こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、生徒さんと話していますと、どうやらいろいろあって一度休職をしたようです。
日本ではこうしたことが頻繁に起きていて、
と思ってしまいます。
では、かく言う僕はどうだったのか。
思い返して見れば9年間、教員人生を駆け抜けてきましたが、人生の中で「休んだな」と思えたのは、コロナ禍の時でした。
あの時は、僕にとって本当に必要な時間だったのだなと思っています。
今日は「休むこと/必要な時間」について話をしていきます。
考える時間

僕にとってはコロナ禍が、自分との対話の時間でした。
- コーヒーを片手に
- 冬の晴れた日や雨の日に歩いてみること
これをしていたことで、だいぶ自分の中で整理ができたものでした。
音楽も聞かずに街の音に耳を傾けてみて、空を見上げ、
と考えるのです。
たくさん…たくさん考えましたが、最もらしい答えは出てきませんでした。
でもそんなもの、自分なりに探していけばいいのです。
だから僕は、いまだに「考える時間(=自分との対話の時間)」をとるようにしています。
それは、
- お風呂の中でもいいですし、うるさいカフェでもいい
- サウナでもいいでしょうし、静かな自分の部屋でもいい
大切なことは、答えを出すことではありません。
じっくりと自分と向き合い、「どうあるべきか/どうしていきたいのか」を考えること。
今の日本人には、圧倒的に “このような時間” がないのではないのかなと思います。
僕も一所懸命働いていますが、それでもどこかで、必ず “そういう時間” をとるようにしています。
何かに行き詰まったら、近くの公園を歩いてみてください。
秋や冬の晴れた日、あるいは雨がしとしとと降る日でもいい。
静かな公園や街中で空を見上げるだけでも、
と、ふと笑えるものですからね。
マインドフルネスがやたらもてはやされていますが、じっくりといろんなことについて整理するマインドレスな時間も大事です。
いずれにせよ、まずはそんな時間を確保することが大事ですね。
人に愛を与えるために

人間、自分に余裕がなくなってくると何もできなくなるものです。
人によっては、
と「被害者ムーブ」をかます人もいます。
そうなってしまいますと、逆に人はどんどん離れていってしまいます。
今でもたまに見かけますが「いかに自分が惨めか」を説くことで、人に助けてもらおうとしてしまう人とは、一定数いるものです。
本当に大変な人、余裕のない人とは、”そうしたこと” すらもできなくなってしまうもの。
だから、僕がこのブログで書いてきて思うのは、
だということです。
そのために自分で考える時間を取ったり、たまに自分にご褒美をあげたりするのです。
自分を労(いた)われなければ、他人を助けることはおろか、人の意見を聞くことすらもできなくなってしまいますからね。
そうなってしまわないよう、まずは自分に余裕を持てるようにすることが大切です。
世界の偉人を見てみますと、
と説く人もいます。
全てを否定するわけではありませんが、まずは自分の生活や感情を安定させることではないでしょうかね。
職場やコミュニティでの人間関係に摩擦が生まれ、何もできなくなっている人に対して、
というのは酷(ひど)すぎますし、オーバーキルです。
「余裕のある人」とは、自分の中で「足ること」を知っており、余ったエネルギーを人に分け与えてあげることのできる人。
僕も教員の時は、経済的に余裕があったはずなのに、なぜか他人に当たり散らかしていました。
それだけ「心に」余裕がなかったのでしょう。
自分なりの答えが出ていない時、自分の中で何も考えていない時とは、ふらふらしてしまうもの。
そうならないためには、まずは余裕を持つことですね。
それから人を愛せばいいのです。
「生きること」にフォーカスする

僕がこの「自分時間」を大事にするようになったのは、「生」をそのままに感じることの大切さを学んだからでした。
自分に集中することで、言ってしまえば「哲学的な」考え方をするようになります。
と。
こうした疑問を投げかけることは、とてもいいことです。
どんどん突き詰めていけば、現状や人との関係値に対して、様々な考えを巡らせるようになります。
あえて「哲学的な」と言ったのは、それが、
- 特別「崇高」なわけでもなく
- 一方で皮肉っているわけでもない
からです。
僕は以前にも、
と書きました。
いろんな人がいてもいいのですが、基本的には男女は生物的にそれぞれが惹かれ合うものであり、
- 何かを食べて生きる
- 異性を見て興奮する
- 家族を持ちたくなる
- 赤ちゃんを見ると守りたくなる
のは、人間はどこまで行っても “動物” だからです。
哲学的に考えることは、実は意味のないものであるのかもしれませんが、それは同時に人間の根源について考えることにもなります。
特に日本にいますと、
とレールを敷かれることも多いです。
大切にしなければならない伝統や文化があることもわかりますが、一方で改革や変革、発展がなければいけないのもまた事実です。
そうやって「今を生きる」ということを考えることは、現代だからこそ必要なことなのではないかなと。
僕は僕なりに答えを出していて(まだ探求中ですが)、みなさんはみなさんなりの解釈や意見を持っていればそれでいい。
でも、どこかで自分と向き合う時間を持っていなければ、
- 社会の常識にとらわれたり
- あるべき姿を求めすぎたり
- 自分をただただ追い込んで傷つけたり
してしまうと思うのです。
難しいことを考えなくてもいいのですが、遡(さかのぼ)って、
と考えることは、凝り固まった視点に「新たな視点」をくれます。
その上で、
- 本を読んだり
- 人に相談したり
してみて、また自分の考えを深めてゆく。
再びまた自分の時間をとって(自分に返って)、”余裕” を作ってゆく。
これが大事だと思っています。
僕は結果的に、コロナ禍から少しずつ幸せになりました。
それは何より「生きること」についてたくさん考え、今でもずっと考えているからなのかもしれません。
おわりに
しんどい人をたまに見かけます。
どこにも捌(は)け口がなくて、それがストレスとなり、潰れてしまう人です。
- 人に話すこと
- 運動すること
- リラックスすること
など、いろんな手法をとることが大事です。
特にオススメするのが、今日書いたような自分時間での対話です。
ぜひやってみてはいかがでしょうかね。
それではまた!
