子どもに対してどうやって接するのがいいことなのか?【中庸をとる】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、英語学習中のママさんと話していますと、

うちの子どもに英語をしゃべれるようになってほしい

という言葉を聞き、なるほどもうそんな時代なのかと思って聞いてました。

一方で違和感もあり、

それって親のエゴでは?

とも思いました。

自分が一度も「」を経験したことがないため、偉そうなことは言えませんが、親御さんたちを何千と見てきた僕にとっては、

あまり押しつけない方がいいと思う

というのが、一つの見解です。

今日は子どもへの教育について、僕の見解をシェアしていきます。

子どもへ投資することは大事だ。しかしそれが押し付けとなっている場合、それは親としての見栄があるだけということだ。

前提として教育は大事

子どもの好きなようにさせてあげてください

こんなことを言いますと、

じゃあ育児放棄しろとでも言うんですか?!怒

と勘違いする人が出てきます。

僕がいつまでも教育者であるように、教育とはその人の性格や、今後の将来を左右する重要なものであると言うこともよく知っています。

だから教育はとても大事であって、特に家庭での教育は重要です。

家庭でしっかり教育ができていないと、子どもたちは非行に走りますし、

親が親なら、子も子だわ

と誰もが言うということは、家庭の教育がいかに大切かを物語っています。

しかしあまりにも干渉してしまいますと、それはそれで子どもたちは反発してしまいます。

これは教育に限らず、「大人の社会」でも一緒のことですよね。

いずれにせよ、子どもたちへの教育がしっかりとしていれば、その中においての、

  • 塾・予備校
  • ある程度の自由度
  • 金融や歴史の教育

は、程度問題だと思っています。

教育に正解はないものですが、だからと言って「教育を0にしていい」ということではありません。

しっかりと子どもたちと向き合っているかどうか

それこそが「教育」であり、

  • いかにお金をかけたか
  • いかに子どもたちのことを想っているか

といった数字や気持ちだけの問題ではありません。

彼らと向き合って、自分も成長しながら、子どもたちと一緒に考えて未来を作ってゆくこと。

これが教育の、”ある意味での” 正解だとも言えますね。

家庭での教育、学校での教育は前提としてとても大事なものだ。それを「0」にするくらい、放っておけという意味ではない。

バランスをとっておく

特に聞いてて目立った言葉とは、

  • 親として恥ずかしい
  • 彼らの未来が不安だ
  • 何かしてあげないとまずい

など、親としてのエゴに基(もと)づいた発言でした。

みなさんもこうした言葉に違和感を覚えるかと思いますが、結局は自分のメンツだったり、過干渉だったりが、こうした発言を招きます。

先述した通り、こうした「親のエゴ」はすぐに子どもたちに伝わります。

子育てにおいて教育とは大事ではありますが、本当に子どもたちのことを思うのであれば、

  1. 大切なことは伝えながらも
  2. 彼らのやりたいことを優先してあげる

のがいいのかなと。

時に間違うこともあるでしょうから、その時にはしっかりと軌道修正をしてあげましょう。

要は、

自分の思い通りに、子どもたちに何かをさせたい

という考え方が、歪んだ教育を生むということです。

僕も多くの保護者さんたちと話してきましたが、

うちの子がやらなくて!
もっと本当はこうして欲しいのに!

と、まるで自分の人生かのように語っているのを見て、ちょっと引いてしまいます。

だって教育は大事って言ったじゃないか!

こう言う人もいるかもしれません。

そんな時、僕はいつでも、

自分の若かった頃を思い出してください

と言います。

みなさん、自分が若かった頃に言われたことがイヤだったはずなのに、なぜか子どもたちに同じことをさせようとします。

僕はそれを教育だとは、どうしても認めることができないのです。

人によっては、

僕/私と同じような失敗を繰り返して欲しくないから…

と「子どものためを想って」と言う人もいますが、あえてもう一度言いましょう。

自分の若かった頃を思い出してください

と。

小学生〜高校生においては、確かにまだまだ考え方が未熟ですし、大人の介入もある程度は必要でしょう。

しかし「親の望んだ人生」を歩んだところで、果たして子どもたちは幸せでしょうか。

否。

子どもたちにとっては、「レールを敷かれること」がイヤですし、それはその子の人生ではありません。

失敗したところは修正したり、教えてあげたりしなければいけませんが、基本的には親も教育者も、サポーターでしかありません。

失敗したっていいじゃないですか。

彼らの人生なのですから。

酷(こく)に聞こえますが、実際そういうものなのですから仕方ありません。

このバランス感覚を保っておかないと、教育がいつの間にか「押しつけ」になってしまうのですね。

子どもたちに何かをやらせようと思った時に、自分の思い通りにさせようとさせていないか。自分の若かりし頃を想像してみれば、それがいかに鬱陶しいかがわかる。親も教育者も、できることはあくまでサポートだけだ。

子どもに決めさせる

僕らが若かった時は、親に感謝することなんてできていたでしょうか。

20〜30代になって初めて、そのありがたさに気づく人が大半だと思います。

子どもたちのことを一心に思い、サポートをしてあげることが、親としての責任だ

と、多くの親御さんだって言うことでしょう。

自分のことより、子どものことのほうが大事になるはずですからね。

だから僕は、

こんなにやってあげているのに、なぜかやろうとしないんだ!

と嘆いている人をみますと、

はぁ…いいんじゃないですか?本人がやりたくないって言ってるんですから

と思ってしまいます。

何度も言いますが、

  • サポートとして機会を与えたり
  • 家庭内での最低限の教育をしたり

することを、否定しているわけではありません。

しかし、最後に決めるのは「自分」なのではないでしょうか。

小さい頃は判断能力がないため、ある程度は親の監視下におく必要がありますが、少し自我を持ち始めてからは、

私はこうしたい

という自己決定の欲が出てきます。

そうしたらもう最後は、「本人が決めたのだから」と言ってもいいと思うのです。

大人になっても「幸福度の高い人」とは、自己決定権(=裁量権)を持っている人です。

子どもたちだって、自分で決めたことをいつまでも「親のせい」にしていられません。

育ててくれたことは、後々になって感謝するかとは思いますが、

親の敷いたレールの上をずっと歩いてきました

という中高生を見たら、僕はドン引きしてしまいます笑。

それって、君の人生じゃないじゃない?

と。

本人が望んでやっているのならば何も言いません。

また、

親とともに歩めたから、今の自分がいる

という、二人三脚をしてきた若きアスリートなどもいますが、それも否定されるべきものではありません。

一方で、いつまでも「小学生だから/中学生だから」と言って、自分の “支配下” に置こうとしているのであれば、それは教育ではなく強制です。

「何歳になったら」なんて決まりはありませんが、常にお子さんと向き合い、彼らの「意志」についても確認をすることです。

僕は偉そうなことは言えませんが、教育者として親御さんたちを見て感じてきたことですね。

最終的には自分で決定をし、自分の決定に責任を持っていくのも子どもたちの役目だ。いつまでもコントロールしようとしないことだ。

おわりに

たまにこうした保護者の方と出くわす時があります。

もう話し方ですぐにわかります笑。

あぁ、この人は「子どもにこうなって欲しい」というエゴがあるんだなぁ

と。

それは本当の教育でしょうか。

僕は疑問に思ってしまいますが、みなさんはどう思いますか。

それではまた!

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