学習においてアウトプットは必要なのか?【インプット多めのちょい出し】

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こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

だいぶ前ですが、『アウトプット大全』という本を読んだことがありました。

英語学習においては「インプット」が大事であり、

アウトプットはちょっとでよくて、インプットをたくさんしてから

という仮説があります。

これは当然のことではあるのですが、だからと言って、

インプットが終わるまでは、全くアウトプットしなくていい

ということにはなりません。

今日は「アウトプットの是非」について書いていきます。

少しずつでもアウトプットしていくこと。でもそのためにインプットもしていくこと。

インプットが大事なのは大前提

よく、

インプットは大事だ

と声高に叫ぶ人がいますが笑、こんなもの当然のことです。

英語について話そうとしますと、義務教育で勉強してしまっておりわかりにくいので、他の言語で考えましょう。

それ、なんて言うの?

とまずは聞いてから、その表現の発音を真似しますよね。

要は、手持ちの弾(たま)がない状態で発することは、物理的にできないのです。

インプットが大事というか、そもそも必須なのですね。

言語学習においてアウトプットを批判する人たちもいますが、だからと言って「インプットが大事だ」と言われても、

いや、そりゃそうでしょ。そうしなきゃアウトプットできないんだから

と、誰もが口を揃えて同意すると思います。

ただしこれは、

  • 聞いていればいい
  • その国にいれば良い
  • 映画を見ていればいい

ということではありません。

「勉強」することそれ自体が大事ですし、その中で少しずつアウトプットすることも重要です。(後述します)

これを間違えてしまいますと、

インプットしてれば、いつの間にかできるようになる

と勘違いする人が出てきます。

それでできるなら、義務教育で「たくさん英語に触れている子たち」は、すでに英語をしゃべれていなければおかしなことになりますからね。

それだけではできないから、「インプット→アウトプット」が大事なのです。

これをわかっていない人たちが、どちらかを極端に支持するようになってしまいます。

どちらも大事ですし、インプットがなければアウトプットができないことなんて自明の理です。

その大前提に立った上で、

ではアウトプットは必要なのか?

について考えたほうがいいわけですね。

インプットが大事なのは大前提だ。そこから切り取ってどちらが大事かを問うことは、正直ナンセンスだ。

少しずつアウトプットすることの良さ

ではアウトプットは必要なのか。

結論、僕は必要だと思っています。

ただし、ここにはいろんな要素が絡んできます。

例えば、極端な「インプット派」に立ったとして、

十分なインプットをしてからじゃなきゃ、しゃべっちゃダメだよ

というような意見があるとしましょう。

でも、そもそもこれってどこまでが “十分なインプット” なのでしょうか。

そう。

ここに定義はないのです。

そうだよ!じゃあいつからアウトプット始めればいいんだよ!

となりますよね。

“Good morning!” という表現を聞いて、マネして発音をしてはいけないということでしょうか。

そんなことあり得ませんよね。

すぐに練習したっていいですし、聞いたことをマネすることが、言語習得への最短の道のりですから。

また他の要因として、

会話をしてみたい!

という「気持ちの面」もあるというを忘れてはいけません。

英語初心者の人があまり英語を話せない場面を見て、

もっとインプットしてからアウトプットしろよ…

と思う人はいるでしょうか。

いませんよね。

彼/彼女なりに伝えたい気持ちがあって、それを拙い英語ながらも “伝えよう” としているわけですから。

それを否定し始めたら、

ネイティブだけ英語しゃべれ

となってしまいます笑。

こんなおかしなことはあり得ないのです。

これは、

90〜100点になってから打席に立て

ということと同値です。

だから僕は、

ちょっとインプットしたら、すぐにアウトプットしても差し支えない

と思っていますし、自分の口から出た英語をまた聞くことで修正したり、伝わったり伝わらなかったりする中で、修正してゆけることもあるのです。

スポーツでもそうですよね。

どんなに説明書を読んだって、試合に出なければわからない。

後述しますが、僕はインプットの中でアウトプットしてゆきながら、その言語を覚えてゆけるのだと思ってもいます。

当然、インプットは大事という大前提に立つことです。

ただ、その中でアウトプットすることを否定してしまったら、

いつになったらアウトプットするの?

という「不明瞭な質問」に答えなければならなくなります。

そこに決まりなんてない。

だからインプットしながら、アウトプットもしてゆくのです。

インプットをたくさんしながらも、同時にアウトプットしていこう。始めるのに早すぎることなんてないのだ。

インプットもアウトプットみたいなもの

また僕は、

インプットそれ自体も、多少なりともアウトプットの性質を持っている

と思っています。

僕はテキストブックを中心に他の言語を勉強していますが、その際に、

  • 口でモゴモゴ言ったり
  • 文字をたくさん読んで慣れたり
  • 活用表を見てそれをイメージしたり

しています。

口に出さなくても、書かなくても、それは「一種のアウトプットの要素」を含んでいると思っているのです。

それはアウトプットじゃないよ!

と反論されたとしたら、

じゃあ一体何がアウトプットの定義なの?

と言い返すと思います。

別に「今日は雨が降っています」という作文の問題に答えたって、それは「アウトプット」です。

覚えたことを、書いたりしゃべったりしているのですからね。

暗記することもまた、一種のアウトプットです。

頭の中で「あーでもないこーでもない」と言いながら、再構築しているのですから。

それが、広い意味での『勉強』だと思うのです。

勉強をしたくない人ほど、

聞いているだけのイマージョンが最強

だとか、

アウトプットよりインプットの方が大事だから、会話なんかしなくていい

と言い始めます。

逆パターンは、

とりあえずたくさんしゃべればいい。英語の環境にずっといることだ。勉強なんかしなくていい

というパターンですけどね笑。

インプットもなしに試合ばかりしていても、なかなか成長しないのと一緒です。

要は「どちらも大事」なのです。

僕はこうしてブログを書いていますが、先述したように「アウトプットすること」で修正が効いたことはたくさんありました。

誰よりも「書くこと」をしていますから、他の人より上手くライティングができるとも思っていますしね。

このように、それぞれが相互作用することが大事であって、

どちらか一方が大事なんだ!

という意見は無視して大丈夫です。

  1. 大量のインプット
  2. できる限りのアウトプット

この繰り返しが一番ですね。

インプットの中でも “勉強すること” は大事なことであり、受け身のインプットは「ただ雑音を聞き流していること」と一緒です。

僕らは赤ちゃんではありませんし、ただ聞き流すだけでは、頭の中で意味を考えながら使っていることにはなりません。

ちゃんとインプットの本質を理解していますと、その中で「実はアウトプットしていること」にも気付きますし、少しでも「出すこと」が大事だということもわかります。

あまり出し惜しみせず、覚えたものはすぐに使ってみましょう。

もちろん、大量のインプットありきの話ですからね。

インプットの中でも、実はアウトプットみたいなことはしている。それぞれ大切だから、たくさんインプットして、できる範囲でアウトプットしていこう。

おわりに

アウトプットは必要です。

数年後にアウトプットすればいいや

とか、「自然に出るまで待とう」という考え方はナンセンスです。

僕らには時間がありませんし、勉強していく中ですぐに使っていったほうが、メンタル面(コミュニケーションをしたいという気持ち)的にも効果的です。

少しずつでもアウトプットしてみましょう。

それではまた!

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