いつまでも戦い続ける男でいること【謙虚さと自信を持つ姿勢】

投資

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、ある高校生が授業に入ってきました。

純ジャパでどれだけの英語レベルになれるのかってのを知りたくて、ずっとせいじさんを待ってたんですよ

と言われ、

は、はぁ…

と戸惑いながらも、どうやったら英語がしゃべれるようになるのかについて、時間内でたくさん伝えておきました。

こういった類(たぐい)の声とは嬉しい声ですが、一方で、

超テンション上がったわ!頑張ろう!

とは思いませんでした。

今日は「謙虚さと自信」について書いていきます。

戦う相手は他の誰でもない。自分自身だ。あとは継続的に努力をしてゆくだけなのだ。

褒められたくてやるのではない

こうした言葉は純粋に嬉しいですし、

よし、頑張ったろう!

と思うものです。

若かりし頃の僕は、どうしてもこの「褒められたい」という気持ちが強かったものでした。

しかし不思議なことに、こうして英語の勉強を頑張り、いくつか資格試験を通ったことで、

やっとスタート地点に立てた…

という実感を持つと同時に、以前よりも褒められたいという気持ちが全くなくなってしまいました。

それからというもの、

すごいですね!
どうやって勉強したんですか?

と言われても、

いやぁ、まだまだです汗

と、「心の底から」思うようになりました。

だって本当に「まだまだ」だと思うだからです。

謙遜して言っているわけではなくて、

本当に勉強を続けないと、英語は落ちる

と知っているのです。

僕の友人の帰国子女や英語ができたであろう人たちは、勉強しなくなってから全然話せなくなっていました。

彼らと比べるわけでもないですし、別に敵対視しているわけでもありません。

ただ、

自分は続けないと、彼らのレベルには到達できない

と思っているだけです。

高校生から尊敬の眼差しで見られたことは嬉しかったのですが、

いやぁそうは言っても、もっともっと頑張らないといけないのよ

と感じていました。

もはや、褒められたくてやっているのではありません。

  1. 自分のやらなければいけないことをやって
  2. ただただ自分の成長を積んでいっているだけ

なのです。

本当にすごい人なんてもっとたくさんいます。

だから僕は今日も英語を教え、他の言語の学習も続けるのです。

いつからか、褒められることはどうでも良くなっていた。それよりも、自分の成長のほうに意識が向くようになったのだ。

ずっと謙虚に

僕が「褒められたかった時」とは、同時に謙虚さを欠いていたとも思っています。

大して勉強もしていなかったくせに、

俺はここまで勉強してきたんだ!

と、自分の才能を過信していたのですね。

謙虚さがない時とは、

  • 傲慢さ
  • 承認欲求

が生まれるものです。

そのフェーズを超えてくると、

あぁ、自分はまだまだ足りてなかったのだな

と、過去の自分のアホらしさに気づけるようになります笑。

これは別に、自分のことを卑下しているわけではありません。

後述しますが、別に自信がないわけでもないのです。

ただ、勉強をすればするほど、むしろ資格を取ってからのほうが、

自分ってまだまだじゃない?

と思うようになりました。

若い頃の僕には、「謙虚」という姿勢がほとんど欠如していましたが、今では、

まぁ、こんなものだろう

と思いつつ、まだまだ勉強していかなければならないのだと思っています。

本当にできる人とは、

  • 自分の知識をひけらかしたり
  • 自慢することで承認してもらったり

しないものです。

自分はまだまだだと思うからこそ、高校生の彼にも、

この人はまだ今でも勉強しているのか…

ということが伝わったのだと思っています。

先述しましたが、僕は本当の意味で、

  1. 自分にはまだ力がないと感じていて
  2. 今でももがきながら勉強を続けている

という状態です。

自分の英語を褒められることは嬉しいことですが、だからと言って、

やっぱり俺って、すごい?

だなんて思ったことはありません。

今でも「できない自分」に悔しさを感じつつ、勉強をしています。

成長するために、ずっとずっと謙虚でいること。

本当に強い人ほど、常に頑張るものです。

それができなくなった人に、僕も彼も、負けることはないでしょう。

別に勝ち負けの話ではありませんが、

続けていない人になんて、負けるはずがないだろう?

と誰もが感じているのは、間違いありません。

みなさんにも誇れるものがありますよね。

それは続けているからであり、かつ続けているからこそ、

いや、まだまだなんですよね

と、謙虚になれるのではないでしょうか。

謙虚になることができれば、本当の意味でスタート地点に立ったことになる。できる人ほど今でも勉強を続け、成長しようとしているのだ。

自信を持ちつつ必ず成長する

彼も「純ジャパ」として、僕と同じように、

留学をしたことがないのだ

と言っていました。

いえ、

高校生でそんだけ話せたら十分だよ!

と、僕は驚きと称賛の声をあげてしまいました。

その中で彼が言っていたことは、

他の帰国子女たちに負けていて、悔しい思いをしている

ということでした。

僕も同じような気持ちを持っていたために、彼にアドバイスをしました。

どんなに経験のある人であっても、続けていなければ力は落ちる。帰国子女でも、最後まで続けていたやつらのほうが英語はうまかった

と伝えました。

  1. 誰よりも勉強し
  2. 学び続けていなければ

帰国だろうがネイティブだろうが、言語能力は自然と落ちていきます

ちなみに日本語の言語化能力に関しても、日本人の間ですら圧倒的に差があるのは、みなさんもご存知かと思います。

だから僕は、

  1. 帰国子女にはないほどの文法の知識
  2. 独学で得た英語学習のノウハウや経験

を武器にすることができました。

偉ぶるつもりはありませんが、帰国子女やネイティブが答えられないことも答えることができたり、難しい語彙や文の読み方についても教えられたりするのは、勉強の賜物だと思っています。

何度も言いますが、これは、

「誰かと比べていることで得られる優越感

からくる自信ではありません。

自分なりに勉強し、積んできたからこそ得られる “自信” なのです。

日本人はよく、この「自信」を蔑視する傾向にあります。

でも自信がない人から、何かを教わりたいと思うでしょうか。

  1. 謙虚なのだけれど
  2. ちゃんと自信も持っている

この「同時に存在することのなさそうなもの」でも、両方持ち合わせておく必要があります。

だから僕は、彼に伝えました。

自負できるくらい勉強していれば、いつかは周りの人たちも抜かせるし、そんなものどうでもよくなる。もっと、自分のことを見るようになる

と。

他人のことが眼中に入らなくなるくらい、やり切ってみること。

それができてからが、スタートなのです。

僕の他言語学習もまた、同じなのだと。

たくさんの言語をしゃべれる人なんて周りにはたくさんいる。だけど、それと自分の成長は全く別の話なのだ

僕はそう思っていますね。

自信を持つことを悪く思う人がいる。これによって周りから信頼を失うだけでなく、自分の成長も感じられなくなる。だから自信を持てるようにするために、ずっと勉強していこう。

おわりに

尊敬されたり褒められたりすることはとても嬉しいことですが、僕は人から褒められたからと言って「神格化されること」がキラいです。

「傲慢になった自分」は成長をやめ、逃げたり保守的になったりしてゆくと思うからです。

褒められたくてやっているだけでは、二流、三流です。

  • 一流であるために
  • 自分の成長のために

また今日も明日も頑張っていきますね。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました