自分を大切にできる人は人に優しくできる【何があっても自分を大切に】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

いつも通りいろんな人と話す毎日なのですが、

やっぱり自分を大切にすることは大切なことなんだな

と思うようになりました。

僕は9年間、学校の先生として身を削って働いてきて、「悪い意味で」自分の身を犠牲にして働いてきました。

その反動もあってか2021〜2022年にかけて、自分の時間を大切にすることを学びました。

お金を、

  • サウナに使ってみたり
  • 美術館に使ってみたり
  • コーヒーやお土産に使ってみたり

することで、幸せを感じるようになりました。

今日は「自分を大切にすること」について書いていきます。

人に愛を与えたければ、まずは自分を愛すことからだ。

履き違えないこと

僕が学校の先生をしていた頃は、

いかにボランティアで時間を捧げることができるかが、愛される秘訣なんだ

と思っていたものでした。

先生という職業柄、どうしても身を粉にして生徒のために働くことが「美徳」とされてきたからです。

今でさえ「ライフワークバランス」なんて言われていますが、実際の現場はそこまで変わっておらず、「部活動」という諸悪の根源も残っています笑。

履き違えていけないこととして、

「自分がどんなに苦しくても、時間やサービスを相手に捧げようとすること」

は間違ったことだということを認識しておく必要があります。

これは自分を破滅に追い込むだけでなく、相手からも搾取されるようになってしまいます。

相手がそれを意図していない場合、もっとタチが悪いのです。

時間は有限であり、それぞれにはそれぞれの「キャパシティ(容量)」があるからです。

僕は以前、完全に勘違いしていました。

自分を大切にできていなかったんですよね。

一見すると「人格者」だなんて言われて舞い上がってしまうものですが、それは「いいように使われていること」も意味しています。

相手に自分を安く売ってしまうことは、相手にも悪影響を与える

僕の友人たちから言われた言葉です。

大切なのは、

  • 自分の幸せ
  • 相手の幸せ

さらに言えば、第三者の幸せも含めた「三方よし」がベストです。

まずは自分のことを大事にし、自分がほどよいストレスと幸せの中で働くことが、結果的に他人に対して良くできるようになる秘訣です。

「働くこと」を履き違えないこと。

まずはそこからです。

働くとは、身を滅ぼすくらい人のために生きることではない。自分の心地よさも大切にしていこう。

まず自分の幸せを見つけること

日本では「我慢すること」が美徳とされていますが、僕はこの慣習が一番の害悪だと思っています。

もちろん「我慢」にも種類がありますし、僕は「足るを知る」はある意味「我慢の一種」でもあると思っていますので、一概に「我慢=悪(あく)」だと言いたいわけではありません。

ただ、

  1. 自分が幸せではないまま毎日を過ごし
  2. ことあるごとに不平不満をぶちまけていたら

それは “正しい我慢” とは言えません。

苦行か何かですよね笑。

まず僕が始めたことは、

自分は何に幸せを感じるか?

という実験でした。

学校の先生をしていた時は、

なんだか窮屈だけど、お金がもらえるからいいか

という、典型的な「使われるマインド」になっていました。

その場合、自分には裁量権がなく自由度はほとんどないに等しかったです。

そんな中でも、サウナやコーヒーを求めて動き回っていたものでした。

現在は世界一周から帰ってきて、特にフルタイムで仕事をすることもなく、淡々と毎日を生きております。

同時に、

  • イヤなこと
  • やりたくないこと

はやらないようにしていますので、

なんて幸せな毎日なんだろう

と思って暮らしています。

「イヤなこと」にも様々な定義がありますから、

自分の成し遂げたいことのために、イヤなこともやらなければならない

ということは、また別の話です。(「イヤ」の種類が違います)

曖昧な定義の中で構いませんから、「自分なりの幸せ」を見つけて、それを求めて生きることが大切なのです。

  1. 教員をやっていた時も
  2. 世界から帰ってきた後も

僕は少しずつ「ストレスのない生き方」を求めるようになりました。

  • 自分の好きな時間に働いて
  • 好きな人たちに会いに行く

これをすることが、「いつでも幸せでいられる秘訣」であり、毎日がハッピーになります笑。

そうやって「幸せ」をためていくことは、結果的に「人に優しくできる人」を生み出すことになります。

「大切なもの」を捨てたように見えた僕の人生でしたが、毎年毎年、新しいことが目の前に現れてはそれらに立ち向かっていっているようで、とても興奮するのです。

まずは自分の幸せのために。

これが大前提ですね。

自分の幸せを見つけよう。そうすればストレスフリーで人に優しくなれる。

生き方に正解はない

こうしてなんとなくですが「自由」を手に入れつつある僕は、

こんな感じでいいのかな?

と思っていたフシがありました。

ただ、いろんな本を読んでは世界を回ってきましたので、

そんな生き方もありだな

と思えるようになってきました。

自分を大切にする」手法はたくさんありますし、それができていれば問題ないということ。

日本にいる多くの人は、自分を殺してまでも「理想の生き方」を理想のままにしています。

かく言う僕も、もともとは「こんな人生になると思ってもいなかった」人間でした笑。

それはたぶん、

この生き方しかない

と思い(信じ込み)、そこから離れようとしていなかったからでしょう。

一度でも、

人生は一度きりしかないし、正解なんてないんだ

と悟ることができれば、もうその時点で自分の生きたいように生きられるようになります。

どちらが先かはわかりませんが、

  • 自分の生きたいように生きる
  • 幸せを見つけてそれを求めて生きる

という、この2つの生き方が相互に作用し始めますしね。

僕はこのおかげで、毎日を幸せに生きられるようになってきました。

まずは「自分」の人生に集中しますと、徐々に余裕が出てくるようになります。

自分のことを大事にしている人は、他人から安く買い叩かれることもありませんし、常に人に愛を与える余裕を持っていることになります。

だからいつも、スタートは「自分」なのです。

それは自己中心になることではありません。

まず「自分のこと」について深く理解してご機嫌を取り、幸せになることに努めることです。

それが結果的に、周りの多くの人を豊かにします。

生き方を「狭く」定義付けてはいけません。

自分の生きたいように生きること。

それが自分を大切にするということです。

自分を大切にできない人が、他人を大切にできるはずがありません。

以前の僕は、この出発点が間違っていました。

でも今は、自分のこともしっかりと大切にするようになりました。

イヤだなぁ

と思ったら離れること。

心身に悪い我慢は禁物です。

まずは「毎日を楽しむこと」なのです。

自分の生きたいように生きること。それが幸せに繋がり、やがては周りに愛を与えるための力となる。

おわりに

家族や職場には、それなりのルールや「読むべき空気」みたいなものまで様々あります。

もちろん、何がなんでも自由にしていいとまでは言いませんが、それでも、

生き方とか慣習って、そこまで決まりきったものばかりなのかなぁ?

と思う日々です。

自分の幸せのために、自分なりに生きていく。

それは自分を大切にするという意味です。

僕は今日も、自分の幸せを一番に求めて生きていきます。

それではまた!

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