「君は偏見がある」と言う人のほうが偏見がある【フラットになる意味】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、オンラインで中国の方とお話しする機会がありました。

  • 台湾
  • 中国
  • 韓国
  • ベトナム

の人と普段お話しさせてもらっているように、みなさんとても優しくて、僕が旅してきたことなど楽しく話せます。

ただ先日のこの中国人女性は、

日本人って中国に偏見がありますよね

みたいなことから話を始め、

日本女子のあの同調?誰かが可愛いと言ったらみんな「可愛い〜!」っていう感じ?あれダメなんですよね〜(英語)

と言っていました。

そこで、

うん。それこそがあなたの偏見だと思うよ笑

とだけお伝えしておきました笑。

日本にもサバサバした人はいくらでもいますからね。

今日は「偏見を拭(ぬぐ)うこと」について書いていきます。

「偏見を持つな」と言っている人ほど大抵偏見を持っている。世界から偏見なんてなくならないのだ。

基本的に自分の世界が全て

僕が世界一周を始めたのは、こうした「偏見」をなくしたいと思っていたことと、

自分の目で見るものが全てだ。だから視野を広げよう

と思っていたからでした。

人間とは面白いものでして、人の言ったことをなぜかすぐに信じます笑。

だから僕はメディアも見ませんし、自分でやったことが一番経験になると思ったからこそ旅を始めました。

南米に行って帰ってくれば、

南米って危険じゃなかった?

と、悪気もなく聞いてくる人がたくさんいますが(別に聞いてもいいですよ!)、

まずは行ってみてから判断してみたら?

とは思います笑。

これは一種の偏見でして、中国や韓国に対しても「あまりいい印象を持っていない人」は日本にいくらでもいます。

歴史に固執し、それで一般化してしまう人が後を絶たないのです。

日本にも「しょーもない人」が多いように笑、世界にもいろんな人がいます。

〇〇からきました

という人と話してその人が好印象であれば、その国に対していい印象が生まれることでしょうけれど、逆もまた然りです。

結局、とどのつまりは「個人」であって、今回の生徒さんが「中国人だから」と言って、僕は中国人を一般化して嫌いになったりはしません。(他にもいい生徒さんはいますしね)

世代によって考え方が違いますし、育ってきた環境やその人の柔軟さによって捉え方も変わってきますからね。

僕も含めて、どの人も「自分の人生」が全てであり、そこで経験したことくらいしか “世界” と思っていません。

あぁ、この方は「日本人って偏見があるよねー」とか言ってるけど、ご自身が「偏見のカタマリ」だってことに気づけてないんだろうなぁ〜

と思っていました笑。

「自分の外の世界」に対して、

  • 全てを疑え
  • 全てを受け入れろ

とはどちらとも言いませんが、「偏見」とはどこでも存在してしまうものであり、その上で相手のことを受け入れることが大切なのです。

基本的に自分が生きてきた世界が「自分の世界」だ。それは無限に広がることはないから、”偏見” それ自体はなくならないのだ。

偏見をなくすのはほぼ不可能

その人と話していて思ったことは、

こういう人がいるから、偏見ってなくならないんだよなぁ〜

ということでした笑。

先述した通り、誰もが広い視野を持っているわけではありません。

  • 読書したり
  • 海外の経験をしたり
  • 仕事の経験をしたり

しない限り、あるいは「視野を広めよう」と思わない限りは、不可能なのです。

あるいは逆に、

多くの中国人と接してきたからこそ、彼らに対して偏見がある

という友人もいました。

これは僕が経験したことではないですから、決して「偏見を持つな」なんて偉そうなことを言うことはできません。

どの分野においても、「安易に一般化すること」はやってはいけないことですが、

  • 少しでも経験があったり
  • ある程度その場に長くいたり

すれば、

大体こういう傾向がある

という「経験則からの語り」をすることはできます。

それはともすれば「偏見」とも言えますし、

それだけ経験があるなら…ねぇ

納得できる部分でもあります。

  • その度合いが強いか弱いか
  • 柔軟性がなく凝り固まってしまっているか

などの違いであり、本心でどう思っているのかは本人のみぞ知ることです。

僕も海外に行く前は「偏見」とも「予想」とも取れるイメージを持っていましたから、

うーん、何を偏見と定義するかだなぁ

とは思いましたね。

ただ僕が今回思ったことは、

偏見があるって言ってるけど、あなたのほうがよっぽど偏見に満ちているよ?

ということだったのです。

人のことを「偏見がある」という前に、自分はどうなのか。

それこそ偏見を持っている人もいれば、海外を経験して広い視野を持っている人もいます。

その人は “その人” であり、それ以上でも以下でもありません。

偏見をなくすことは難しいことですが、一面だけを切り取っている人は、悪い意味で「偏見を持っている人」に分類されると思っています。

人々から偏見をなくすことはほぼ不可能だ。ただ局所的な部分を広げて一般化している人は、気をつけたほうがいい。

一面だけを見ないこと

これについても何度か書いてきましたが、「視野の狭い人」ほど、

君は偏見に満ちている

と言ってきます笑。

それが偏見そのものだともわからずに、そんな攻撃をしてきます。

そこから話す言葉なんて、まさに偏見に満ちていましたしね笑。

世界はいろんな人で溢れていて、

  • 日本人だってアクティブな人はいるし
  • アメリカ人だってピザが嫌いな人はいるし
  • ヨーロッパ人だって旅の嫌いな人はいるし

そんなもの「わからない」が正解なのです。

ちょっとしたイメージで、

ここの人ってこういう感じでしょ?

と決めつけるのは本当によろしくありません。

実際に話してみてわかることもありますし、その人の中でも時間をかけて変わっていく部分もあるからです。

先述した通り「ある程度の傾向」はあるかもしれませんが、本当に細かいところまで見ていこうものならば、最終的には「その人しかわからない聖域」みたいな領域があるはずです。

SNSやYouTube、テレビなんかもほとんど「切り取り」であって、あまりその人自身の深いところまで伝わらないこともあります。

人に限らず、

  • 事件
  • 不祥事
  • ニュース

なども、どこまでが本当でどこまでがウソなのか、イマイチわかりませんよね。

それを「切り取り」や「エンタメ」と割り切って映像を見ているのか、それとも全てを鵜呑みにしてしまうのか。

柔軟性が問われるところですね。

いつでも大切なことは、

  • 柔軟性
  • バランス

これに限ります。

僕も英語の学習法や食生活、生活の幸福度などは「僕なりに」ここで書いていますが、

いろんな考え方ややり方、生き方があっていい

とは思っています。

自分の好きな生き方をすればいいですし、そもそも他人のことを勝手に定義すること自体変な話です笑。

ものごとにはいつでも両面がありますし、場合によっては多面的です。

  1. 他の面を見ようとできるかどうか
  2. そのような姿勢があるのかどうなのか

それだけで「人の見方」が全然変わってきます。

信念を持つことも大切なことですが、頑固になりすぎても損しますし、人も離れていきます。

偏見を持つな

ではなく、

柔軟にいこう

なのです。

ものごとにはいろんな側面がある。だから柔軟に考えていこう。そうやって視野を広げていこう。

おわりに

固く考えていると何が悪いかといえば、あくまで個人的な意見ですが、

この人と話してても発展性がない。議論ができない

と思ってしまうという点です。

以前にも「弁当議論」をしましたが笑、要は「これが正しい」と思い込んでいる人は何も成長しないままなのです。

そういう人は、生活や人付き合いでもその姿勢が全面に出てきます。

僕はいろんな人と楽しみながら付き合っていきたいので、そういう風にならないようにしたいなぁとは思っていますね。

柔軟にいきましょう。

それではまた!

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