人間はずっと前から何も変わっていない【正解のない世界だから議論を】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日から大阪に泊まっていますが、相変わらずいろんな人とお話をさせて頂きました。

おかげさまで、再び考え方をアップデートできている毎日です。

人と話すことは、「読書」と似ていると思っています。

他人が新しく仕入れた情報を、簡潔にまとめてもらいながら、吸収することができるからです。

大阪でもいろんな人とお話をしました。

今日は「人間はずっと変わらないからこそ、議論をしていこう」というトピックで、書いていこうと思います。

人間はずっと変わらない。でも正解のない世界だから、自分の思うままに生きてみよう。

人間の本能は変わっちゃいない

友人たちと話していた時に、

人間は1億年以上前から、何一つ変わっちゃいない

そう聞かされました。

僕はその意見に概(おおむ)ね賛成です。

社会は豊かになりつつありますが、

  • 人間の根源的な性欲や食欲
  • 幸せになりたいと願うこと

などは変わっていないと思うからです。

昭和の様子を映したドラマ、「不適切にもほどがある」を拝見しましたが、

なるほど。時代は変わっても根源的な部分は変わらないのだな

そう感じましたね。

  • 人を愛したり
  • 美味しいものを食べたり
  • 豊かになるように技術が革新していったり

と、社会はいつまでも変わらずに発展し続けていますよね。

社会が豊かになったことで、ソーシャルメディアや「エンタメ」が増えてしまい、

それを楽しむだけでもいいや

という世界になりつつもありますけれど。

そうした変化はありつつも、やはり人のアナログな部分は変わることがありません。

デジタルでカバーしきれないことがまだまだあるのは、僕らが有機体であるからこそ。

根源的な欲求は変わることなく、僕らはいつまでも、

  • 起きて
  • 食って
  • 子どもを作って
  • また寝て

を繰り返していくのです。

いろんな趣味趣向はあるにせよ、この点を否定できる人はいないのではないかなと思っています。

ベジタリアンだとか同性愛だとか、セックスに興味がないだとか、アナログの中でもコスパを優先したりだとか、現代らしい考え方も生まれてはいますが、実は昔から「そういう人たち」がいなかったというわけではありません。

だから僕は、現代がはらんでいる問題もあるとはいえ、

根本的に人は変わっていないんじゃないかな

そう思っています。

人間の根源的な欲求やアナログな部分はずっと変わっていない。僕らが有機体である以上はそうなのだ。

正解のないことが「正解」

友人たちと話していますと、「人間の変わらない部分」はある一方で、

多様性に富んだこの世界に、正解はないのか?

という質問を受けつけることがあります。

結論から言えば、僕は、

正解なんて個人で決めればいい

そういうスタンスです。

それだけ、人の考え方は多岐にわたっていて、もはや「何が正解なのか?」を問うこと自体がナンセンスとなってきました。

以前のように「テレビ一強」という時代はとうに過ぎ去り、ほとんどの若者がテレビよりもSNSやエンタメの情報を得るようになりました。

それが意味することはつまり、

  1. 誰もが簡単に情報を得られるようになり
  2. 自分にとっての「正しい」を取捨選択できるようになった

ということです。

「正しさ」とは、倫理的なことも含めて、

それが正解とは限らない

という考え方が、当たり前の時代に突入してきました。

アナログ的な欲求に逆らう人々が続々と出てきたわけですが、先述した通り、もともと「そういう人たち」はすでに多く存在していたのです。

社会が変遷していく中で、やっと市民権を獲得したのだ

それだけのことなのです。

だからある意味、「多様性」そのものは昔からずっと変わっていない。

今までの世間にはびこっていた「社会通念」、例えば、

  • 女は家事と子育て
  • 男は外で肉体労働

といった偏見を作り上げ、勝手に、

それが正しい。そうあるべきだ

と、まるで「洗脳」されていただけなのです。

もちろん、自分の目指す「男らしさ」「女性らしさ」、あるいは「自分らしさ」を信じ、それに向かって日々精進していくこともまた、現代であっても素晴らしいことです。

そこに多様性が生まれたのは、それだけ情報が飛び交い、「自分の理想像」を簡単に手に入れられることができるようになってきたから。

特に日本や先進国では、そうした「多様性」への理解の浸透度が、非常に高いのだと思っています。

こんな時代だからこそ…いや、むしろずっと昔から、多様な生き方は存在していたはずなのです。

正解のない世界で、僕らは正解を求める必要がなくなりました。

  • 自分の生きたいように生きることも
  • 他人のレールの上を生きていくことも

どれも「正解」であり、あとは勝手に理屈を後付けすればいいだけのこと。

極論はもはや、「人生は個人に委ねられる」ということ。

正論や正義はいつの時代でもありますが、それぞれが思う「正義」を信じ、人に押し付けることなく歩いていってよいのです。

現代は、いやむしろ昔から、正解なんてないのだ。

だから議論をしよう

なんだ。正解なんてないんだから、せいじは無駄に人と話して時間を消費しているだけなんだ

そんな風に思われる人もいるかもしれません。

ただ僕は、

だからこそ、議論することに価値がある

そう思っています。

なぜなら、

  • 他人の意見を聞いて新たな知見を獲得したり
  • 自分と違う意見を知って自分を見つめ直したり

することこそが、人生において大切だと思うからです。

僕がこうしてブログを書き続けるのは、「幸せ」や「人生」を自分なりに突き詰めていきたいからなのかもしれませんね。

人と話していますと、

せいじはいつ話しても、ほとんど軸が定まっている

と言われます。

それは何より、

  • 多くの人と議論を重ね
  • 今でもいろんな人とたくさん話し
  • 時間のある時は「インプットとアウトプット」を繰り返している

からでしょうか。

そうして「軸」を定めながら生きていますと、「迷い」がなくなってきます。

「迷い」がなくなることで、全ての時間や労力を「自分のやりたいこと」にフルべットすることができます。

足るを知るようになり、何が自分の幸せかがわかるようになります。

偉ぶるわけではなく、こうして1,000回以上も自分の思考を精査して捻り出してきた僕ですから、他の方々より思考の整理が終わっているのも当然のことなのです。

自分が何をしたいのかわからない

これはごく自然のことである一方で、僕にはみなさんに伝えたいことがあります。

自分と、他人と、死ぬほど対話すればいいのだ

と。

ただインプットに徹するだけでなく、自分の意見を「出す/アウトプットする」ことで、

それってどういう意味?

と質問が飛んできたり、

あれ?自分が今言ったことって、自分で煮詰めた内容だったっけ?

と、考え直すことがあるからです。

正解のない世界、つまり多様性が正義と認識されたこの現代社会では、自ら「正しさ」を見つけにいかなければ、あっという間に人生が終わってしまいます。

だから、

  • 自分と
  • 他人と

議論をしましょう。

  • 昔から多様性は存在していた
  • 根源的な本能は変わっていない

そしてそれらの「事実」を受け入れる「社会基盤」は成長を遂げ、整い始めました。

自分が何者であり、何を求めているかは、一朝一夕でわかるものでもありません。

自分に問い続け、いろんな人の生き方を参考にしてみましょう。

そうすればきっと、答えのない世界で「自分なりの答え」を導き出すことができるでしょうから。

人間の根本は変わっていなくても、社会はそれを受容できるほど成長を遂げてきた。さぁ、議論を始めようか。

おわりに

人と話せば話すほど、僕はブログで書きたいことがどんどん増えてきます。

自分の思考の整理だけでなく、

誰かの何かの役に立つ

そう思って、趣味として続けています。

だから僕は幸せになることができましたし、「さらなる幸せ」も求めています。(たぶんもうほとんど幸せですが)

正解のない世界で、たくさん議論をしていきましょう。

それがきっと、自分自身の生き方に、あるいは人の生き方に、影響を与えてくれるはずですから。

それではまた!

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