30代が昔mixiの日記をつけていてよかったと思うこと【継続のコツ】

雑談

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

「100記事続いたら継続について書こう」と思っていましたが、それとはまた別に大学時代に継続していたことをふと思い出しましたので、ここでご紹介させていただきます。

僕は大学生の時、mixiで日記を4年間、毎週欠かさずに書き続けていました

「mixi」とはfacebookが流行る前に「国内で流行っていたSNSの走り」でして、最初は日記が中心となっており、Twitterの進出で徐々につぶやき機能などが加わったりしていました。

とても懐かしいです。

僕は、

  • 浪人して大学に入学したこと
  • ガリ勉だったこと
  • アキレス腱断裂を経験して人間嫌いになったこと

などが重なり、入学当初は極度にコミュニケーションが苦手な状態でした。

そんなすずきがなぜmixiを続けていたのか。

続けてよかったことは何だったのか。

書いていこうと思います。

発信好き・読まれ嫌い

中学3年生の時に人とズレた発言を心がけ始めて、ボケを習得しつつあったすずきでした。

しかし大学入学と同時に浪人という年上の感覚から、同学年の子達と慣れ合うことができませんでした。

今思えばなんでもないことなのですが、やはりそこは10代です。

若かりし頃の僕は、とがりにとがってましたからね。

mixiが流行っていることは認識しつつも、同じコミュニティの人たちと繋がることで自分の投稿が読まれることに、若干の抵抗がありました

ここで「ボケたい意欲」「発信して文章を書きたい意欲」と「あまり読まれたくない」「見られたくない」という気持ちが相反して、いよいよつばぜり合いが始まります。

わずかながらでも書き始めてみますと、恥ずかしながらも自分の気持ちや考えを書き出すことで、一週間の整理ができることとそれらが「過去の記録」として残っていくことに魅力を感じ始めました。

そしてなにより、ありのままの自分を表現できたことにただならぬ開放感を得ることができたのです。

とりあえずmixiを始めた後は少人数とだけお友達になり、少ないイイね!やコメントにちょっとだけウキウキしながらも、細々と日記マラソンがスタートしました。

これが伝説の幕開けです。

発信することで、ありのままの自分を表現できるようになる。

革命期

mixiに広がりが生まれ始めたきっかけは、言うまでもなくダンスサークルへの参加でした。

今でも、初めてサークルの人たち(特に女の子)と話した時の高揚感や緊張感について書いた日記を思い出します。

このダンスサークルがとにかくバカでかく、私立大学に比べると規模は劣りますが、200人近くの大所帯でした。

少しずつ学科の友達ともmixi上で友達になり始めたので、ダンスサークルや大学生活で関わった人たちとの交流が加速し、コミュニケーションの手立てとしてもSNS上で友達を増やしていきました。

「誰かが読んでくれている」と感じ始めると、自然と湧き上がってくる己のライティング魂

こうなったらとことん前に突き進むしかありません。

ただし、「誰かが読むのを待っている」と考えたことはありませんでした。

とにかく自分の体験したこと、感じたこと、思ったことを嘘偽りなく書くことに専念し、まずは自分のために書いていました。

ある意味「浄化作用(カタルシス)」「通過儀礼」「温故知新」「焼肉定食」みたいなものだったのかもしれません。

すると僕と関わる人に対して、mixiを通して裏表のない人という印象を与えることができたのです。

最初こそ恥ずかしいものでしたが、「ダンスをしている人間が文章で自己表現できるなら、相互作用にもなるし続けるべきだ」とわけのわからない持論を展開し、結果的に続ける楽しさを見出すことができました。

自分のためだと思ってオープンに発信していると、実は自分を売ることができる。

毎週更新

mixiの日記を書きますと、左側に出てくるカレンダーから、更新した日の日記に飛ぶことができるようになります。

カレンダーですから、もちろん週ごとの更新が一目でわかるわけです。

最初に週一で書き始めたので、1〜2ヶ月くらいしてから更新しないと気持ち悪くなり始めました

吐き気、目のかゆみ、喉のイガイガ、頭痛、筋肉痛…あらゆる症状が僕を襲いました。(大ウソ)

毎週きちんと週が明ける前に、必ずと言っていいほど滑り込みだったとしても書くようにしていました。

際立ったニュースがなくても、です。

スカした週もありましたが、かなり珍しかった覚えがありますので数回程度です。

今見返してもほとんど抜けがなかったと思います。

ただよく言われるのは更新することが目的になってしまうことですよね。

何事も継続とは言いますけれど、単調に続ければいいというものでもない。

確かにおっしゃる通りです。

一方で日記を書くことを目的としつつ、それに乗じて様々なイベントや出来る限りのことをし尽くしました。

結果的に目的が逆転し、行動ありきで日記が付随的に書かれることとなりました。

際立ったニュースがなくても、大学時代は授業やサークル活動、英語の勉強といったルーティン化している行動や習慣があったため、その成長や経験を常に小さな進歩として伝えることができました。

また「自分の記録」として残るようにもなりました。

それと同時期に自身のサークル活動を内部(サークル内)向けに発信することも始め、ホームページ係としてHPを更新しまくっていました

その時のサークルの先輩・後輩からの反応は、僕にものすごく良い効果をもたらしました。

日記をつけることで、行動するようになる。

他人からの反応 ≠ 承認欲求

僕はそんなmixiとサークルのHP更新のおかげで、こうして続ける習慣が根付いたのだと思います。

もとから発信することが好きだったためか、続けていくことには抵抗がありませんでした。

(それは小学生の時のことですが、100日目の記事を読んでみてください)

 

話は「今」につながりまして、最近はインスタという「若者がやりそうなSNS」も更新をし続けています。

不定期ですが2〜3日に一度は更新するようになりました。

fbは1ヶ月に一度、「超」長文です。

これには理由があります。

始めたきっかけは、先ほども書いた日常の成長や経験・習慣でした。

例えば、

  • ダンス
  • ランニング
  • 読書
  • サウナ
  • 美術館
  • ドラマ
  • 映画

などなど。

インスタはオープンにしていませんが、発信し始めて驚いたことは意外なリアクションが多数あったことでした。

そのリアクションもまた、続ける要因として僕の背中を後押ししてくれたのです。

ひとたび「この本が面白かった」と載せれば「これもオススメだよ」と推薦が来る。

「サウナに行って来ました!」といえば「え?何?サウナーだったの?早く言ってよ!今度行こうぜ!」とお誘いが来る。

投資に関して発言すれば「実は投資に興味があって…」という人とDMで会話が始まる。

ダンスでもランニングでも、「自分の記録のために」上げていた動画や画像に食い付いてくださる人たちが、実はたくさんいたのです。

同志というか近い考えというか、一緒に頑張れる存在がこんなに身近にいたんだなと改めて感じています。

30代ともなると、近い世代の人たちも僕と同じような考えに至っていたり、悩んでいたり、それこそ行き詰まっていたり、難しい岐路に立たされています。

でもお互い生存確認というか発信を続けていますと、今まで見ているだけのサイドにいた人たちが僕に対してアクションを起こし始めるんですよね。

これがものすごいスパークして化学反応を起こすのです。

だから僕も刺激されて、立ち止まらずに続けていきたいと思えるようになったのです。

プロフィール通り、僕が先頭に立ってたくさんのことを体験して当たって砕けていけば、その失敗や成功をシェアすることができますしね。

mixiを始めたのが、大学生という時期でよかったと思っています。

自分の投稿が高尚なものだと偉ぶるわけではありませんが、今の中高生たちの投稿は承認欲求や未熟な部分があるように感じています。

それがまた若者たちのコミュニケーションとしていいのですが。

僕らの世代には、僕らの世代のツールの使い方があるはずです。

日々成長していることを自分のために投稿したり発信したりすることは、自慢でも承認欲求でもありません

もちろん、自己満足というわけでもありません。

「発信する」ということは、人に自分をさらすことを意味するからです。

それをきっかけに一緒に切磋琢磨したり相互作用し合える仲間が見つかることで、体験に基づく情報をシェアすること。

これによって僕にとっても投稿を見かけた人にとっても、双方向にプラスに働くのです。

発信することで、思いがけないリアクションがくる。それによって化学反応が起こる。

おわりに:日記を続けていてよかったこと

大学時代に日記を続けていてよかったこと、そして現在の習慣から感じていることをまとめてみます。

  1. 継続する習慣がつく。
  2. 行動しまくる習慣がつく。
  3. 日々の成長を記録できる。
  4. 友人から反応がある。
  5. また新しい「何か」を続けていこうと思える。

一度はSNS疲れみたいな症状に陥ってしまい、

「社会人だし、投稿しても見ている側だって『またコイツの投稿かよ?』と思うに違いない」

と感じていたことがありました。今でも思うことはあります。

しかし実際はみんなしれっと他人の投稿を読んでいて、久しぶりに会うと「すずきサウナ行きまくってるんだって?」と話し始める友人すら出てくる始末です笑。

全て自分のためになる」というところに立ち返ってみますと、他人が「イイね」を押さなくても苦ではないですし、むしろ意外な反応が返って来たりもします。

すると結果的に相乗効果が生まれるんですよね。

SNSはあまり見なくなりましたが、自分が投稿するときにチラッとみてみますと、毎日更新している同世代もいますので、とても刺激されます。

勉強していたり活動していたり新たな挑戦をしていたり。

使い方によっては、SNSは良い作用が働くものなのかもしれません。

その人たちに共通しているのは、やはり自分磨きと体験や成長のシェアです。

これらによって自分を見つめ直すきっかけになったり、錆びついてしまった友人との交流をリスタートしてくれるフックになったりすると思います。

僕が大学時代に日記を書き続けることができた要因は、人に見られていたことが大きかったと思います。

公言するとやらざるを得ないってよく言いますからね。

ぜひみなさんも何か発信してみてはいかがですか?

それではまた!

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