日本人ファーストをどう解釈するか?【世界では当たり前の潮流】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日行われた選挙では、参政党さんが「日本人ファースト」というキャッチコピーを掲げました。

個人的には、

物議を醸(かも)したものですらないだろ笑

と思っていたのですが、やたらめったら騒いでいた人たちがいましたので、

日本にはまだこういう人たちがいるんだなぁ

と、無心で見つめていました笑。

今日は日本人ファーストや、差別の話について書いていきます。

自国ファーストが当たり前のこの世の中。それを打ち出せば世論が反応するくらい、今まで日本人が差別されてきたのだ。

日本人ファーストって変?

まず初見としてこのキャッチコピーを見たときに、

こ、これはいい!当たり前なんだけど、みんなが思っていたことだった!

と思ったのが、正直な感想です。

この言葉をなぜか「差別/排外」と捉える人もいますが、僕からするとさっぱり意味がわかりません。

僕が海外を回っていた時は、「旅行者/外国人」というだけで施設に入るのに料金を上乗せさせられました。

当時はイヤだなぁと思っていましたが、今思えば至極当然のことであり、

そこを運営している現地の人や、その施設を建てたその国の人がいるんだもんなぁ

と感じました。

その国に滞在していたのも、一時的だったわけですしね。

自国を優先させることは、世界の基準です。

世界基準だから日本も取り入れろ

と言っているのではありません。

とても自然なことであり、その国の人々が守ってきた、

  • 土地
  • 文化
  • 言語

などは、その人たちに還元されるべきなのです。

逆にこれを「差別」と捉えるとすれば、世の中なんてぐちゃぐちゃになります笑。

もちろん、変えなければならないルールなどはあるとはいえ、その土地に住んで文化を形成している人たちが幸せでなければ、その国はいずれ滅んでしまいます。

海外の方々も、

この美しい日本が残って欲しいからこそ、日本人は日本人を大切にしてほしい

そう訴えてくれています。

現政府(2025年7月現在)は、日本人に対して何もしてくれなかった。

そして日本人を「逆差別」してきたような状況だったからこそ、この言葉が響いたのだと思っています。

日本人ファーストは極々自然なフレーズだ。世界的にもそうした流れがあるし、自国民を大切にできない国なんて、滅んでいくだけなのだ。

まずは「自分から」が大事

このブログでも書いていることですが、

まず自分を大切にできない人なんて、他人を大切にできるわけがない

というのが僕の持論です。

今回の「日本人ファースト」が人々の心を打ったのは、それだけ日本人が我慢してきたという事実を浮き彫りにしてくれました。

マザーテレサのように人に無償で愛を与えることもまた、GIVEの精神として大好きな考え方です。

でも突き詰めて考えてみますと、

じゃあマザーテレサは何も食べていなかったのか?

という極端な発想が浮かんできます。

当然のことながら、「最低限度の生活」をしていたからこそ、人に与えることができていたわけです。

僕自身も「人に与えたい」と思って生きていますが、

じゃあせいじはメシも食わなくていいんだな?

という発想にはなりません笑。

自分の最低限の生活が保証されているからこそ、人に与える力が生まれ、困っている人を引き上げることができます。

個人のレベルでそうなのですから、日本だって「大きな生き物」だと考えれば、至極当然の考え方です。

どの国も、移民を受け入れて失敗してきた歴史があります。

日本人が海外の人々を受け入れられるのは、「自国が安定してから」です。

それができてもいない現状で、

外国人を差別するなよ!

はあまりにも想像力に欠けています。

僕らに余裕があれば、もちろんいいです。

しかし、

  • 増えない手取り
  • 上がらない出生率
  • 度重なる外国人問題

こんな課題の山積している我が国ニッポンにおいて、

日本人ファーストが排斥主義だ!

と言うなら、まずはあなたの家に何人も外国の方々を住まわせ、養ってみてください。

100%の確率で、

い、いや、それは違う…

と言い始めることでしょう。

都合のいいことだけを並べる理想主義者のことを、日本では「左翼」と表現するようです。

近視眼的に訴える前に、現状を見ましょう。

現状を見れば、まず「日本を創り上げている日本人」を大切にすることは当たり前の話。

そうして初めて、他国から来る方々を受け入れ、サービスを提供することができるのです。

人も国も、まずは自分自身を大切にすることだ。そうして初めて、他国にも優しくなれるし、GIVEすることができるようになる。

結果的に差別をなくす

特に排斥主義、差別主義を望む人たちの短絡的な思考として僕が批判したいのは、

それが結果的に差別を生む

という「ブーメランになっている」ということです。

すでに日本で問題が噴き出しているように、こうした小さな事件の積み重ねによって、

なんか外国人って危ないな
見かけるだけでイヤな気分になる

という「ヘイト」が生まれてしまいます。

こちらのほうが何百倍も危険であり、移民を受け入れたり自国を大事にできなかったりすることで、結果的に「大きな差別」が生まれかねません。

これは教員をしていたからこそ、よくわかります。

学校やクラスという小さな集団においても、「共生だ/平等だ」と言ってリベラルな少数を許し続けていますと、他の生徒たちからヘイトが溜まっていきます。

何でそこは許されるんだ?
どうして取り締まってくれないんだ?

と言われ、PTAやら保護者から結果的に苦情が殺到し、より状況が悪化します。

これもまた容易に想像できることであり、現状「差別だ!」と叫んでいる人たちには、そうした想像力が欠如しているのではないかなと感じています。(あるいは単純に日本を滅ぼしたいだけか)

そうした経験をもとに考えても、

今手を打っておかなければ、もっと差別国家になっちゃうけどそれでもいいの?

と思うわけですね。

差別をなくしたければルールを設けることです。

このブログで何度も書いてきた通り、

  • 旧態依然のルール
  • 過度に取り締まるルール

などは見直す必要性があって、教員時代にも、

なんでこんなルールがあるの?!

と思ったルールはたくさんありました。

そこら辺は、是々非々でいいのかなと。

間違いなく言えることは、今の日本は「ガバガバだ」ということ。

本当の意味で平和を築きたいのであれば、こうした取り締まりや引き締めは必須です。

差別をなくしたければ、いきすぎた自由の栓を閉めること。

その上で、また何かが起これば調整をしていけばいいだけです。

  1. 自国民をファーストに置き
  2. 国民が豊かになった上で
  3. 海外の方々と協調を図っていく

この流れが大事ですね。

本格的に差別をなくしたいのであれば、まずはいきすぎた自由を取り締まることがスタートだ。その上で、その共同体は本当の意味での「平和」を築いていけるのだ。

おわりに

ふと世間を賑わせた「日本人ファースト」。

あくまで主観ですが、概ね9割9分くらいの方々はこのキャッチコピーに賛成していると思われます。

そう思わざるを得ないくらい、日本人が差別を受けている現状がありますからね。(2025年)

僕が教員で経験したように、本当の意味での差別をなくしたい人ほど、自分(所属している共同体)のことをまず第一に考えています。

まずはそこがスタートではないでしょうか。

それではまた!

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