こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
アメリカに来て時間ができたので、AbemaTVで議論を見ていました。
ひろゆきさんが辺野古に行って写真を撮ったことで、議論を呼んだというものでした。
「座り込みの定義」がどうとかそういう類(たぐい)の話だったのでしたが、議論の動画を見ている限り、
- 人の意見を聞いて適切に日本の未来を考える若者
- 人の意見を聞こうとせず自分の意見を押し付けようとする年配
という構造が、浮き彫りになっていました笑。
と感じました。
今日は「相手の意見を取り入れる姿勢」について書いていきます。
視野の狭さが人をダメにする
議論を見ていて思ったことは、
ということでした。
僕はひろゆきさんのファンではありませんが、今回の彼の考え方はとても大切だと思いました。
もちろん、態度や発信の仕方に問題があったかもしれませんが、沖縄の人たち(失礼かもしれませんがここでは特に年配の方々)は、
- 話を聞くつもりもなければ
- 自分たちが正しいという一点張りだった
という点が、非常に悲しい点でした。
また呼ばれているゲスト(どちらかといえば座り込みに賛成派?)の人も、
という「感情」から入っており、全くと言っていいほど議論になっていませんでした。
ここで大切なのは、
- 感情も
- 正義も
どちらも大切なものですし、人を動かす原動力となっていることは間違いではないということ。
ただ、それが全てでもないということもまた、大切なことです。
僕が若かりし頃に「自分なりの正義」を掲げていた頃は、視野も狭くて何もわかっていないまま、
と主張をしていたように、振り返ってみれば、この番組に出ていた人たちとなんら変わらなかったのですね。
視野が狭いと自分の正義の範囲もとても狭くなり、相手を認めることができなくなってきます。
- 以前の僕も
- 番組の出演者たちも
視野が狭く、
と、必死に「ポジションを取られまい」としているようにしか思えませんでした。
相手を認める気もなければ、意見を取り入れようともしない。
その姿勢がある限り、議論に参加してはいけないのです。
何か生産的な結果に向かって行われる議論のはずなのに、感情剥き出しのケンカ腰で来られても、認め合えるわけがありません。
自分たちの世界で完結していたいのであれば、そのままでいればいい。
- 視野を広げてこなかった
- これからも視野を広げる気がない
この姿勢でいる人には、誰も近づきたいとは思わないのです。
相手の意見を聞いて自分はどうしたいのか?
議論において大切なのは、相手の意見を聞いて、
- 自分は
- 僕らは
どうしたいのかということですよね。
せっかく集まって、何かについて真剣に討論するのですから、
という気持ちで議論に望んでいては、もはや結果は決まっています笑。
という予想しか立ちませんよね笑。
当然のことかもしれませんが、大切なことは議論の後に「何を持って帰るか」ということ。
先ほど書いた「視野」の話ですが、僕が雑談を大切にしているのは、
- 少しでも自分の視野が広がったり
- 少しでも他の人のためになったり
すると思っているからです。
人と話すことで、
と思うからこそ、議論に臨む姿勢も変わってきます。
ディベートであれば、自分の意見をサポートしながら相手の間違いや矛盾点を指摘するので、ある意味「スポーツ」のようなものですけどね。
ただ、普段僕らが行なう雑談や会議、この手の討論番組では「生産的な結果」を求めても何も悪いことはありません。
常に良い結果を見据えながら議論するほうが、よっぽど良い時間の使い方ですよね。
もちろん、煮え切らないような結果になることもあるかもしれません。
それでも、
と、次の行動に繋がりますからね。
そう思って議論に取り組まなければ、この番組の「数名」のように笑、
という姿勢を出すだけとなり、ただの殴り合いで終わってしまいます。
ボクシングやK-1のようなスポーツマンシップはなく、いわゆる「ケンカ」で終わるのがオチです。
以前の僕も、
ということしか考えていませんでしたが、
- 相手にリスペクトを持ち
- 議論の結果を踏まえて自分が成長すること
この姿勢をもつようになってからは、議論が生産的になることが多かったです。
逆に「そうではない人」と話しても、議論が平行線になることがしばしば。
いかに自分の姿勢が大切なのかを思い知らされますね。
解決の糸口は若者たち
特にこの動画を通じて感じたことは、
ということでした。
「若い人」と言うと主語が大きくなりますが、僕は先生をやっていたこともありまして、10代の子たちとは触れ合ってきたほうだと思います。
だからこそ、
と感じるのです。
不器用で未熟かも知れませんが、視野を広げようとする姿勢は前のめりですし、相手に対するリスペクトもあります。
と、生産的な考え方を持っていますし、何より目が輝いています。
年上の方々にも素晴らしい人はたくさんいて、だからこそ僕がこうして学び成長できたことも事実です。
ただ動画を見ている限りですと、とても局所的ではありますが、
「一度考え方を固定されてしまった人」
というのは、なかなか考え方を変えることができないんだなと感じました。
若かった頃の僕も、
- 視野の狭さ
- 負けず嫌い
- 小さなプライド
など多くの「負」のエネルギーが重なったことで笑、他人の考えを受け入れることができませんでした。
主語を大きくするつもりはありませんが、得てして「年齢」というのは時に人の柔軟性を奪います。
その人たちを変えようとしても、なかなか変えることはできないのです。
また一方で、若い頃に「年が上の人」の圧に負けて、考え方が固定されてしまうこともあります。
せっかく、
という若者がいるのに、出る杭を打ってしまう文化ですね。
僕は感じています。
と。
彼らには未来があり、僕らの「希望」です。
だから年配は不要だとか、そういうくだらないを言っているわけではありません。
事実として若者には未来がありますし、これからの時代を生きていくのも彼らです。
そこに投資をして育てること。
それが「教育」だからこそ、僕は日本の若者たちに頑張ってもらえるよう、いろんな取り組みに参加したいのです。
この番組を通してだけでなく、残念ながら今の若い世代のほうが視野が広く、柔軟で謙虚です。
僕らも彼らを見習って、頑張っていきましょうね。
おわりに
議論の先に何があるのか。
以前の僕も、「議論で相手に勝つこと」だけを意識していたように感じます。
しかしそこで取る「マウント」には何の意味もありません。
優越感に浸っていたって、生産的でもありませんしね。
議論を進める中で、お互いに成長していきましょう。
若者たちの柔軟性も見習いながら、ね。
それではまた!
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