こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
みなさんは「自慢すること」についてどう思われるでしょうか。
以前、僕はとても勉強が好きで、勉強に明け暮れる日々が何年も続きました。
その結果なのかはわかりませんが、浪人して2度受験を経験しています笑。
当時は自分の「デキ」についてとても敏感でした。
そしてもしできる部類に入っていたとしたら、そのことを「自慢」していたこともありました。
今となっては、そんなイキった考え方はなくなりましたが、当時に比べて今はどうなったのでしょうか。
今日は「自慢すること」についてお話ししていきます。
自慢したがっていた頃のマインド
その昔、僕は「何か人に自慢できるもの」が欲しかった時期がありました。
いわゆる「聞こえのよいほう」の「自慢できるもの」ではなく、単純にマウントをとる用の自慢のほうですね笑。
例えば勉強においては、
と思っていました笑。
若干の脚色はあるとはいえ、ほぼこんな感じで勉強を頑張っていたと思います。
謙虚になれればよかったのですが(さすがに結果を見せびらかしていたわけではありませんが)、心のどこかでは自分より下の点数の人を蔑(さげす)んでいました。
この時は、
- 人の上に立ちたい
- 誰よりも優位なポジションにいたい
というマインドが強く、そのために頑張っていたと言っても過言ではありません。
しかしそれは、自分も逆にマウントを取られていると錯覚してしまうことを意味していたのでした。
謎の強迫観念が脳裏にこびりつき、「勉強」という自分がプライドをもって続けてきたことの土台が崩れないよう、必死だったのでした。
つまり、自慢をして悦(えつ)に入るということは、マウントを取ることで自分のポジションにしがみついて安心することを意味します。
本当は誰も見てやしないのに、なぜか恐怖を覚え、勝手に焦っている。
周りからするとその姿は、
と思わざるを得ないような、そんな小さな姿に見えていたのでした。
自慢しないことは何を意味するのか
「自慢していた時代」でつまずいていたのは、自意識過剰だったことが原因だったと思います。
- 勝手に誰かと自分を比べ、
- 上か下かのポジションを確認し、
- その後の気の持ちようを決める。
この流れは最悪でした。
確かにテストで良い点数をとったり、スポーツなどで優れた結果を残せれば、その時は気持ちがいいのですが、そこにい続けようとすることは逆にストレスになってしまいます。
ひとたび自分のいたポジションから落ちれば、精神的にダメージを受けるからです。
自慢をしようと意気込んでいるときは、その場から落ちる恐怖も同時に持つこととなるのですね。
その気持ち、つまり「自慢しようとするマインド」がないようにするためには、その土俵から降りなければなりません。
資本主義社会では、競うことは大切なことですし、切磋琢磨するからこそ社会は成長していきます。
ただ、
- ずっと上に立ちたい。
- 上に立つことで安心する。
という気持ちを持つことは、決して健全な競争とは言えません。
逆に「自分」にだけ集中して素直に頑張っていくほうが、ストレスもかかりませんし、むしろ伸びが良いです。
「土俵から降りること」とは、何も頑張ることや競うことをやめることではありません。
「意地や見栄の張り合い」の土俵から降りるということです。
すると、人に自慢することが非生産的で、逆に自分を追い込んでしまう行動であることに気づきます。
純粋に「自分のやるべきこと」に集中するようになり、周りの人たちと一緒に頑張ろうと思えるようになります。
比較して喜んだり落ち込んだりすることもなくなり、
と思うようになるのです。
「自慢しない」ということは、
- 能力を高めることを諦めることでも
- その能力を表舞台で発揮しないことでも
ありません。
ひたむきに努力をしながらも、その結果を人の上に立つために使わないことです。
大切なことは、自分の能力を最大限に「人のため」に使うことなのです。
自慢しなくなってからわかったこと
自分が自慢(あるいは自分の中で優劣をつけること)をしなくなってからというもの、どんどん能力が伸びるようになりました。
それはひとえに、自分のやるべきことに集中できるようになったからだと思っています。
また先述したように、人と比べることがなくなってきたこともあってか、
- ストレスは溜まらず、
- ポジションから落ちることに怯えることもなくなり、
平穏でピースフルな時間が流れるようになりました。
一方で、生産性は「爆上がり」しました笑。
以前の僕であれば、他人の成長が憎いという最低なマインドをもっていたのですが笑、その時はそこに多大な注意資源を使ってしまい、
だとか、
と思うことで、時間や集中力を持っていかれていました。
その点に注意を払う必要がなくなってきますと、シンプルに時間が増えます。
さらに良いことに、他人の成長をリスペクトできるようになります。
というマインドを持てるようになりました。
たとえ人に自慢をしていても、結局は「貧困なマインド」が残り続けるだけであり、環境の悪い「土俵」の上で独り相撲をとり続けることになってしまいます。
自慢なんて無理にしなくても、
「ひたむきに努力して成果を出している姿」(もちろん出ていなくてもいい)
のほうが、周りの人たちも応援してくれるようになるだけでなく、自分も自分の人生に集中しながら歩んでいくことができるようになります。
自慢しようとしているときは心に余裕がない時です。
「自慢」なのか「成果報告/努力の結果」なのかは、その人の人柄を見ればわかるものです。
自慢しようとしている人(土俵)からは人は離れていき、一所懸命頑張っている姿を見せている人に、人は集まってきます。
これはみなさんなら、すぐにわかることですよね。
自分が上だとか下だとか、そんな小さなことにこだわらず、自慢なんかせずに努力を続けていいましょう。
そのほうが、
- 他人を気にする時間が減り
- 自分に集中できるようになり
- 多くの人から応援されるようになる
はずですから。
おわりに
「自慢している人」は、周りの人から「すぐにわかる空気」を持っています。
なんか鼻を高くしているような、俺/私すごいでしょ、みたいな。
そんな空気です笑。
一方で、努力を惜しまずに経験を積み重ねている人が、
と言っていたら、尊敬もしたくなりますし、自身のモチベーションにもなります。
それくらい、同じことをやっていても、「自慢」はわかりやすいくらい人が離れていってしまいますし、自分にとってもメリットはありません。
「謙虚」とは僕の好きな言葉ですが、「謙虚に努力すること」はもっと好きです。
「自慢」を目的にすることなく、自分の人生の豊かさを求めて努力していくこと。
これが大切ですね。
いつまでも傲(おご)ることなく、謙虚に歩き続けていきたいと思います。
それではまた!
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