こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
昨日の1月16日は、僕の父の命日です。
今でも父の顔をふと思い出しますと、目頭が熱くなります。
あれから一年が経ちましたが、この世界は目まぐるしく動いています。
- 日本でも
- 世界でも
多くの政治家や活動家が動いていて、日々グローバリズムと戦っております。
僕もこの一年ただただ一所懸命、個人事業主として2年目を生き抜いてきましたが、いつも考えることは、
ということです。
この平和な日本で、何か特別な事件に巻き込まれることはほぼありません。
それでも、何が起こるかわからないもの。
また父のことを考えながら、ブログを書いていきます。
変わらずに最期を意識する

昨今の世界を見ていますと、本当に心が痛くなります。
と思わされるようなことが頻発しており、かけがえのない命も失われています。
よく「大袈裟(おおげさ)だ」と言われますが、人生とはいつ終わるかわからないものです。
と、医療従事者の友人に言われたことを覚えています。
と言っている僕を、もしかしたら、
と思う人もいるかもしれません。
もちろん、僕だって “その可能性” を考えているだけであって、
- 明日やるべきこと
- 今月や来月の予定
に思いを馳せることだってあります。
とはいえ「明日死ぬかもしれない」と思っていなければ、公務員を辞めて世界一周をしたりはしないでしょうから、「リミット」については考えているということです。
大切なのは、いつでも「可能性」を考えておくことです。
そうやって少し考えるだけでも、今を一所懸命生きる理由になるのです。
精一杯生きてゆくこと

僕は個人事業主として2年めを終えるところですが、
- 教員としても
- 個人事業主としても
僕なりに一所懸命生きてきたつもりです。
ただ、学校教員になった瞬間は、まだ学生気分が抜けずになめて仕事をしていました。
いろんな経験が重なり、世界を俯瞰できたことで、
そう思い、教員を辞めて世界を一周したのでした。
僕の中では、これだけでも大したものでしたが、いざ終わってみますと、
と思ってしまうものでして。
人間とは、常に欲に塗(まみ)れているのですね笑。
ここ最近で僕が思うことは、
ということです。
投資を始めた頃は、
ということに、神経を集中していたものでした。
もちろん、お金の勉強自体はやっていて良かったと思っていますし、今でも高配当株の記事は四半期に一度、書くようにしています。
お金について考えなければ搾取されますし、お金について考えていたからこそ、僕は財務省解体デモにも興味をそそられましたしね。
ただ、”それ(=お金)” だけに注目してしまいますと、
- 効率化すること
- 金銭的な豊かさ
などに目がいってしまい、近くにある日常の大事なものに気付けなくなるのです。
いつでもバランスとは大事なものでして。
僕が個人事業主を始めた時は、
という切迫感がありました。
しかし一年目で多くの生徒を抱えた僕は、
と思ってしまい、
と、その「自由度のなさ」を思い出してしまったのです。
大切なこととは、いつも「自分」にしかわからないもの。
- 誰が偉いのか
- 何が正しいのか
と決めたいわけではありません。
ただただ毎日を生きてゆくこと。
「これ自体が奇跡であり、素晴らしいのだ」ということに気づければ、
と思えるようになるのですね。
感謝すること

誰かがいなくなったことを考えることは、逆説的ですが「自分の生」を考えるきっかけとなります。
今日も日本という国の土地を踏み、美しい空を見て、新鮮な空気を吸う。
僕はそう思うのです。
と揶揄(やゆ)されても構いません。
僕は「最期」を考え始めてから、毎日の輝きに感動するようになりました。
特に父がいなくなってしまったことも、僕の人生に大きく影響を与えましたが、一方で「これぞ人生だ」とも思いました。
ものごとには、必ず「終わり」があります。
先述したように「一所懸命生きること」がまず第一でしょう。
そして何より、今ある人生に「感謝すること」なのではないでしょうかね。
時々「感謝」についての記事は書いていますが、それはなぜかと言えば、今でも『夢をかなえるゾウ』の一節を思い出すからです。
リンク
と。
そのような主旨だったと思います。
僕らが当たり前に過ごしているこの世界、あるいは日本も、最初からこんなに住みやすかったわけではありません。
先人たちが耕し、努力してきて土地を守り、今の文明を築いてきました。
その事実に気付けたら、僕らが感謝しない理由はありません。
一所懸命頑張りつつ、今ある命に感謝すること。
これは「内心」の話であって、
- 僕の心も
- みなさんの心も
誰も知り得ることはありません。
若干スピリチュアルな話にも聞こえますしね。
だから本当に感謝しているかどうかは、本人にしかわかりません。
それでも僕は “今” に感謝するようになってから、世界の見え方が劇的に変わったことを覚えています。
と。
以前の記事でも、この言葉を載せました。
生きたくても生きられなかった「明日」を、僕らは「今日」として生きている。
ありきたりな言葉ですが、僕はとても大事な言葉だと思っています。
この「当たり前」を、『有り難く』生きられるか。
僕はこの姿勢があるだけでも、十分に人として正しいのではないのかなと、そう感じるんですよね。
おわりに
父が亡くなってから早一年。
僕の命もいつかは消えて、それを次の世代が受け継いでいきます。
今僕にできること、あるいは行なっていることとは、平凡なことなのかもしれません。
それでもいいから、ただただ自分のできることをして、感謝して生きていきます。
みなさんは今日を、誰とどのように過ごしますか。
それではまた!
