こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
トルコに来て、
- ホステルのお母さん
- 夜行バスの隣の席のお父さん
から、なぜかとても好かれたおかげで、色々といただいたりサービスしてもらったりしました。
以前にも、「好かれること」に対する感謝について書きました。
- 自分が旅人であること
- トルコが親日であること
以上に、僕が何かをしているような、そんな気がしました。
今日は僕が「人と会う時にしていること」について書いておきます。
傾聴すること
僕は海外でも笑顔を絶やさないように気をつけている30代のおじさんですが笑、ここ最近で特に気づいたことは、「傾聴すること」がいかに大切かということについてでした。
出会う人たちとの会話の中では、
- うまく伝わらなかったり
- 全く聞き取れなかったり
することがあります。
その時にもしっかりと「理解しようとすること」は、とても大切なことでした。
トルコに来てからはその姿勢はより大切なものとなりました。
それは「英語がしゃべれない人たちばかり」だからです。(日本でも同じですが)
夜行バスで隣に座ったお父さんとは、翻訳サイトを使って会話をしました。
ぎこちなくなってはしまいましたが、なんとかコミュニケーションを取ることができました。
そこには「伝えたい」という気持ちと、「なんとか汲み取りたい」という気持ちがあったため、お互いに意思疎通ができたのだと思っています。
僕がやったことは、
- 彼が言うことを理解しようとした
- トルコ語を少しでも分かろうとした
ということが、とても大きかったのだと思っています。
日本人の僕らからしても、
と思っている外国人を見れば、それはそれは嬉しいものですよね。
僕としても、「簡単なトルコ語」を1ミリくらい学んでいましたので笑、ところどころ反応することができました。
彼の言いたいことを、必死に理解しようと努めたこと。
それによって、彼も「僕の必死さ」に何かを感じてくれたのだと思っています。
傾聴するとは、一見すると「我慢すること」ですが、そこに「意思疎通をしたい」というゴールさえあれば、苦行でもなんでもないのですね。
傾聴することの大切さ
僕も別に、
- 何かが欲しくて
- 情けをかけてもらいたくて
人と繋がっているわけではありません。
それは結果論であり、それらが「欲しい」という前提でコミュニケーションを始めれば、その態度は必ず相手に伝わってしまいます。
僕は単純にその人に興味があるだけですし、逆に「自分がどうして旅を始めたのか」についても詳細に伝えるようにしています。
一所懸命聞くこととは、「相手のアウトプット」を促すことに繋がりますよね。
「積極的に聞く姿勢」は、
と思わせることができます。
僕は以前に比べて、こうした態度を大切にするようになりました。
地球上には「自分が理解できない相手」がどうしてもいるものですが笑、そんなもの限られたごくわずかな数しかいません。
基本的には「お互いに理解し合えるもの」だと、僕は信じています。
特に海外に出ますと、日本人同士のコミュニケーションとは、形やスピードが全く異なってきます。
そこに「より一層注意を払わなければ」聞き取れないこともありますし、僕も聞き返すことがしばしばあります。
それでも相手の言いたいことを本当に理解しようとするならば、諦めるわけにはいきません。
必死に食らいつこうと聞いていますと、なんだかんだで、
と言われ、
といったシチュエーションになります笑。
こうした経験は、海外に出てから顕著に感じるようになりました。
もちろん、海外で出会った同じ日本人の方々からも、なぜだかわかりませんが多くを受け取る経験がありました。
しかし今、自分なりにわかったことは、僕は以前よりも相手を大切に思うようになったということです。
「一期一会」とはよく言ったものですが、その時に出会う目の前の人との会話を、とても大切にするようになったのです。
- 例え相手が年下の学生でも
- 例え相手が英語がしゃべれなくても
去年生徒や同僚、いろんな友人や仲間と話していく中で、全ての人に平等に話すようになっていました。
以前の僕はもっとシャイでしたし、自分の失敗ばかりを恐れては、相手のことを大切にできていませんでした。
自分の時間を差し出して、相手との時間を大切にすること。
これこそが、以前の僕から大きく変わったことだったのです。
一所懸命な人は応援したくなる
また、ギョルメ国立公園のカフェで必死に動画編集をしていますと、カフェの可愛らしい女の子が話しかけて来ました。
と言いますと、すぐにチャンネル登録をしてくれました。
先ほどの「聞く」ということもそうですが、僕はこの旅を始めてから、去年よりだいぶ自分を追い込んでいる気がしています笑。
いえ、楽しいからいいんですけどね笑。
それを見ている人にとっては、例え日本でも海外であっても、どうやら何か「熱いもの」を感じるようです。
と。
僕自身も先生をやっていた時は、
そう思っていたものでした。
- いつの時代でも
- どんな場所でも
必死に何かに取り組んでいる人のことを、決して人々は笑いません。
笑う人がいたとすれば、それは単に羨ましいだけです。
- 話を聞くことであっても
- 必死に発信しようとすることでも
- 言語を知ろうとすることであっても
何においても「真剣さ」とは人を魅了します。
以前の僕は、
- いかに手を抜き
- いかに楽に何かを成し遂げるか
ばかりを考えていました。
そんな中途半端な人間は、誰も「応援したい」とは思いませんよね。
この旅では、常に「危険な/不安な」何かと隣り合わせでいる分、僕自身も日本にいる時以上に必死なのだと思います。
その「真剣さ」が人々に伝わっているのだと感じられるようになったので、これほど嬉しいことはありませんでした。
- 相手のことを必死に理解しようとし
- 自分の人生をより真剣に考えて良いものにしようとすること
とてもシンプルなのですが、これの繰り返しなのだと感じています。
内容は一旦横に置いておき、あとは全力で取り組んでいくこと。
今の僕はこれしかしていないのですけれど笑、だからこそ「人から助けられること」が多くなったのだと思っています。
おわりに
この旅では、本当にいろんなことを考えさせられる毎日です。
良いこともあれば悪いこともありますし、予期せぬ事態が起こることもあります。
そんな中でも、やることはいたってシンプルです。
前を向いて真剣に取り組んでいくこと。
今の僕は、これだけを貫いていこうと思っています。
それではまた!
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