こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
いつも朝活でオンラインの英会話レッスンを受けていたのですが、
と言われたので、即、手をあげてみました。
以前の僕でしたら、
- 「誰かが手をあげてくれるだろう」
- 「失敗すると恥ずかしいからイヤだ」
- 「どうしてもいなかった時は、やってみようかな…」
といった、とんだ臆病者でした笑。
先生という生き物は不思議なものでして、研修会などでも「わかる人?」と言われても積極的に手をあげる人は少ないものです。
あれだけ生徒たちに、
と手をあげることを強いるのに、です笑。
実際僕自身も、そんな自分を変えるべく、様々なことに着手してきました。
であるならば、ここでも失敗を恐れずに挑戦すべきです。
この思いだけが、僕の体を突き動かしたのでした。
今日は、
「『誰かいない?』と言われたときにすぐさま『自分がやります!』と言うこと」
のメリットをお伝えしていきます。
積極的に手を上げるメリット
先日読みました、箕輪厚介さんの「死ぬこと以外かすり傷」という著書から感銘を受け、早速「手をあげる」という行動に移してみました。
すると多くのメリットがあることに気づきました。
- 自分の財産・経験になる
- その時間に必死になることができる
- とりあえず行動しないといけなくなる
- 次のステージへの一歩となる
- 何かやってくれる人だと思われる
1つずつ書いていきます。
自分の財産・経験になる
手をあげてみますと、代講までものすごく準備していた自分がいました笑。
代講ですので、
- 下手なことはできない。
- 期待に応えられるものを見せる。
- みなさんの貴重な時間を奪う自覚を持つ。
など、多くの「プレッシャー」がのしかかりました。
ただし、その経験をすることによって、当然のことかもしれませんが、自分の新たな活路を見出すことができました。
- 連携の仕方
- 人の頼り方
- 分業の仕方
- Zoomの使い方
- 全体の連絡の仕方
など1回の代講のためだけに、多くのことを0から学ばなければなりませんでした。
準備期間が十分あったので、それが救いでした。
たくさん準備して練習することで、なんとか形にすることができました。
「とにかくやってみる」
という姿勢を持っていますと、「恥ずかしい自分を克服できる」といった精神的なこと以上に、単純に「実務的な経験を得ること」もできます。
「一度でも経験している」
ということは、大きな財産になります。
その経験のために費やした時間は、自分自身を大きく成長させるからです。
その時間に必死になることができる
代講を控えた僕は、とにかく死に物狂いでした笑。
まず使い方のわからないものを、
- かたっぱしから触り、
- Googleで調べ、
- 人に聞いて、
- もう一度やってみる。
という「文字通りの試行錯誤」を繰り返しました。
と思われるかもしれませんが、オンラインで授業をやることは、実際の授業をすることとはわけが違います。
自分にとって新しいことに手をあげ、その日を迎えると決めたことは、それまでの時間で必死にならなければならないことを意味します。
一方で、慣れきったことに対して「僕がやります」では、簡単すぎて成長になりませんし、ただの「穴埋め要員」となってしまいます。
チャレンジするということは、「自分の能力の+α」のレベルに挑戦するという意味です。
今までの僕は「ぬるま湯」に浸かっていました。
それでは成長は見込めせん。
逆に言えば、そのレベルにチャレンジし続ければ、きっと昨日より素晴らしい自分になれるはずなのです。
とりあえず行動しないといけなくなる
手を挙げたからには、行動に移さなければなりません。
- 「実務経験が残る」
- 「必死になって、やらざるを得ない」
といった恩恵もさることながら、自ら行動しなければならなくなるので、これはとても効果的でした。
実際に僕が行なったことは、何度もリハーサルをしたことでした。
すると「デジタル機器のデメリット」がたくさん出てきました笑。
- 送ってきてもらったパワポに対して、Macのkeynoteでは書式が変わってしまう。
- keynoteでスライドショーをすると、マウスポインタが消えてしまう(設定で解消)
- タイミングがズレると、パワポの音声が流れてしまう/途切れてしまう。
など、細かな「ズレ」はリハをやるごとに現れ、僕の進行の邪魔をしてきました笑。
こればかりは、とにかく何度もやるしかありません。
繰り返し繰り返し、行動していく。
「ケツ」が決まっていますので、その間に必死になることはもちろん、行動に移さなければお話になりません。
人間の本能とは面白いものでして、「僕がやります」と手をあげた瞬間から、ゴールを見据えようとします。
しかしそのおかげで、本来眠っていた自分の「底力」を引き出すことができたのでした。
その必死の行動が「経験」となり、その経験が「財産」となります。
実働(行動)を始めるきっかけとなりますので、「はい!やります!」と手をあげることは、自分を追い込む良いスタートになるのです。
次のステージへの一歩となる
自分のしたことのない経験をしますと、それを機に「次はこれをやってみようかな?」と思うようになります。
新しいことに挑戦するということは、それだけで0が1になったことを表します。
と、連鎖反応的に自分の気持ちがくすぐられ、「次へ、また次へ!」と気持ちが前のめりになっていきます。
とても不思議な理論ですが、
- 手をあげて新しいことに挑戦すると、
- それが次のステップへの踏み台になる。
ということです。
「手を上げる」ということは、誰かの土台の上で「受け身で仕事を引き受けること」を意味するのかもしれません。
しかし、それがその人自身の「小さなステップ」となるため、次は能動的に何かを始めるきっかけとなります。
それならば、最初は受け身であっても悪いことはありません。
与えられた場で誠心誠意、役目を果たせば、今度は「自分で」というマインドを持つことができるようになります。
何かやってくれる人だと思われる
自分自身の成長もさることながら、周りからの見方も変わってきます。
それは「周りからどう見られるかを意識する」という意味ではありません。
という「期待を持たせられる」ということです。
積極的に手をあげる姿勢は、周りから良い印象を持たれるだけでなく、「次にまたやらせてみたい」という気持ちを抱かせます。
それは『死ぬこと以外かすり傷』で、箕輪厚介さんがとにかく手をあげて仕事に取り組んでいる姿勢から学びました。
もちろんその過程では、
- 失敗することもあれば、
- 100点を取れないこと
もあるかと思います。
しかし、「必ずパーフェクトを取る」ことは不可能です。
それよりも「必ず行動に移してくれる」という印象のほうが、ずっと大切です。
50点でも60点でもいい。
「とにかく何かやってくれる人」という印象を持たせられるよう、手をあげていくのです。
おわりに
今までの自分だったら、絶対に逃げていました。
そして言い訳をして、
- 忙しいから…
- 自分には能力がないから…
と、やらない理由ばかりを探していました。
でも今は違います。
- 失敗してもいいから、
- 当たって砕けてもいいから、
- 100点じゃなくてもいいから、
とりあえず手をあげ、やってみる。
そして今度は能動的に、自ら何かアクションを起こしてみる。
そうすれば、自然と周りに人も集まってくるはずです。
どんどん仕掛けていきましょう。
きっと人生が豊かになっていくと信じて。
それではまた!
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