こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
FACTFULNESSに続いて感銘を受けた本は、LIFE SHIFT−100年時代の人生戦略でした。
教員をしていても、悶々とする日々…
しかし、お金の勉強を始めて数ヶ月経ったある日、この本に出会ったことで人生を見直すきっかけを見つけました。
この本もまた銃弾では射抜けないほどの分厚さを備えており笑、なかなか読み応えのある本でした。
しかし、間違いありませんでした。
細かい内容はぜひ読んでいただきたいと思っていますので、要約やまとめのような記事ではありません。
ぜひオススメしたい気持ちと合わせて、読後に僕がどう考えたのかもお伝えしていこうと思います。
人生100年時代
現代では若者に分類される30代男性の僕ですが、お金のことを考え始めたおかげで、
- 「人生論」
- 「哲学」
にも、ほんのちょっぴり興味を持つようになりました。
「人生どうしたものかな…」と考えて行く前に、実は現代人の寿命を知ることが大きなポイントでした。
本書に限らず、様々な議論の場で「寿命が昔より長くなっている」との指摘があり、データもしっかりと出ています。
「長寿大国日本」というだけでなく、寿命が延びていることは世界的にみても間違いありません。
昭和の10代、20代の若者の写真を見たときに、
「良く言えば大人、悪く言えば老けている」
と感じるのは、僕だけではないと思います。
あくまで感覚の問題かと思いますが、それは人生が長くなっている分、30代が昔に比べるとまだまだ若いのだなと思うからです。
意外にもそのことに気づけていなかった僕は、この本のタイトルにはピンと来ることもなく、読んで初めて、
「あぁ自分の人生、まだまだじゃん」
と笑ってしまいました。
教員をしていますと、60歳を越えてもまだまだ非常勤講師として働いている方々もいますし、それが別に悪いというわけではありません。
「まだ『働く/働ける』あるいは『働かなければいけない』のだな…」
と、いろいろと考えさせられたというだけです。
「果たして60〜70歳で仕事を辞めるっていうことは、残りの人生は大丈夫なんだろうか…」
と、思うようにもなりました。
医療も発達し、昔では考えられなかった「70〜80歳まで生きるのが当たり前」という時代がやってくるのではなく、僕らはもうその時代の中にいるのです。
さて、ここで疑問が湧いてきます。
僕の「仕事と人生」についてです。
仕事について考える
公務員や会社員は、安定した給与を得ることができるため、どこかローリスクなイメージがあります。
人生を100年と考えますと、
- 1社
- 1つの場所
に止まり続けることは、ハイリスクなこととして捉えられています。
最大手の会社でさえ、終身雇用は保証できないという時代だからです。
この本では、
「学生時代を終えたら就職し、定年を迎えたら退職する」
と言った、一般的であった潮流が変化して行くことについて言及しています。
もちろん、結果論として1社を勤め上げる人も、数年後にはまだいる可能性もあります。
しかし、これだけ「個人が力をつけ始めている社会」を見てみれば、自分の力だけで生きていくことも考えておかないといけないなと思わされるのです。
今の「教員としてのお給料」はありがたく頂戴していても、なぜかしっくりこないんですよね。
「はて?このようにルーティン化されたような仕事を続けていいものなのか」
と。
そうして自分を客観視し始めると、自分の力の弱さも実感し始めます。
教員は数が足りていないと言われていますが、裏を返すと免許を持っていればある程度誰もができるものでもあります。
例えば英語を教えられる先生は、世の中に無数にいます。
ダンスを教えられる先生は少ないので、希少価値があるかもしれませんが、それも大騒ぎするようなことではありません。
- 本気で英語を教わりたい人は、英会話スクールやオンラインで英語を学ぶことだってできますし、海外に飛んであらゆるものを吸収するほうがいい経験になります。
- ダンスは今流行りの文化ですから、ジムでダンスのコースがあったり、ストリートダンスのレッスンを専門的に持っている方々も星の数ほどいたりします。
仮に僕が教員の世界からはじき出された時、一体全体僕に何ができるというのでしょうか。
教育のスキルは多少なりともあるかもしれないですが、お金を生み出すことを勉強・経験してきていません。
教育現場ではスペシャリストかもしれないですが、果たして僕がいなくなって学校が回らなくなることがあるのでしょうか。
もちろん答えは「NO」です。
確かに、
- これからも自分のポジションをキープし、
- ずっとしがみつく働き方
もあります。
しかし今の僕にとってそれは、とてつもなく退屈でつまらないものだと思うようになりました。
人生は一度きりしかないのだから。
あと70年も人生は続いていきます。
その事実を目の当たりにすると、見えてくる世界が変わってきたのです。
人生について考える
会社員・公務員なら一日の8〜9時間を仕事場に拘束される契約/呪い/拷問があります笑。
最近は「テレワーク」も主流になってきていますけどね。
それでも「時間が縛られること」は間違いないです。
すると、また「ある1つの疑問」が浮かび上がります。
「あれ?僕の人生ってそれでよかったんだっけ?」
- 「教育も好きだし、教え子達も大好き、行事やイベントは最高に青春だし、生徒と一緒に涙だって流したじゃないか」
- 「お前の人生、教育に捧げたってバチは当たらない」
- 「むしろ天職なんだよこれは。今ここを離れたら絶対に後悔する」
- 「だから続けろ、続けるんだ!」
と内側から出てきた「リトルすずき」から説得されましたが、もう僕にはその声は届きませんでした。
「守られた/限られた環境」の中での教育活動は、楽しいですしその環境内での自由度はいくらかあります。
それでも学校という組織にいる以上は、本当の意味での自由度はとても低く、同じスケジュールをこなす毎日です。
もっと、もっとやれることがあるんじゃないのか。
人生一回しかないのに、そんなルーティン化された日々や週間、月や年を重ねることで人生終わっていいのか。
「生徒を見捨てて他を当たろう」という意味ではなくて、自分の人生を犠牲にしてまで、面白くもないことを続けても、それは不本意だということです。
このままでは、生徒にも本気でぶつかっていけないような気がします。
もちろん授業も部活も全力ですし、日々多くのことを現場で学んでいます。
しかし僕の心のもっと奥底にある「教育熱」は、不完全燃焼なのです。
もっと俺は生きてる、人の役に立ってると、そう思いたいんですよね。
だから30代前半戦、すぐにアクションを起こさないと何も変わらないと感じました。
給料はありがたく投資(株、本、自己投資など)の資金援助に回させていただきつつ、自分なりの今できる幸せ(サウナ、美術館、ご馳走、浪費)も求める。
これが僕の始めたファーストステップです。
ここから変わって行くのです。
少しずつ、少しずつ。
おわりに
学生時代から「保守的だ」という自覚があった僕の大好物は、安定と平和でした。
受け止め方によっては、とても心地良い響きですし、今でもその気持ちは大切にしています。
ただ一方で、激動の時代やコロナを経験したことで、
- 変わる楽しさ
- 冒険するワクワク感
が、堰を切ったように溢れ出してきているのを感じています。
- 高校時代は指定校推薦ではなく受験もしたし、
- 教員になるために試験勉強もしたし、
- ダンスではたくさんの新しい場所に出向いて多くの人と出会ったし
と、意外にも様々なことに挑戦してきた人生でした。
しかし人生100年時代を考えれば、むしろ自分の人生への挑戦はまだ始まったばかりだったのです。
青春時代に全てが終わったわけではありません。
30代だなんて、まだ人生の折り返し地点にすら到達しておりません。
まだケツの青い若造なのです。
- 自分はどこまでできるんだろう?
- 社会のために何ができるんだろう?
- 新しく勉強してみよう。
- 行きたいところに行ってみよう。
- 投資をしてみよう。
溢れ出る試したいことリストの数々。
今まで見て来なかった、目を逸らしていた、新たな道。
でもとても羨ましくて、指をくわえて見ていた道。
その小さな階段を登り始め、少しずつ努力を積み重ねて行くこと。
この考え方は、今も昔も変わっていません。
人生まだ1周目の初心者集団の中で、集まって寄り添って、群れを成して生きていくのもまた1つの解です。
しかし、もっと違うアプローチで人生を解いて行くのもまた、「異なる解」なのです。
人生の解答は人それぞれ。
100年時代を生き抜いた後で、結果的に最期にその解の答え合わせをするのは自分です。
- 単なる「公式」を羅列したような人生なのか?
- それとも何度も書いては消した「汚らしい解答」なのか?
人生、どちらを取るかは僕にかかっています。
人生一度きり。
仕事も人生も、いろんな答えがあったっていい。
僕なりの人生の解を求めて、明日からまた奮闘します。
それではまた!
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