こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕は以前、ICLの手術を受けました。
こういう話をしますと、決まって、
と聞いてくる人がいます。
個人的に思うのが、それは医学に対する冒涜だと思うんですよね。
漫画ワンピースでも、モンブラン・ノーランドという植物学者が、ウワバミと言う “神” に生贄を捧げて伝染症を治してもらおうとしている村人たちに、こんなことを言っています。
この偉大な “進歩” をお前たちは踏みつけにしているんだ!!!!
だからお前たちの儀式は彼らへの侮辱だと言っているんだ!!!!
何かを恐れることは、悪いことではありません。
ただなんでもかんでも怖がっていたら、人類は前に進めません。
今日は「新しいことへの恐怖」について書いていきます。
調べたり試したりもしないで予想しないこと
僕は以前、南米に対する日本人の偏見についても、記事にしたことがあります。
実は僕も人のことは言えなくて笑、
と思っていたのは事実でした。
ただ、行く前に調べはしましたし、
と聞いたところで、行ってみないとわからないとは思っていたため、そう聞いたことはありませんでした。
大切なことは、なんでもかんでも決めつけないことですね。
実際、南米に行った人でも誰もが「危険だ」と言いつつ、
って言うじゃないですか笑。
話を聞いてみれば、
と言ってくれます。
だから「南米は危ない」とか「ICLなんてやるもんじゃない」と、最初から決めつけてはいけないのです。
ICLに関しましても、いろんなエビデンスが出ていますし、術後何年も経過している人もいます。
個人的には受けたほうがQOLが上がりますし、長い人生を苦しく生きるよりよっぽどいいです。(もちろん、個人で判断したらいいと思いますが)
医療科学が進歩したからこそ、現代では受けられる手術があります。
だから、そういう人の “意見” とは、現存する医療科学に対しての冒涜だと言っているのです。
と言っているようなものですから笑。
経験してから意見を言いましょう。
予想するのは勝手ですが、決めつけると損することもあります。
そうやって『安全になったら…』を待っていたら、その時間が “リスク” となるでしょう。
調べたり経験したり、あるいは人に聞いたりして判断しましょうね。
怖がることはいいこと?
さて、今日の本題ですが、
ということです。
僕は「過度に」怖がることは、良くないことだと思っています。
先ほどの風邪薬の例ではないですが笑、
と言う人は、必ず一歩出遅れるからです。
例えば先ほどの南米の話題も、
- 円高になってから
- 安全になってから
なんて待っていたら、一生行くことはできません。
「年をとること」が逆にリスクとなり、二度と行けなくなるからです。
疑ったり、立ち止まって一旦考えることも確かに大事ですが、「えいやーっ」とやってしまうこともまた大事。
バランスをとることなく、
- どちらかに偏りすぎ(=この場合だと怖がることのほう)
- ずっと何も変わろうとしなければ(=リスクを取ろうとしなければ)
果実を得られることはないのですね。
それは当然のことです。
怖がることは人間ですから、別にあってもいいこと。
それでも、ハナから疑って(あるいはずっと疑い続けて)いたら、「それが当たり前になった時」に手遅れになります。
と思う人もいるかもしれません。
でも、そうやって後悔してきた人は多いのではないでしょうかね。
今やっていることも、“新しいこと(環境)が怖いから” 、変えられないのではないですか。
実はそう思っていることって、何年も続いていることがあります。
僕はそう思って生きています。
怖がることを否定してはいませんが、それと一度きりの人生を比べたときに、どちらが大切でしょうか。
そうやって考えてみると、怖がってないで飛び込まなければならない時があることに、気づけるはずです。
いろんなことを加味すること
状況とは変化するものです。
みなさんにとっての「当たり前」は、少し前までは当たり前ではありませんでした。
- AI
- 副業
- スマホ
- サブスク
- コミュニティ
- キャッシュレス
など、新しい概念やサービスは常に生まれつつあり、それをいつまでも怖がっていたら、今では逆に、
と言われてしまいます。
決してディスりたいわけではありません。
でも、例えばキャッシュレスだって、こんなに便利なものをずっと避けていたら、
と、僕だったら言ってしまいますよ笑。
時間もかかるし不衛生だし、計算も面倒だし管理もしづらいですからね。
大切なことは、1つの側面だけを見ないことです。
何事にも「良し/悪し」とはあるものですからね。
いつまでも「片方の側面」しか見ていなければ、その概念やサービスを利用しようとすら考えなくなります。
とね。
その「姿勢」が身についてしまいますと、いつまで経っても変わることはできません。
新しい概念やサービス、自分の慣れていないことにも目を向け、
と興味を持つことですね。
ものごとにはいろんな側面があるのは間違いなくて、そこにはリスクだって常にあります。
そこだけを見て、
と言い続けているということは、どういうことかわかりますよね。
- ものごとを一面的にしか捉えておらず
- その一面だけで判断しているということ
です。
実は僕もそうやって、
- ICL
- 脱毛
- 投資
- 世界の旅
- キャッシュレス
から遠ざかっていました笑。
これらは、幸せを求めて結果的に着手したことですけどね。
別に「今までの時間を損した」なんて思ってはいませんが、
と思っていますし、
とも感じています。
何かの新しいサービスや未知のことに直面した時に、開口一番「なんか危ないんでしょ?」は、その発想自体が危険です。
「何も知ろうとしない」その姿勢は、慢性的に人生を蝕(むしば)むからです。
性格を悪くしてしまったり、人との会話にも影響を与えたりすることでしょう。
もっと柔軟に、いろんな側面を考えること。
これからの世の中、いやむしろ今の時代で、すでに大切なことなのです。
おわりに
僕は医療に対して「怖がる人」を否定したいわけではありませんが、“そういう人” というのは大体が批判的であって前進しようとしません。(僕調べ笑)
柔軟な人は、新しい概念やサービスにも対応し、可能性を信じています。
これは教育に関しても、応用できる話です。
「子ども達の新しい可能性」と言ったら、話はズレるでしょうかね。
教育現場で、
- 危ないからとか
- リスクがあるからとか
言っていませんか。
もっともっと、「僕らの未来/子ども達の未来」にかけてもいいのかもしれませんよ。
それではまた!
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