、僕の人生をこんなにも豊かにしてくれたのでした。
与えたから偉いというわけではない
この「GIVEの習慣」が身につくのには、大変長い時間を必要としました。
と、「蓄財マインド」全開の僕でしたので笑、
と、特に「お金の絡むGIVE」に関しては消極的でした。
今は消極的ではないですが笑(むしろ積極的)、一方であまり特別な感情を持っているわけでもありません。
という人がいると思いますが、それも否定はしません。
それもまた1つの事実だからです。
大切なことは、
- どうして与えたいと思うのか
- 自分の本能が、本当にそう言っているのか
を問い続けることです。
恐る恐るGIVEを始めた当初は、
- 見返りの要求
- 恩着せがましさ
などが入り混じった、複雑な気持ちでした。
しかし、
- GIVEに関する本を何冊も読み、
- 自分自身に問い続けて、
- 実際にGIVEを続けてみたところ、
いつの間にか、与えることの喜びを感じられるようになってきました。
だんだんと何も感じなくなるくらい、「人に与えることのほうが大切だ」というスタンスになってきたのです。
だから「与える感覚」というものは、
- 無理に押し付けるものでもなければ、
- 強いられてイヤイヤやるものでもありません。
与えているから偉いとか、そんなことよりももっと純粋な気持ちでいればいいのです。
人がどう思うかよりも、自分の本心がどう思っているか。
なんども問いかけた上で、自分の本能に従って行動している限り、変な感情は入ってくることはありません。
与えることは偉いことではないと思うからです。
ただ、自分も相手も幸せになるのだから、僕は積極的に行なっていこうと思っている。
ただそれだけなのです。
最終的に救われたのは自分だった
こうして与えたことが自分に返ってきますと、いよいよGIVEの真価が出てきます。
与えた瞬間もそうですけど、こうして長い時間をかけて「嬉しいなぁ」と思えることは、何よりの喜びとなります。
保護者もスーツケースを開いてとても驚いていたようで、しっかりと電話で話し込んでしまいました笑。
気が落ちていた僕でしたが、そのおかげで本当に救われました。
結局、与えていたことで最終的に救われたのは「自分」だったのです。
それは「見返り」ではありません。
与えることは偉いわけではないけれど、周りの人たちはしっかりと僕のしたGIVEを感じてくださっています。
今回のように、保護者の方から「感謝」されてしまいますと、また与えたくなってしまうんですよね笑。
これが「GIVEの習慣」の怖いところです笑。
結局は、与えたことは何かの形で返ってきます。
それは、
- お金だとか
- モノだとか
そうした「物質的なもの」ではなく、心のこもった「感謝」という無形のものです。
これほど、人を前に進めてくれるものはありません。
そういう意味では、感謝されたいがためにGIVEしていると言ってもいいのかもしれません笑。
言い方は悪いですけれど。
ただ、
- お金が欲しいとか
- モノが欲しいとか
そういう「見返り」は一切求めず、かつ感情的な「感謝」も、特別期待しているわけではありません。
この感覚をもっていれば、僕はずっとこの世界を楽しんで生きて行くことができそうです。
おわりに
ナイスタイミングと言いますか、運命とは面白いものでして、善業は素晴らしい形で返ってくるものなのですね。
気落ちしていても頑張ることができるのは、
- 普段から相手のことを想像し、
- 何かの形で与え続けているから
なのかもしれません。
そうして力をもらえば、また与えるために頑張りたいと思えますよね。
まずは自分の体調を回復させることが最優先です。
また元気な生徒たちの顔が見られるよう、何かをGIVEできるよう、邁進していきます。
それではまた!
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