こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
誰もがうらやむスーパーポジティブ人間の僕ですが笑、ときには悩むこともあります。
しかし以前に比べますと、
- そもそも悩まなくなり
- 立ち直るのも早くなった
と、ポジティブさにかなり磨きがかかってきました。
それは一体どうしてなのか。
今日は、僕があまり信じてこなかった「運」についてお話をしていきます。
自分は運がいいと思えているか?
僕がポジティブであるために大切にしていることは、何事においても、
と思うようにしているということです。
- ちょうど信号が青になった!
- とても良い出会いに恵まれた!
- たまたま電車がナイスタイミングで来た!
本当に些細なことでも、「自分はなんてツイているのだろう!」と思うようにしています。
ドラゴン桜という受験漫画で、東大へ導く桜木はこう言います。
人生を台無しにしたくなかったら
自分の運を活かすことだ
素直に運を利用しろ
「自分は運が悪い」と思っている人は、大抵何をやっても「運が悪かった」「ツイてない」と運のせいにします。
こうして自分が何不自由なく生きていることが、どれだけ運のいいことなのかに気づいていないのです。(それぞれ事情はあります)
「感謝すること」にも通じてきますが、僕は身に起こる数々の出来事を、できる限り「運のおかげだ」と思うようにしています。
- 失敗を「運の悪さ」のせいにはせず、
- 良い体験をした時には「運がいい」と思うようにする。
一見しますと「ご都合主義」ですが、
と思える人は、言い換えれば常に自分はツイていると思っているということになります。
「そう思うことによって、さらに運が引き寄せられる」
と言ったスピリチュアルなことは言いませんが笑、そのように思えている人は、
- 人生に感謝し、
- 次へと踏み出す力を持っている。
これは間違いないと思っています。
自分に降りかかることは、大抵「運がいい」と思うことです。
ものごとの良い面を捉える力は、人生を活力に満ちたものにするからです。
自分は運がいいと思うことのメリット
自分の人生を「運の悪い人生だ…」と思い始めますと、全てがうまくいかなくなってネガティブ思考の連鎖が続きます。
一方で「運がいい!」と思えている人は、今後の自分の人生を運の波に乗せていける人だと思っています。
人生における、
- いい経験
- いい出会い
を、大切にできる人だからです。
本当に小さなことに対してでも、
と思えれば、そこから一気に視界が広がることもあります。
以前の僕は、ちょっとやさぐれていましたが笑、
- 本との出会い
- 人との出会い
があったからこそ、自分の人生が大きく変わったと思っていますし、
と思っているくらいです。
確かに人によっては、ツラさゆえに自暴自棄になる時もあるかと思います。
そんな時こそ、いつか人生のターニングポイントとなる好機にめぐり会うために、小さなものでも「幸運」に気づくことが大切なのです。
スティーブ・ジョブズが、「人生における点と点が、いつか繋がって線になる」と言っているように、
- 日頃続けている好きなこと
- 仕事や趣味で出会った仲間
など、1つ1つのことに「運」を見出すことは、人生を俯瞰したときに結果的に点と点を繋ぐ力となります。
運も実力のうち。
「運がいい」と思うことは、人生を積極的に突き進んでいることなのだと、僕はそう思うのです。
人生はほとんど運?
パナソニックの創設者である松下幸之助は、こんなことを言っています。
ぼくは決して運命論者ではありませんが、
やはり人間には運というものがあるように思うのです。
それは何も、
という態度ではありません。
彼は「運」の存在についても認めている一方で、当然のことながら努力の大切さも説いています。
ただ、運命などの「人ひとりではどうにもできない力」が働いていることを、意識はしていたようです。
以前の僕は極端な考え方を持っていまして、
と思っていたものでした。
それは人生における運や運命、あるいは使命について何も考えずに、力技でどうとでもなるという考え方でした。
確かに、努力することは人一倍できました。
しかし、それでは視野が狭いということにも気づかされました。
どうしても「宗教チック」に聞こえてしまうのですが、自分の人生について考え始めてからというもの、
「いかに自分が恵まれ、いかに幸運なのか」
ということに気づき、感謝するようになりました。
そのような記事を書くようになったのは、「自分の境遇の良さ」に気づけたからでした。
まずはこの考え方の土台がないと、努力しても空回りします。
自分の運命を受け入れることができず、小手先だけで人生をなんとかしようとするからです。
と思ったこともたくさんありました。
それは、自分にすでに降りかかっていた「幸運」に気づけていなかったからです。
と思うようになってからというもの、努力によって変わることができることが、実は本当に小さな部分でしかないということに気づきました。
決してネガティブに考えていたわけではありません。
その小さな部分だけでも、「精一杯努力しよう」と思えるようになったのです。
スヌーピーにも有名な名言がありますね。
You play with the cards you’re dealt.
…Whatever that means.
配られたカードで勝負するしかないのさ
…それがどういう意味であれ
僕らの人生は、ある程度「運」が支配している世界かもしれません。
ただ、それを受け入れて努力することは、自分の運命や人生をまるごと受け入れて、積極的に行動していくことです。
僕も運命論者ではありません。
それでも、「小さな運が積み重なっていること」を意識することは、人生の見方を180度変えてくれると思っています。
おわりに
あまり「運」について書いたことがなかったのは、「運」が証明できるものではない「非科学的なもの」だったからでした。
でも僕がこうして運について書いたのは、みなさんにも一度人生について考えていただきたかったからです。
特に日本は、物質的にもインフラ的にも非常に豊かな国であるはずなのに、どこか心が貧しい印象があります。
今朝も駅構内で歩く人々を見ていましたが、どこかイライラしており、ぶつかるのも気にしない勢いで歩いていました。
- 焦燥感
- 圧迫感
- やりきれない気持ち
そんなネガティブな想いが伝わってきて、駅で吐きそうになりました。
こんなに恵まれている国なのに、時代なのに、一体どうしてなのだろう。
僕はまず、自分と話し合うことを始めてみました。
自分の運命や、今までやってきたことを考えてみると、驚くほど人生が偶然とは思えなくなってきます。
だから少しだけでも、「運」について想いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
何かのきっかけになれば嬉しいです。
それではまた!
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