30代教員はなぜ教え子と再び会うのか【未来への投資をしよう】

人間関係

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

教師をしていますと、大学生になったり就職したりした卒業生たちと、飲みに行くことがあります。

これぞ、教師冥利に尽きると言いますか。

大きくなった生徒たちの活躍を、まだ見られるなんて…素晴らしいことじゃないですか。

30代に突入したと思った矢先に、コロナで世界は一変してしまい、様々な情報が濁流のごとく流れ込んでくる現代となりました。

そんな中、僕は止まっていてはいけないと思いました。

そう、生徒たちが生きて行くこの世界で先生をやっていくなら、先を生きてこそ先生じゃないかと。

生徒と次に会う時に、僕もまた大きくなっていたいのです。

そんな僕たちを横目に、一足飛びで活躍していく生徒を見るのもまた乙なものです。

「活躍する・悩める生徒たち」と酒を酌み交わす時間ほど、よいものはありません。

これもまた1つの投資なのですね。

  • 「飲み会に時間を費やすな」だの
  • 「他人に自分の時間を捧げるな」だの

散々言っていますが、それらは全くもって逆のものです。

一方で「好きな人」や「大切な人」と過ごす時間は、何が何でも優先したいのです。

僕は次の時代に、自らの人生を賭けていきたいと思います。

学生時代に学んだこと

僕はその昔、学生時代はほとんどお金がありませんでした。

貧困な家庭に育ったこともありましたけれど、何よりみの席にお金を使っていたからです。

現在とは真逆ですね笑。

その時学んだことが2つあります。

飲み会に参加しろ

1つ目はどんな飲み会にも、借金してでも参加しろと言われたことです。

今は社会人ですので状況も違いますが、お金がない時だっただけに重い言葉でした。

当時は人付き合いの取捨選択はしていたものの、若かったことも後押ししていたのか、先輩・後輩・友人たちと飲んで楽しめる場がとにかく好きでした。

「そこにいけない理由が『お金』だなんて、悲しすぎるではないか」

と悩んでいた頃、タイムリーにそんな言葉をいただいたのです。

極論じみてもいますが、今解釈してみますと、様々な人が集まるコミュニケーションの場に手当たり次第、なりふり構わず飛び込めというメッセージだったのだと思います。

例えば、若い時に「本を読む」という投資も「高尚で貴重な経験」ですが、生身の体験や人付き合いの中で学んでゆくもののほうが遥かに大きい経験だったと思います。

若い頃から、

「無駄な飲み会には積極的に参加せず、そのお金を投資に回して…」

という考え方も、ある意味「最適解」と言えるでしょう。

しかし若い頃だからこそ、その不器用な感覚でぶつかっていく体験のほうが、より価値が高かったのかなとも思います。

当時「mixi」というSNSで書いていた日記の内容には、必ずそこに体験がありました。

様々な解があるとは思いますが、当時の僕にとっての投資は、そういった「人付き合いの中」にあったことは間違いありません。

おごることは循環するもの

2つ目はおごられた分は今後、自分にできた後輩におごれと言われたことです。

当時お金がなかった僕は、個別塾を2つ掛け持ちしていました。

片方の塾でお世話になっていた先輩と飲みに行く時、先輩は必ずおごってくださいました

そこで僕がお金を払おうとしますと、上に書いた言葉を言われましたので、

「なんてカッコいい生き方なんだろう」

と惚れ惚れしたことを覚えています。

この言い回しは結構有名で、

「『おごられた分は次の世代に』という循環があるから僕はおごるんだよ」

と言ってくださる先輩方はたくさんいらっしゃいます。

この考え方を学生時代に聞いた時に、将来お金ができたら絶対に年下におごるのだと決意しました。

僕は、お金がなくて辛かった日々を経験してもいますしね。

大学院生になって少しお金も入るようになった時は、たくさんおごっていました。

「やっと…やっとおごれる!」

今までの貧困時代を思い返しながら、たくさんお金をばらまきました笑。

この2つの経験を通して、学生たちにできる限りお金を投じたと思ったわけです。

ありがたいことに「すずき先生、今度飲みましょうよ」と言われた時には「いつでもいいよ」と冷静に返しつつ、心の中では飛んで跳ねて喜んでいます笑。

そしてそっとお金を出すのです。

お金がないときでも、人のためにお金を使おう。循環していることを意識するのだ。

未来への投資

僕と10歳以上も離れた若者たちが、何を好き好んで僕と飲もうと思うのかは、学校の七不思議のうちの1つです笑。

むしろ僕のほうこそ若い方々のエネルギーや考え方を享受できますので、その時間には「お金を払うべきだ」と思っています。

学生はお金がないことくらい、わかっていますからね。

ましてや僕と飲んでいる時間にお金を払わせるくらいなら、そのお金を他のところに投資して欲しいです。

だから彼らにお金を払う価値があり、「余裕のある僕が支払うのが当たり前」だと思っています。

これは、未来への投資です。

僕がお話しさせてもらう「若者という原石」への、投資です。

彼らが成長して立派になっていくことを信じてこそ、教師だと思うからです。

その時間を無駄にさせないためにも、自分が日々学んでいつでも何か価値のあることを提供できるように、準備しておかなければならないとも思っています。

彼らが挑戦している姿は、いつでも輝きを放っています。

「いいじゃん。若い時しかできないよ」

と、全肯定しつつ、僕が学んだことを少し伝えて、ちょっとだけ先生らしいような仕事もします笑。

こんなに有意義な時間はありませんよね。近況を聞くだけでもワクワクします。

全ての悩みが純粋無垢なもので、悩んでいるのに僕らより前向きな悩みなんですよね。

社会人として仕事をしている僕にとっては、何にも代えがたい貴重な悩みでした。

後進のためにお金を払うことは、未来への投資だ。悩みを聞いたり、これからの展望を聞いたりするだけでも、有意義な時間なのだ。

おわりに

僕は浪費のことを、自分の幸せとして定義しています。

教え子たちを含めて、若い子たちとの時間や出費は、僕にとって真っ先に浪費(投資)の対象になります。

有名な人のセミナーや講演、オンラインサロンも投資する価値はあるのかもしれませんが、若い人たちのパワーもまた、計り知れないほどの価値を持っています。

こんなご時世だと会うのもはばかられますが、土日に「サシで」「数人で」会う時間はとても新鮮です。

まず何より、成長した姿に会うだけでも嬉しくて涙が出そうになります笑。

若い世代が「不安や悩みのエネルギーを発散するため」の踏み台として、僕はいるべきだとも思っています。

一方で、その「踏み台である僕」もまた、多くのエネルギーを持っていると会話も生産的ですよね。

彼らを「良い方向に導けるような踏み台」であるほうが、会話に相乗効果が期待できるというものです。

僕もGIVEの精神を磨いていかなければならないのです。

彼らの「存在そのもの」がプラスのエネルギーなので、「下降の一途を辿る30代」が相手じゃダメなのです笑。

次に会った時にもまた「先生と会えてよかった」と思われる人でありたいのです。

実は回り回っていて、彼らへ投資したはずが、僕自身のための投資になっているのかもしれませんね。

彼らが必死にもがいて頑張っているからこそ、僕も頑張れる。

僕も頑張って彼らと相互作用できるように、しっかりと準備しておく。

なんという好循環なのでしょうか。

また成長した教え子たちと会えるのを心から楽しみにしています。

その時のために自分も日々成長、日々努力。

少しずつ、前に進んでいこうと思います。

それではまた!

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