こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
教員時代、学校で遅刻指導をしていた時に、
と思って、遅刻について考えていたことがありました。
と、全否定するつもりはありませんが、やはり今でも「いやぁ、要らんだろ」と思うことがあります笑。
今日は日本の文化に照らし合わせた上で、「遅刻とはいかに?」を書いていきます。
相手に対する配慮

そもそも、遅刻指導を考える前に押さえておきたいこととは、
という点ですよね。
僕が思うに、これは日本の「相手に対する配慮」なのだと思っています。
- 待たせたら悪い
- その時間が相手にとってもったいない
こんな考え方が、根底にあるんじゃないですかね。
あるいは、
という保守的なマインドから来ている人もいるでしょう。
一概に、「これが理由だ」と言い切ることはできません。
あくまで僕なりの意見ですので、みなさんも理由を探してみてください。
日本では、電車は時間通りに来ますし、少しでも遅れようものならば、
と、アナウンスで謝罪が入るくらいです。
僕はこの文化こそ「日本だなぁ」と思う一方で、ちょっとやり過ぎなのかなと思う時もあります。
ものごとには必ず両面がありますから、
と思っている人もいるでしょう。
それを差し引いてでも、日本では何事も時間通りに執り行うことが多いですけどね。
しかしそれは、「時間を大事にしている」という概念から来ているのではありません。
決して。
いえ、それだったら会社で定時以降まで残りません笑。
あの「残業」の現象も、ある意味「配慮」が生んだ悪魔なのかもしれませんね…(なんだそれ)
と。
良くも悪くも、
- 相手を尊重する
- 和を以て貴しと為す
こうした文化から、「遅刻しないほうがいい」という感覚が生まれたのでしょうね。
さて、指導することはいいのか?

ここで「遅刻指導」に話を戻しますと、これに関しては、
と思ってしまいます。
高校の場合、義務教育ではありませんから、正直「来たくなければ来なくていい」という言い分は、なんだかんだで成立してしまいます。
と判例を出される人もいるかもしれませんが、そんなことはあり得ません。
100%あり得ないとは言いませんが、学校教育には日本が育んできた人間性もありますし、少なくとも、
と思っている生徒が大半だからです。(先生をやっていたのでわかります)
多少なりとも、
- 目立ちなくない
- 落ちこぼれたくない
- レッテルを貼られたくない
という理由で、「集団の中での自分」を守るために授業に参加している生徒もいるかもしれません。
しかし前提として、
- 受験して
- お金を払って
その高校に行っているのですから、あえて遅刻しまくるメリットがありません。(義務教育下であっても、特別な事情がなければ学校に行きたいと思うのが普通です)
だから僕は、
と、“基本的には” そう思っています。
一方でその生徒の、
- 人間性や悩み
- 遅刻をする本質など
については追求するほうが大切です。
と言うよりも、遅刻が異常なまでに嵩(かさ)んでしまえば、退学へと追い込ますので、すでに「制裁」の措置はあるわけです。
問題は、
です。
形骸化しているもの(意味を問うことなくやっているだけ)であれば、やめたほうがいいと思っています。
先生たちの時間だって削られてしまいますからね。
あまりにも遅刻の多い生徒に関しては、個別に呼びつつ保護者に連絡でいいのかなと。(もちろん連絡しますし対応もします)
と言うのであれば、日本人らしい文化だなとは思うんですけどね。
実際、損をするのは生徒本人ですから。
- 遅刻回数は単にカウント
- 指導する際はあまりにも目立つ生徒のみ
- 彼/彼女がどうして遅刻するのかを追求し保護者と連携
でいいのかなと。
とにかく「遅刻はダメだよ」と理由なく指導することには、僕は反対ですね。
お金や責任が発生しているかどうか

特に大きな点としては、「相手への配慮」もあるかもしれませんが、同時にそこに、
も重要な要素かなと思っています。
社会人になりますと、もうなかなか遅刻することはできませんよね。
なぜなら、遅刻が当たり前となっている人には、
というレッテルを貼られ、信用されなくなるからです。
社会人にとっては、自分のためにも「遅刻することで信頼を落とす」必要はないということです。
そして当然、お金が発生している(=給料が出ている)のですから、遅刻することはなかなかできません。
一方、学生はと言いますと、
と指導されても(特に調子に乗っている生徒には笑)、ピンときません。
「何となく悪いことなんだ」と指導することは、教育の本質ではありません。
- それで何が失われるのか?
- それで誰に迷惑をかけるのか?
など、具体で表すほうがいいです。
もちろん、日本の精神性という抽象論で勝負してもいいですが、若い子にはなかなか響きません。
僕らが若い頃でも、
と説かれたとして、果たして納得していたでしょうかね。
ただ、これが「友人との約束」ともなりますと、話は変わってきます。
- 小グループ
- 友人と遊ぶ時間が決まっている
など考慮しても、遅れるわけにはいきません。
また、お金を支払っているスクールや習い事などでも、できる限り「間に合うように行く人」がほとんどです。
- 責任
- お金
あるいはメンツや信頼、人間関係などを考慮して、みんな「遅刻はしないようにする」という感覚を身につけているのです。
一方で学校における「生徒と学校」の関係とは、そういう関係性ではありません。
これは学校に限ったことではなく、先述した「お金を払って行くスクール」も実はそうです。
と言って、ジムに行かない人はいくらでもいるでしょう。
そんな人たちが、「遅刻をするな!」と言える権利はありません。
ダブルスタンダードもいいところです。
教育現場でも、
というスタンスを持っている人は、意外にも多いです。
もちろん、それが通用する場合もありますし、ケースバイケースです。
ただ、学校も学校としてなかなかに特殊な環境ですから、シンプルに「遅刻はいけない」と脳死状態で言い続けるのではなく、その本質を考えた上で指導にあたりたいですね。
おわりに
遅刻それ自体は、みなさんもやんわりと、
として、習慣に定着しているかと思います。
僕も日本人として、その精神は大事にしたいです。
しかし、既存のルールに対して疑問を持つこともまた、大事なことです。
むしろ「遅刻するかどうか」を取り上げるよりは、その本質についてきちんと語り合いたいですよね。
それではまた!
