こんにちは。
またもや旅日記です。
僕は最近様々な美術館に行っているのですが、緊急事態宣言の合間に大宮に行く機会があったので、大宮盆栽美術館に行ってきました。
なぜ僕が盆栽という今まで1ミリも興味を示さなかったところに行ったのか。
まとめていこうと思います。
敬意を払う
埼玉は土呂駅から歩いて5分。
千葉にあるホキ美術館も土気駅でしたが、なんか「土」のつく駅に行ってばかりのすずきです笑。
もちろん起床は朝の6時半です。
入って出迎えてくれるのがこの盆栽。先に申し上げておきますが僕は盆栽については一切知識がありません。
まじまじと見るのも初めてです。
入り口に「盆栽とは〜」という説明書きがあり、しっかりと読んでふむふむと思っていたのですが、学んだことは全て2日後に忘却の彼方へと飛んでいきました笑。
美術館自体はとても小さいのですが、中庭にはものすごい数の盆栽が堂々とかざられており、畏怖の念を持たざるを得ませんでした。
ここで僕が驚いたことは、盆栽達のその圧倒的な存在感です。
僕の大好きな伊坂幸太郎さんのマリアビートルという作品の中に、こんな名言があります。
古くから存在しているものには、敬意を感じる。長く生きていることは、それだけで、優秀だってことだ。
日本でも昔から老人は敬え・大切に扱えという言葉がありますが、その言葉をまさに肌で感じた瞬間でした。
翻って「盆栽」というものに目を向けてみますと、人間とはまた違った魅力があります。
樹齢を見てみますと、数百歳とかザラでして、僕より年上の方々がバンバン出てきました。
職人さんによって整えられたその形はえも言われぬ美しさを漂わせており、美術作品が好きなすずきとしては「あぁ、これは一種の美術作品でもあるのだな」と感じずにはいられませんでした。
小さな鉢の上に「長い歴史」と「広大な世界観」が乗っかっていると思うだけで、吸い込まれていくような感覚を覚えました。
とにかくその存在自体が崇高なものであり、その堂々と屹立する姿にため息が漏れるばかりでした。
長く生きるということは数々の困難を乗り越えてそこに存在するということ。
それがどんな形であれ、長く生きたものの成せる業であり、多くを語る必要はありませんでした。
美術作品ですら、美術に精通していないすずきが感動するものですから、盆栽であっても全くの素人が見ようがすごいと思うものです。
BONSAI、すげぇ。
初めての経験でしたが、素人なりに多くを得られた日でした。
大宮公園・氷川神社・SPA HERBS
実は大宮は盆栽の街らしく、南下して大宮公園に向かっている途中にも無料で盆栽を公開している庭がたくさんありました。
いくつか入ってみると、若い男性が盆栽を見にきたものですから、こぞって盆栽のワークショップを勧められました笑。
丁重にお断りしましたが、こういうのに興味のある若者も世の中いるんだろうなぁと思って歩を進めました。
コンビニで適当にお昼をとって、いよいよ大宮公園へ。
先に言っておきますがこの公園は散歩する場所としてかなり評価が高いです。
広々としていますし、池もありますし、秋に来れば紅葉がかなり綺麗だと思います。
すずきは甘酒を買ってゆったりと散歩し、ついでに氷川神社にも寄りました。
ここもまた神社としてとても有名で、多くの人がお参りにきていました。
そこでまた作戦会議(参加者約1名)をし、近くにあるSPA HERBSを目指します。
さすが地方のスーパー銭湯(失礼)、広くて居心地がVery Good◎
1月の初旬だったこともあり、外気浴は寒かったので寝転び湯で空を眺めながらととのいました。
確か4セット決めたと思います。
するとその綺麗な空と地方ならではの空気に感動し、うっすらと涙を浮かべてしまいました。
総じて、大宮、めっちゃいい所じゃないですか。
最高の埼玉小旅行となりました。
以前に川越の小江戸や長瀞(ながとろ)にも行きましたが、こうして埼玉の中でも都会の部類に入るところを旅するのもまた乙なものです。
体験に価値を見出す
最近、ひろゆきさんの1%の努力という本を読んだ時に「みなさんは一週間の内に、何か新しい体験をしているか」という問いかけがありました。
彼は見たこともない初めてのものには、できる限りお金を払うようにしてきたそうです。
僕はここ数ヶ月、この問いに迷わずにYesと言えるようになりました。
毎週できる限り余裕を作り、できる限り違う場所を目指して行くということが僕の習慣ならぬ「週」慣となりました。
この大宮への旅も神奈川から東京を縦断してまで行ったものですから、「何してるの?」と言ったツッコミもあれば、「お前盆栽なんかわかんねぇだろ」と盆栽で殴られてもおかしくない行動でした。
ただ、見たことないものを見に行くというこの時間こそが、僕にとってすでに価値があることに気づきました。
今まで倹約だの節約だのという枠に囚われていた自分。
そんな自分を解放できているのにも正直驚いていますが、圧倒的に幸せを感じています。
長い人生とはいえ、若い時にしか体験できないこともありますよね。
今僕ができることは、コロナ禍という制約された状況で目一杯「体験」を積み重ねていくことだと思うのです。
飲み会やイベントがなくなって、一人でご飯を食べたり行動したりすることが多くなりましたけれど、意外にもこうして自分だけに集中して自分のためにお金を使うことができる時間は、人生で初めて確保できたものかもしれません。
大宮の盆栽なんて昔の多忙な僕だったら、絶対に行ってません笑。(大変失礼)
でもこうして自分の時間を使って埼玉に行ったことで、絶対に関わることのなかったはずの盆栽というカードが、1枚だけですが手札に飛び込んでくることとなりました。
これだけで話のネタが一つ増えたのです。
おわりに
僕は食わず嫌いで、ルーティン化された日常を好んでいました。
いつかどこかで自分の鬱屈とした生活に限界が来て、多くを知らないまま一生を終わっていくところでした。
でも全く具体的なプランも考えずに、こうして前夜に作戦会議をしてフラッと大宮に行ってしまうだけで、新しいことに対する挑戦のハードルがグッと低くなりました。
じっとしてられないなら海外にでも行ってろと言われそうなので、いつか旅に出ます笑。
近い将来に気兼ねなく海外旅行できる日常が戻るといいなと思うと同時に、今だからこそこうして自分と向き合える時間があるのだろうなとも感じています。
アフターコロナの世界で、果たしてすずきはどこまでこの生活を変えて行くのか。
自分でもわからなくてワクワクしますね。
皆さんもぜひ、毎週なにか新しい体験にお金をかけてみてはいかがですか。
それではまた!
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