こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
本日、元々働いていた神奈川の高校で離・退任式がありましたので、朝に埼玉を出て神奈川まで来ました。
一緒に働いていた先生が異動するため、その方のスピーチを聞いたり話をしたりしたかったのです。
さて学校に着きますと、早速洗礼を受けます笑。
はぁ…
なんだかため息が出てしまいました笑。
別に僕は、
- 怒っているわけでも
- 反論したいわけでも
ないのですが、
と思いました。
今日は「公教育」について書いていきます。
和を持って尊しと成す
日本の文化の良い部分は、
という点です。
僕はこのブログで散々、日本文化の、
- 良さ
- 悪さ
を語ってきました。
特にこと「教育」となりますと熱くなる僕は、現場にいた経験から、そのスピードの遅さや欠点を指摘してきました。
今回も久しぶりに戻ってみれば、「体裁(=ていさい)」を気にする職員ばかり。
と言いますが、今回に関しては僕の性格とかそういう点ではなくて、
- 静かにしてろ
- サングラスをかけるな
といった、「この場を乱すな」というご指摘でした笑。
大声で話してたらそれは良くないですけれど、
と思いましたし、なぜか「注意して直す」という選択肢をとっていたので、僕は「どゆこと?」となりました笑。
サングラスもなぜ取らなきゃいけないのかもよくわかりませんし、
と、考えましたがどうでも良かったので無視しました笑。
どうせここには戻ってきませんからね。
底冷えのヒドい体育館の地べたで座っている生徒は、長い話を延々と聞かされていて、まるで拷問を受けているみたいでした。
学校を去る先生たちの話が面白ければ良いものの、なんの身にもならない「先生たちの自己満の話」を聞かされ、
と、2年前に「ここ」に勤務していたはずの僕は驚いたものでした。
- ちゃんとしてなさい
- 和を乱すものは許さない
僕はそういう「謎のルール」が面倒で、生徒にもあまり注意してなかったものです。
でも学校にいますと、
と言われたものでした笑。
表面を取り繕って、”なんとなくちゃんとしてればいい” というカタチを見せることに、みんな躍起になっていました。
周りから突(つつ)かれたくないからです。
変わらない先生たちはずっと、この “学校” という空間で過ごしていきます。
と思いましたね。
僕にはやっぱり窮屈だ
一方で、以前より寛容になった僕は、
とも思うようになりました。
ある意味そうした規範に基づいて学校運営をしていくことは、先生たちに求められていることだとも思っているからです。
郷に入っては郷に従え
とも言いますから、日本に合わなければ僕も出ていけばいいだけのことです。
そういった意味では、自分でも知らないうちに「自由度のないストレス」がかかったまま、9年間先生をやっていたのだと思います。
だからこそ、
- 若い時は噛みつき
- 悟りを開いてからは諦めるようになった
のでしょう笑。
何も「学校の全て」を批判しているわけではありませんし、あの独特な空気感も好きでたまりません。
ただこんな環境で育った生徒たちに、
とは、なかなか言えたものではありません笑。
結果から言えば、
と思うと同時に、
とも思いました。
日本だけの話ではありませんし、公教育の批判をしたいわけではありません。
それでも、生徒と先生の関係は「主従関係」ではないはずなのに、なぜか「先生が押さえ込む」という形になっているのが学校の現状でした。
もし生徒たちが「自由」を手に入れたいのならば「守られている学校」から飛び出して、自分で責任をとっていかなければなりません。
- 学生だけど…
- 公務員だけど…
「何をやってもいい」というわけではなく、その『肩書き』があるからこそ、
と自覚し、ルールに沿って生活していかなければならないのです。
だからやはり、僕には向いていないのです笑。
型にハマることはキラいではなかった(と思い込んでいた)のですが、
と感じていた当時の感覚は間違っておらず、今の僕には窮屈すぎました。
そんな風に感じた一日だったのです。
「これだから…」はやめにしよう
ただ先述した通り、
と文句を言うことは、適切ではありません。
それなら環境を変えればいいだけのこと。
僕は環境を変え、自分の好きなように生きると決めました。
文句を言ったりずっと戦い続けたりすることは、自分を擦り減らすだけですし、それを聞いている先生や生徒たちだっていい気持ちはしません。
他人のマインドとはそんなに簡単に変わるものではないですし、長く教員生活を続けていて、凝り固まってしまった性格を直すことができない先生もたくさんいらっしゃいます。
「時代の流れ/変化の速さ」についていけていないのに、先生という名の権力を振りかざしてしまっているだけなのです。
その状況に諦めがついて飛び出たのですから、いちいち嘆く意味もわかりません。
ただ、こうした状況がまだ現場では続いていて、正直なところ、
とは思いました。
公教育ではできないこと。
これをやるために、僕は先生を辞めたのでしたね。
いつでも僕は道行く若者たちを見ては、
と思っています。
「変わらない大人たち」を変えようとすることは、無意味に等しいです。
そうではなくて、
これを常に考えておくことです。
若者たちほど自由でありたいはずなのに、それを抑制してしまっている学校。
それを変えていくことはできなくても、「新しい在り方」を提供していくのが僕の役目です。
「学校」という窮屈な場所にいたまま、僕が一人相撲をとっていても状況は変わりません。
- 肩書き
- 守られている立場
を捨てる勇気を持たなければ、僕はずっと “あそこ” にいたままでした。
今の僕は “自由” です。
ある意味、今日学校に来たことで、また教育に対して奮い立たされたのでした。
学校で久しぶりに会う生徒たちはキラキラしていて、話していると教員時代を思い出しました。
せいじ、再発進です。
おわりに
帰国後に一度寄った元勤務校でしたが、離・退任式ということで、多くの生徒や先生と絡むこととなり、また不思議な感覚を覚えました。
日本の教育は良い部分だってありますし、みんな頑張っていることも知っています。
でも僕の使命はまた別にある。
だから突き進む。
日本の未来のために。
それではまた!
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