こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕には本当に覚えられない苦手なものがあります。
それが、
- 車
- 野球
などです笑。
実際はもっとたくさんありますが、世間が「知っている」という大多数の荒波が来ても、
と言って「驚かれてしまうもの」を、ピックアップしてみました。
先日同僚が、
と言うので、
- プロ野球は何チームくらいあるのか
- 横浜ベイスターズはセ・リーグなのかパ・リーグなのか
というところから聞き始めてしまいました笑。
しかし以前の僕は実はそうでもなく、
というスタンスを持っていました。
むしろ知らないことは恥ずかしいことだとすら感じていました。
クイズ王や雑学王といった類の番組の影響ですかね笑。
でも実際は、そう感じる必要はありません。
今日は大勢の人の圧力に負けないための、僕のマインドをお伝えしていきます。
誰もが知っているという前提を持たない
以前の僕は、たくさんテレビを見ていたこともあり、周りの友人が出している情報に追いつくことで必死でした。
周りと話題が合わないと省かれたり、無視されてしまうと思い込んでいたのです。
結論から言えば、趣味趣向の合わない人と無理につるむ必要はありませんでした。
お互いにとって意味のない時間ですし、消耗してしまうからです。
ただ僕は割り切ることができずに、
- 知らない自分
- 話についていけない自分
を責めていた時期がありました。
と思い、「必死に・無駄に」情報を仕入れては話についていこうとしていたのでした。
これは実は怖いものでして、裏を返すと今度は「知識のない人」を自分が見下してしまうという副作用があります。
という感覚ですね。
僕は当時、そう言われることに腹が立っていたのにも関わらず、自分も人に対して同じ仕打ちをしていたのでした。
勉強をしているとよくあることですが、自分がさも「知識人になった」かのように勘違いしては、人のことをバカにしてしまう人がいます。
また知識の有無だけではなく、マジョリティ(多数派)に属していますと、同じような態度を出してしまう人もいます。
僕はそうならないようにするために、大切にするようになった考え方があります。
それは、
「誰もが知っているという前提を持たないこと」
です。
この感覚は、特に先生になってから大切にするようになった考え方でした。
と生徒に言い放つ先生をたくさん見てきて、とても不愉快に思ったからです。
逆の立場に立てば簡単なことです。
例えば「英語」の先生が他教科を学ぼうとした時に、同じことを言われたらとても悲しいですよね。
相手が興味を持って聞いているのだとしたら、丁寧に説明してあげればいいのです。
もちろん先生だけではありません。
どの人にとっても「常識」なんて、勝手に自分で作り上げた「自分ルール」でしかありませんからね。
視野を広く持てば、「自分の常識の範囲」がとても狭いことがわかります。
自分がいかに知らないのかを知っておくことで、人に優しくなることができるのです。
お互いの「知らない」を尊重すること
特に僕は、ブレイクダンスという(当時は)マイノリティな文化に興味を持っていたことが大きかったのだと思います。
とよく聞かれたため、それを説明することに抵抗はありませんでした。
当然ながら、
と思ったことはありません笑。
あまり知られていたものではありませんでしたからね。
このスタンスを持っておかないと、自分の常識を人に押し付けてしまうことになってしまいます。
- 「みんな知ってることなんだから」
- 「できない/知らないなんてありえないよね?」
という言い方ですね。
僕は英語を当たり前のように勉強してきたこともありますし、進学校で教えていたこともありましたので、上記のように英語の勉強がわかっていることが前提となっていました。
しかし、それが大きな間違いであることに気づかされたのです。
- 英語を苦手としている生徒が多い学校
- 今から頑張って英語を学びなおしている大人
そんな人たちと出会って、
と思うようになりました。
「英語」も車や野球と近いことがあり、日本ではマジョリティの部類に入ると思います。
それでも、
- 知らない人
- 興味のない人
- 勉強を始めたい人
など、様々な人がいます。
当然のことながら、全員が全員、英語にポジティブなイメージを持っていたり、学ぶ必要があると思っていたりするわけではないのです。
何ごとにおいても、お互いに「知らない/わからない」ことは必ずあり、それを尊重することができない人は、まだまだ視野が狭いのです。
その視野を広げるためには、
- 多くの人と出会い、
- 様々な価値観を共有し知ること。
これに尽きると思っています。
どんなに視野が狭くても、様々な価値観に触れていれば、いかに自分の価値観が独りよがりであったかがわかるからです。
実際、30年以上生きて来た僕ですら、
- まだ未知のこと
- 世界の知らない文化
- 英語における知らない表現
など「知らないこと」だらけです。
相手の「知らない」を尊重できるということは、自分の「知らない」を認めていることです。
すると、もっと優しくなれますし、他人の気持ちに寄り添って生きていくことができます。
寛大になり、
そう思うことができるようになります。
まずは「無知の知」がスタートというわけですね。
無理して覚える必要はない
「どうしても覚えることのできないもの」
これらのために僕がしていることは「無理して覚えようとしない」という努力(?)です。
- 意図的に忘れている
- 覚えることに抵抗がある
といった類のものではありません。
単純に、自分の興味のないものや自分に必要のないことは、覚えなくてもいいと思っているだけです。
勉強や仕事についても、同じことが言えます。
自分の「興味のないこと/必要のないこと」に、時間を割く必要はありません。
以前の僕であれば、
「いかに多くの情報を知っているかどうか」
が、コミュニケーションにおけるステータスだと思い込んでいました。
しかしそれは、
- マジョリティの押し付けであったり
- マウントを取ろうとしている人の自己満だったり
でしかありませんでした。
本当に自分に必要なことであったり、好きで仕方のないことであったりすれば、自然と覚えるでしょうし、あまり努力も必要ないはずです。
そうでなければ、無理して覚えなくていい。
そう思うようになってからは、どこか肩の荷が軽くなったような感覚がありました。
- 自分の「知らない」ことを受け入れ、素直に人に聞くこと。
- 逆に自分の持っている「知識」を必要とされたら、丁寧に教えてあげること。
こうしてコミュニケーションをしていけばよい。
それがわかったのでした。
現代は情報社会ということもあり、確かに情報の「強さ/貴重さ」は間違いありません。
それでも「知識の絶対量」が何かの優劣を決めるわけではありませんし、どこまで行っても自分の専門外のことはわからないものです。
まずはそこに気づき、謙虚になること。
そうすれば、無理して誰かに取り入ろうともしなくなりますし、ありのままの自分でいることができます。
一方で、
- 自分の専門分野
- 人生を豊かにしてくれること
は、覚える努力をする必要があります。
そうやって情報の取捨選択をしていけば、人生がもっと楽になります。
情報過多な社会だからこそ、情報のスリム化も大切なのですね。
おわりに
今日の記事は、特に「テレビに関して」顕著に言えることだと思います。
自分が必要のない情報を「ムダに」取り入れる。
そしてその情報を人に話す際に、
と言っている人を何人も見てきました。
厳しい言い方に聞こえてしまうと思いますが、これは「知っている」ということでマウントを取る1つの例だと、僕は思っています。
その情報が、
- その人にとって有益なのか
- その人が聞きたくて聞いてきたものなのか
この点がとても大切なのです。
情報を伝える際にも、「自分の優位さ」を振りかざしてはいけません。
誰にだって知らないことはありますからね。
何かを伝える時は、相手が知らないという前提に立ち、優しく丁寧に伝えてみましょう。
それではまた!
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