こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕は根っからの「負けず嫌い」であり、その能力がいかんなく発揮されたのは、学生時代の「テスト」でした。
今考えれば笑えることばかりですが笑、
- 日本で一番になる。
- 東大に入る。
ことをなぜか目標に掲げ、ひたすらに勉強していたものでした。
皮肉なことに、
- しっかりと授業を聞いて丁寧に勉強していた高校2年生はピークでしたが、
- 調子に乗って「解けない応用問題ばかり」を解こうとしていた高校3年生は、文字どおりの「クソ」
でしたね笑。
とはいえ、そうした「雑草魂」は僕の中の大切な要素であり、現在読んでいます「のび太」という生き方という本からも、のび太の負けず嫌いを感じては「いいねぇ〜」と思ってしまいます。
今日はそんな負けず嫌いから生まれたエピソードを、ご紹介していきたいと思います。
のび太は三無主義ではない
「三無」とは、
- 無責任
- 無関心
- 無気力
のことを指します。
一見、のび太は「ダメ人間の典型」のように思えますが、ジャイアンやスネ夫たちからからかわれた後に、ドラえもんに泣きついてはジャイアンたちを見返そうとします。
ドラえもんに泣きつくことが良いかどうかは別にして笑、もしそのまま凹むだけで何も行動に移さない男の子であれば、これほどのび太の魅力はなかったでしょう。
もちろん漫画の世界ですので、ジャイアンやスネ夫はわかりやすくのび太を挑発します。
- 「お前なんかにできるわけない」
- 「お前は〇〇をもっていないだろ?」
- 「うらやましいだろ!」
と笑。
現実世界、かつ大人の世界ではそうした挑発はありませんが、ハッキリとは言わなくとも、
- ギラギラのネックレス
- 高級外車
- ピカピカの腕時計
などによる威嚇ならぬ、「自分はあなたより、お金を持っているのだ」といったようなマウントはあります。
先に言っておきますが、
- 弱い人間ほど
- 自分に自信がない人ほど
やってしまうのが「マウンティング」です。
自分に力がないからこそ、そうした「見栄」に頼ってしまうのですね。
この「マウント合戦」の土俵に立ったら最後です。
どんどんツワモノが現れてきますので、自分で「土俵から退くこと」を選択しない限り、永遠に戦いから降りることができなくなってしまいます。
のび太は「負けず嫌い」の性格によって、「マウント合戦」に乗ろうとするのですが笑、彼の場合は少し違います。
「いい意味で」ジャイアンやスネ夫に反応し、ドラえもんを頼りつつも必死に努力をしているからです。
ドラえもんから「より高価なもの」「上位互換」にあたる道具を、さっさと出してもらうわけではなく、道具を使って自分でなんとかしようとするのです。
一見すると、「三無主義」を貫けばマウント合戦に乗らないことができますが、のび太はそうではありません。
ジャイアンたちにマウントを取ろうとするにしても、その過程の中で必ず「学び」を得ています。
結果的にマウント合戦になってしまうかもしれませんが、いくつになっても、
- 「なにくそ!」という雑草魂
- 負けず嫌い
は自分を成長させてくれるものです。
それによって成長できた経験は、みなさんにもきっとあることでしょう。
成長した後にマウントを取らなければ、「負けず嫌い」は大いに活用できるものなのです。
負けず嫌いから生まれた成長
僕自身にもそうした経験はあり、思い返せばいくつかあげられます。
- 勉強(学生時代の定期試験、受験)
- 英語
- ダンス
- ランニング
- 仕事
などでしょうか。
最初にあげた「勉強」に関しては、それこそ本当に周りの誰にも負けたくないという気持ちしかありませんでした。
英語
英語は大学2年生頃まで全くと言っていいほどしゃべれなかったので、周りの帰国子女の友人や、純粋に努力して英語を上達させている友人たちに、
- 嫉妬し、
- 俺にはできないと決めつけ、
- 言い訳を探し、
- 自己嫌悪…
に陥りました笑。
その後、英語集中演習というトレーニングキャンプに参加したことがきっかけで、英語を話す難しさと楽しさを、知るようになりました。
それからというもの、
- シャドーイング
- 瞬間英訳トレーニング
- フリーのスピーキング
などを勉強し、
「実は英語をしゃべれる人はみんな、血の滲むような努力をしていたんだな…」
と気付かされたのでした。
最近ですと、アメリカ在住の方がペラペラとしゃべっていて「surveillance:監視」という単語が出てきたのですが、よくわからずに意味がパッと出てきませんでした。
悔しい思いをしましたが、おかげさまで次の日の朝に「めちゃめちゃシャドーイング」をしたので、結果オーライです笑。
ブレイクダンス
ブレイクダンスは19歳から始めましたが、その時代は非常に「トガって」いました。
ここでもまた、
「絶対に誰にも負けたくない!」
という気持ちを胸に、夕方の4時から朝の4時まで、ずっと練習に打ち込んでいたものでした。
たくさん練習してたくさんバトルに出たことで、悔しい思いをしましたが、おかげさまで今まで14年間止まることなく練習を続けることができています。
ここまでは10代〜20代の「若かりし頃のすずき」であり、「負けず嫌い」を絵に描いたような人間でしたね。
ランニング
現在では、生徒たちと一緒に持久走の授業で走ったことをきっかけに、ランニングを始めました。
この時も、「くそぅ〜」という悔しい思いをバネにしましたね。
だいぶ丸くなったほうですが、「負けず嫌いの炎」をフツフツと燃やすことは、今でも忘れていません。
僕ものび太のように、
- 「自分にもなんとかできるんだ!」
- 「ジャイアンたちを見返してやるんだ!」
といった気持ちを持つようにしています。
三十を過ぎてもこの気持ちは健在であり、今でも僕の成長の起爆剤となっています。
「負けず嫌い」と「傲慢」は紙一重
先ほども少し触れましたが、ここで注意点がございます。
僕が若かりし頃は、
- 人より努力できるという自信
- あいつらよりはできているという蔑み
が混在していました。
後者は時に、ひどいマインドに繋がることも多く、
- 「あいつは大したことない」
- 「俺のほうができる」
と、「敬意のない、ただの傲慢野郎」を生み出したこともありました。
本当に強い人ほど、見栄を張らないはずなのに笑。
しかし、以前の僕は人間として「オワって」いたものでして、
- 「自分が間違っているはずがない」
- 「自分が一番、頭がいい」
- 「自分の学んできたことが正しい」
とダークサイドが勢ぞろいしており、典型的な無礼者でした笑。
このように、負けず嫌いは「傲慢さに繋がるケース」にもなってしまうのです。
のび太にも、失敗したりバチが当たったりするように、ひとたび「負けず嫌い」が「傲慢さ」へと移行してしまえば、その人の人格をダメにしてしまうことになります。
- 敬意を持てるように、
- 周りの人の素晴らしさに気づけるように
なるためには、自分で気づくことしかないのですが、それを気づかせてくれるのは周りの友人や先輩、後輩たちです。
- 謙虚なのに、ものすごい努力家。
- 普段おっとりしているけれど、仕事になると速い。
- いつも他人を褒めているけれど、人一倍努力している。
こういう人たちと出会い、その「真のすごさ」に気づいた時に初めて、
「自分はなんて小さい人間なんだろう」
と思うことができるのです。
「負けず嫌い」は人と比べることから入りますが、それは入り口に過ぎず、最終的には自分の成長の糧になるかどうかに行き着きます。
どんなに悔しい思いをしても、
- 人を非難したり、
- 人より自分は優れていると勘違いしたり、
- 見栄を張るだけにとどまってしまったり
してしまえば、それは「負けず嫌い」ではなく、ただ自分の成長を止めてしまっている「勘違い」です。
常に自分と向き合い、他人と切磋琢磨することで、結果的に自分が成長すること。
これを目指して、「負けず嫌いマインド」をうまく使いこなしていきましょう。
おわりに
のび太は結局失敗することばかりで、
- ギャグ漫画のオチとなるような、
- あるいは教訓を教え諭してくれるような、
そんな構成になっているようにも見えます。
しかし実は、ドラえもんという漫画では、のび太という男の子の、
- 行動力
- 素直に認める姿勢
- 負けず嫌い
- 優しさ
も表しているのだと、本書には書いてありました。
のび太は典型的なダメ人間のはずなのに、なぜか愛おしく、人気のあるキャラクターです。
それは、恥ずかしげもなく自分の失敗や欠点をさらけ出し、何事にもチャレンジしている姿勢があるからだと思っています。
誰よりも夢を持ち、行動力あふれる少年のび太は、実は僕らが一番望んでいるものを持っているのだなと感じました。
僕ものび太に負けず、生き恥をさらしながらも、負けん気を持って成長していきたいと思います。
それではまた!
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