自分の成長は何のおかげだと思っているか?【ただ運が良かっただけ】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

今は何とか生活できている僕ですが笑、

そうだ。こうなれたのも、自分が努力してきたからだ

と思ったことは、実は一度もありません笑。

僕も含めて、何とかこうして生きていけているのは、「ただ運が良かっただけ」だと思っています。

成功者の中には、まるで「自分の努力が全てです」と言う人もいますが、今のこの社会で生きていられるのは、当然、周りの人との出会いだったり「」だったりのおかげです。

今日はまた「運」について書いていきます。

僕がここまで来られたのも、運が良かったからだ。これから成功したとしても、いつも運が良かったと思って感謝して生きていこう。

生きてこられただけで運が良かった

僕は世界一周をしましたが、その際も、

もしかしたらこの旅で命を落とすかもしれない

と思って、旅をスタートさせました。

無事に帰って来られただけでも、僕としては、

運が良かったんだなぁ

と思っています。

もちろん、仮に日本に住んでいましても、

  • 一体何の事件に巻き込まれ
  • いつやりたいことができなくなるか

は、誰にもわからないですけどね。

ここまで生きて来られたのは、

  • 家族
  • 友人
  • 同僚

など、自分を取り巻く「」であったり、あるいは時代であったり、そうした外的な要因がほとんどだと思っています。

幸い、僕は友人をほとんど失ってはいませんが、僕の知らないところで、もしかしたらもう命を落としている友人もいるのかもしれません。

人生とはいつまでも続くものではなくて、いつその命が途絶えるかなんて、誰にも予想できないものなのです。

だからこそ、考えれば考えるほど、

僕は運が良かったのだ

と認めざるを得ませんね。

別に大して成功しているわけでもありませんし、ただの一般人です笑。

それでもこうして「今」があるのは、人との繋がりを始めとした「」の要素が大きかったからでした。

そんな「運の良さ」に感謝して、今日もまた生きていきましょう。

僕がここまで生きて来られたのは、運が良かったからだ。その運の良さに感謝して、今日もまた生きていこう。

自分の努力のおかげではない

もちろん、僕自身が頑張ったことも多少はあると思いますが、ちょっと成功を手にした人ほど、

自分の力で、この地位と名誉を手に入れたのだ

と言い張る人がいます。

確かに、僕が公務員である「教員」となれたのは、自分が小学生の頃から勉強を頑張り、努力してきたからでもあります。

でも、当然それだけでなれたわけではなくて、

  • 勉強をサポートしてくれた家庭環境
  • 一緒に切磋琢磨することができた友人たち
  • こんな先生になりたいなと思わせてくれた先生と出会えたこと

などなど、今となっては「信じられないくらいの奇跡」があったと言っても、別に大袈裟ではないと思っています。

こうして教員を辞めて世界一周をし、個人事業主となり、日本の納税制度や政治にまで興味や関心を持てるようになったのも、いろんな出会いと別れがあったからこそでした。

僕の、個人の努力あってこそかもしれませんが、別に謙虚さをアピールしたいからではなくて、「運良く」ここまで来られたと考えるべきなのです。

もっと根本的なことを言えば、この日本に生まれたことも、もしかしたら運が良かったことなのかもしれません。(少なくとも僕はそう思っています)

もし〇〇だったら、もうダメだったかもしれない

そう考えたらキリがないのかもしれませんが、それくらい「今」とは、奇跡の連続の上に成り立っています。

言い方は難しく、

努力してもムダだ

とか、

努力したことを褒めてもらおうなんて、低俗な発想だ

とか、言いたいわけではありません笑。

でも、いつでも “本物” の人たちは、必ず、

自分は運が良かっただけだった

と言います。

そういう人ほど、誰にも見えないところで必死に努力をしてきたのだろうと、逆説的ではありますが、僕はそう感じてしまうのです。

何度も言いますが「謙虚さを出したら勝ち」とか、それがかっこいいとか、そういうことを言っているのではありません。

得てして、

  1. 自分一人の努力のおかげだと思い込んでいる人
  2. 周りの環境やタイミング、運が良かったと思えている人

では、圧倒的に「人格」が違います。

だったら僕は、後者がいい。

そうやって周りに感謝できる、そんな聖人を目指していきたいのです。

いつでも自分の努力だけで成功したのだと思わないことだ。ここまで来られたのは、たまたま運が良かっただけなのだ。

運と行動で生きてゆく

先述したように、

運が良かった

と言っているだけで、「それなりの生活ができている」というわけでもありません。

みなさん当然働いていますし、努力されている毎日かと思います。

そこで僕は、2つの軸を持っておくべきなのかなと思いました。

  1. ただ努力を積み重ねてゆくこと
  2. 成功したとしても運が良かっただけだったと思うこと

です。

要は、裏にはやはり「努力を積み重ねる」という、シンプルな行動があるということなのです。

serendipity」(=引き寄せの法則、偶然の幸せ)という言葉があるように、努力があるからこそ、そうした出会いや良い巡り合わせがあるというもの。

何度か書いてきたことですが、

何もしなくても、ただただ運だけでここまできた

ということもまた、さすがに言うことはできません。

だから、

自分は自分のやるべきことをやってきただけであり、そこに運も味方してくれたのだ

と思うようにしています。(でも成功はしていない笑)

運に感謝することと、「運に頼りっぱなし」になることでは、話が全く違います。

後者はただの「ギャンブル」であって、

いつか誰か助けてくれないか?

と思っているだけの、何も行動しない人の典型です。

「頑張ること」はいつの時代も前提にあり、その努力の上に「運」が乗っかってくるのだということですね。

しかし、その “乗っかってきた運” に対しては、

いやいや、自分の実力ではなく周りの、運のおかげです

謙虚に言えるかどうかということ。

ちゃんと「運」が作用したということも、きちんと自分の成功に加味されているかどうかということです。

運を味方につけるためにも、その人自身の行動は欠かせませんからね。

僕もまだまだ足りない部分が多くて、

運でここまで来られたんです

と言っている人を見るたびに、

この人はすごく頑張ってきたのだろうな

と思っては、もっと頑張ろうと思うようにしています。

僕もまだまだ。

「みてくれ」をよくするために謙虚な姿勢をとるのではなくて、本当の意味で「運のおかげ」だと思いつつ、今日もまた行動に移していきます。

運が味方してくれるのは、もちろん行動している人に対して、だ。だからちゃんと、毎日行動していこう。

おわりに

ここまで来られたのも、本当に周りの人のおかげ、あるいは運のおかげだと思っています。

そこに還元するのも僕の役割ですし、たくさん人に英語や生き方を伝えていって、何かの役に立てたらなと感じています。

さて、今日もまた努力していきましょう。

それではまた!

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