こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
教員を始めたての頃と、8年間教員を続けてきてからの今とでは、生徒に対する態度や接し方がかなり変わってきたと思っています。
教員を始めたての頃はまだ若かったこともあってか、
- 人気のある先生
- 優しい先生
- なんでも答えてくれる先生
- 相談に乗ってくれる先生
- かっこいい先生
など、いろんな「都合のいい理想像」を描いていたものでした。
こうした理想像を抱き、それに向かって自分を理想像に近づけようとしていました。
それ自体は悪いことではありませんが、今だからこそ思える教師としての、
- 「持つ必要のなかった姿勢」
- 「持っておくべき姿勢」
を考えてみましたので、シェアしていきたいと思います。
「自分が解決する!」と無理やり介入するのはNG
体育館にダンスの練習をしに向かっていますと、大泣きしている生徒がいました。
どうやら部活動(バスケ部)でうまくいかなくて、友人らと言い合って1人体育館から出て行ったようでした。
不満をぶちまけたり、うまくいかない現実に嘆いており、横で他の生徒が話を聞いてあげていました。
以前の僕でしたら「一体どうした?何があったんだ?」と話を聞きに行っていたかもしれません。
もちろん悪くはないアクションです。先生ですしね。
または暴力を伴うケンカやいじめ、事件性の高いものであれば、素通りせずに止めに入っていたでしょう。
聞き耳を立てて通り過ぎた感じですと、どうやら「部活動の話だろうな」ということがわかりました。
部活動にはそれぞれの部活動のやり方があり、顧問の指導方針や部活動内でしか分かり得ない人間関係などもあります。
またあまり話したことのない生徒だったこともあったため、
- 「ここはあえて触れないでおこう」
- 「ちゃんと状況のわかる顧問が来るのを待ったほうが良さそうだ」
とその場を去ることにしました。
ひと通り練習を終えて「さぁ職員室に戻ろうかな」というところで、全く関係のない先生がその泣き腫らしている生徒と話しているではありませんか。
横に副顧問の先生と、先ほど話を聞いていた部活動の生徒がいるのにも関わらず、です。
最初に言っておきますが、必ずしも「関係性の薄い生徒は基本無視するべきだ」と言いたいわけではありません。
ただ例えば部活動などでは、それぞれに事情があるケースが多いです。
無理してその輪に入っていく必要はないなと思っていたところだったので、「え?あなた関係ありましたっけ?」と疑問を持ってしまったのでした笑。
「あれ、あの人担任だったっけ?いや違うな…。もしかして教科担当…?だとしても後ろに副顧問がいるよなぁ…」
話の輪に入っていた教員が年配の方だったこともあって、若い副顧問が一歩後ろで話を聞いている状況に「この人、ひょっとしてでしゃばっているのではないか?」と思いました笑。
- 「自分が話を聞いてやるぞ?」
- 「解決に導いてやろうか?」
と思うのは、先生だとしてもおこがましいことだと思っています。
僕も年数を重ねていくことで、「その態度をとることは、実は違うのだな」ということがわかってきました。
教員という生物は良くも悪くも、
- お世話係をしたい。
- 生徒の役に立ちたい。
- ただのお節介(笑)
という習性がありまして、そこから生徒のいざこざやトラブルに首を突っ込んでしまうケースが多いのです。
今回の件の背景については想像の域を超えませんし、いろいろ理由があってその年配の先生も善意で介入してくださっていたのかもしれません。
しかし部活動でゴタゴタがあったのならば、「それを聞いてやるのは副顧問の先生のほうなのでは?」と率直に思いました。
後ろで聞いていた先生が「副」顧問であったことと「若いこと」もあったため、
「それなら、私が生徒のトラブルを解決してやろう」
と、年配の方が前に出てきてしまったのではないのだろうか?と推測しました。
もちろん「考え過ぎだ」ということもありますし、はっきりと断定はできませんが「一応、僕も気をつけておかなければいけないな」と感じたのでした。
教員はあくまでも「ファシリテーター」
この「ファシリテーター」という言葉は、教育現場でもよく出てくるようになりました。
「あくまで生徒が主体であり、先生たちは生徒たちを『サポートする役目』を担う」
というものです。
何年も教員をやっていますと「この言葉は先生たちのポジショニングに関して、かなりいい按配を示してくれているなぁ」と感じるようになってきました。
特に生徒が高校生ともなりますと、自分のケツは自分でふかなければなりません。
義務教育は終了しており、
- バイトをしたり、勉強をしたり。
- 受験をする生徒もいれば、就職する生徒もいる。
- 部活動をしてもいいし、すぐに帰ってもいい。
など、自由度も中学に比べるとかなり高くなっており、その分責任も重くのしかかってきます。
僕も、生徒から相談が来た場合は積極的に時間を割いて相談に乗ることにしていますが、一方であまり関わりのない生徒に即反応することは、できる限りしないようにしています。
状況が読めないのに突っ込んでしまっては逆効果になることもあるからです。
僕ら教員はファシリテーターですから、緊急性のないことであれば、まず状況を伺ったほうがよく、ほどよい距離感を保つことが良いことだと気づきました。
そこで先ほどの例です。
- そもそも副顧問の先生がすぐに対応してくださっていた。
- 話を聞いてあげている生徒とさらに副顧問がいたので、状況が悪化することはないだろう。
- あまり関係のない僕は入る必要はないな。
と「差し出がましいこと」はしないようにしました。
そこまで考えた上で口を挟まなかっただけに、全く関係のない先生が(それも副顧問を差し置いて!)生徒の話を聞いていたので「おいおいおい!笑」と思ったというわけです。
もちろん僕も「どうした?何かあったか?」と声をかけることはありますが、「自分が問題を解決してやるぞ」という意気込みは持ち合わせないようにしています。
- 一緒に考えてあげたり
- 悩みを聞いてあげたり
- 解決のための道筋を考えてあげたり
それくらいしかできることはないと、そう思っているからです。
教員に解決できる問題なんて微々たるもの
昔の僕は「教師になって生徒の悩みを次から次へと解決してやるんだ!」と思っていたものでした。
しかし実際の現場に出てみると、僕ら教師ができることなんてこれっぽっちもありませんでした。
ただ、教師という存在が大切であったり、救われたりする場面も確かにあります。
僕がもっておきたいスタンスとは、僕ら教員は生徒の人生や生活を大きく変えることはできないというものです。
- 家庭環境が劣悪である。
- 家庭内暴力を受けている。
- 生活保護を受けている。
- 生徒間の関係性が悪化している。
- 将来の展望がない。
- 不登校気味である。
という事実を目の当たりにした時に、僕らはこれをどれだけ変えることができるのでしょうか。
- 家庭訪問をして親に説教しますか?
- いざこざが起こった時、生徒の片方を殴りつけますか?
- 「もっと将来を見据えろよ。俺が決めてやる」と言いますか?
- 家から引きずり出しますか?
答えはもちろん「NO」です。
というより、これらをしたところで生徒の人生を変えることは不可能です。
それは「彼らの人生」だからです。
「生徒を劇的に変えてやるのが教師の仕事だ」と思うことは、ただの勘違いだったのでした。
ここで「ファシリテーター」という考え方が効いてきます。
生徒たちはそれぞれがそれぞれなりに、「悩み」を抱えています。
彼らに寄り添い、話を聞いてあげることが、僕らにできる「最低限のこと」です。
だから彼らの人生を大きく変えてやろうという、「劇的な変化」を求めなくてもいいのです。
でしゃばって干渉することは、時に「余計なお世話」になってしまいかねませんから。
ただ、
- 日々心配してやったり、気にかけてやったりすること。
- イベントや行事などで「黒子」として裏で動き、たくさんサポートしてあげること。
- 「相談したいことがあったらいつでも来な」という懐の広さを持つこと。
- 人間関係や将来の悩みを聞いてあげ、様々な道を示してあげること。
これらの姿勢を持つことで、先生たちの気持ちは生徒たちにもしっかりと伝わります。
そうです。
小さくであれば、生徒の人生に影響を与えることは可能なのです。
「先生たちは君たちの人生を生きることはできないけれど、いつもそばで支えているからね」
という気持ちを持つことが、教師として大切なのではないかなと思っています。
おわりに
今日ふと目にした状況を改めて考えてみますと、やっぱり先生ってお節介な存在なんだなと思いましたね笑。
その年配の先生の首の突っ込み方も、「まぁ別に悪くはないのかもな」と思いました。
「誰かの役に立ちたい」と思うことは、とてもいい姿勢ですしね。
ただ「勘違い」だけはしないようにしておきたいところです。ここが今日一番伝えたいことなのかもしれません。
- 先生という立場上、傲慢になってしまう。
- 「自分はなんでも解決できるスーパーマンだ」と勘違いする。
- 状況を考えずにとりあえず首を突っ込んでしまう。
- 生徒と同じ土俵に立ってしまい、感情的になってしまう。
などでしょうか。
僕もこれらの経験が山ほどありました笑。
だいぶ落ち着いてきました(?)が、これからも「教師としてのスタンス」をしっかりと持っておきたいと思っています。
先生も人間ではありますが、時にその立場の在り方、アプローチの仕方などをこうして客観的に考えてみるのも、大切なのことなのではないでしょうかね。
みなさんの考える材料になればと思います。
それではまた!
コメント