こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
コロナもあって大変でしたが、僕の学校はなんとか文化祭を執り行うことができました。
かなりの短縮であったにもかかわらず、生徒たちとの一体感は計り知れないものになったと感じております。
「なぜ教員をやっているのですか?」と聞かれた時に、
「卒業式があるから」
と答えていた先輩教師がカッコ良過ぎましたが、僕は「文化祭があるから」と答えてしまいそうです笑。
普段見られないような生徒の「素」が垣間見えるこのイベント。
そこで僕は、毎年何を感じ、何を思うのか。
書いていこうと思います。
非日常を味わう日
コロナになってから、学生たちの時間が奪われたのを目の当たりにした僕ら教員ほど、その落胆した空気を感じた人はいないと思います。
「今年もやる」とは言っても、短縮はされるわ黙食しなきゃいけないわで大変でした。
食べ歩きもできないし、友達も呼べない。
「そんなにダメダメばかり言うのであれば、やめたほうがいいんじゃないか?」とすら思っていた先生も多かったです。
しかし結論から言わせていただきますと、「やってよかったな」という気持ちのほうが圧倒的に勝りました。
学校というのは、先生も生徒も授業ばかりではつまらないものです。少なくとも僕は笑。
いつも「授業が第一なのだ」と言っているのにすみません。
週5日、フルで学校がある週は、先生も生徒も萎えてしまうのです。
「学校といえば青春、青春といえばイベント」と簡単な式が成り立つため、
- 文化祭
- 体育祭
- 校外学習
- 修学旅行
- 球技大会
- 合唱コンクール
と言ったイベントは、なくてはならない存在です。
こと文化祭においては、各クラスが「だりぃー」と言いつつもギリギリで間に合わせてきて、最終的にはそこそこいいものを作ってきます。
これがたまらなくいいんですよね。
学校って勉強するところでもあるけれど、どう考えてもやっぱり青春するところだなと思っています。
こうした青春は「みんなじゃないとできないこと」の中にたくさんあると思っています。
僕は「学校なんかなくてもいいかな…」と思ったことが幾度となくありましたが、文化祭をやった直後は、
「あー、なんだかんだ言って学校ってこの空間がいいんだよなぁ…」
と感じてしまいますね。
そこにある「非日常」を、先生も生徒も全力で楽しみ尽くす。
先生が楽しんでいるのを見れば、生徒たちも「お?なんか楽しそうだぞ?」と釣られてハマってくれるのです笑。
「みんなで何か1つのことに向かって全力を尽くすこと」ができる場としては、学校という場ほど手軽なものはありません。
それが好きか嫌いかは別にせよ、その点においては学校が最強ですね笑。
様々な生徒たちが1つになる
文化祭となると、こちら先生サイドの生徒指導にも俄然力が入ります。
- 変なことはしていないか。
- 変なことはしていないか?
- 変なことはしていないか?!
と、生徒をいつもより「厳しい目」で見てしまうことも多々あります。
しかし僕のマインドは逆でして「この日くらいは、みんなで羽目を外して全力で楽しむべき」と思っている派です。
確かにちょっと調子に乗って注意されてしまう生徒も出てくることは出てくるのですが、高校生がやることなんて高が知れていますので、「こらっ!」と怒っておけばオールOKです。(適当)
すると生徒は指導されてから(あるいはされる前から)「この範囲内で目一杯楽しもう」と創意工夫を凝らしては立ち向かってきます笑。
僕のクラスは「クラスTシャツ」を頼んだのですが、なんとTシャツが届くや否や生徒たちが、
「俺はここに自分の名前をペイントするんだ!」
と、クラスの出し物とは全く関係のないことに時間を割き始めました笑。
その集中力は目を見張るものでして、僕も、
「え?なんでこんなに集中できるの?普段はしないのに…」
と思ってしまったくらいでした。
生徒の新たな一面を見ることができた瞬間でしたね。
「クラス運営」とは本当に難しくも楽しいものでして、
- 担任と生徒との相性も大切ですし、
- 生徒の空気感やキャラクターのバランスも大切です。
僕のクラスでも、
- 本当にやる気のない子から、
- そもそも文化祭じゃなくてもクラスメイトと交わるつもりはないと決めている子、
- クラスとは全然別の部活のほうで頑張る子…
など、文化祭1つとってもベクトルが様々なのです。
クラス運営では決してマジョリティを大切にし過ぎず、1人でポツンといる生徒や「陽キャが無理」という生徒たちにも、バランスよく声をかけてやるのが難しいと感じるところですね。
- 「文化祭を成功させた」
- 「文化祭で1つになることができた」
というのは担任が俯瞰すればそのように見えるかもしれませんが、生徒各個人が思っていることや熱量、やり切った感はそれぞれ全く異なります。
ここでいう「1つ」というのは、ごちゃごちゃしたいくつもの思想をなんとか同じ空間にいさせて最後までやり切れたということでしかないのです。
しかし僕は、それでもいいと思っています。
ベクトルや熱量が違っても、発信元は「僕のクラスメイトである」という事実は、変わらないことなのですから。
先生が前を突き進んでいく意味
僕は文化祭や体育祭などでは、基本的には生徒たちが主役だと思っています。
しかし時には、先生が「恥を捨てて楽しむ方法」を教えてあげることも大切です。
例えば僕も、今回の文化祭の空き時間で「いろんなクラスを回ること」に徹してみました。
先生が来てくれると生徒も嬉しいからです。
僕は縁日やゲーム形式のものに取り組むときは、誰よりも真剣になってしまいます。
- 「くそぅ!」
- 「あぁ!」
- 「まじかよ!」
と大声をあげながら1人で楽しむ姿を見て、「生徒はどう思うのかな?」と様子を伺ってもいました。
そしてゲームに失敗しますと決まって、
- 「今のこのポイに細工しただろ!」
- 「なんだよここはぼったくりかよ!」
- 「やってられないぜ!担任誰だよ!」
とふざけて大声で叫びます笑。
すると生徒たちも笑ってくれるのです。
これはダンス公演についても然りですね。
基本的には生徒が主役なのですが、最近の子たちは先生が踊ることについて、どうも気になるらしいのです笑。
- 「先生いつ出演するの?」
- 「絶対見に行くからね!」
と、楽しみにしてくれる子たちが多くて毎度嬉しくて泣きそうになります。
主役は生徒ですが、楽しめるアトラクションを用意できるのであれば、文化祭を楽しみ尽くす主役である生徒たちのためにも、僕も「練習して来たことを出してやろうじゃないか」と思ってしまいますね。
そして踊り終わった後に、は決まって生徒たちが駆け寄ってきて「先生かっこよかった!」「すごかったよ!」と言ってくれるんですよね。
素直に嬉しいですし、そこから生まれるコミュニケーションや「あの先生のダンスはマジでやばいよ」と思われることも、また今後の1つの武器になるのでやりがいがあります。
全然知らない生徒からも認知されるため、すれ違い際に「先生よかった!」と言ってくれますから、これほど良い効果を生むものはありませんよね。
当日もそうしてバチバチにキメていきますと、生徒たちも「こういう楽しみ方があるんだな!」と思ってくれます。
いつまでも若くいたいし、熱くいたい。
年老いてもその心意気は忘れずに、生徒と過ごしていきたいですね。
おわりに
僕は大学でダンスを始めてからというもの、教職に就いた後は文化祭に対するモチベーションがものすごく高くなりました。
自分が高校生時代の頃は文化祭をあまり楽しむことができなかったため、「どうやったら生徒が楽しむことができるだろうか?」と考えること自体が楽しくなっていました。
終わってみると、非日常の中で生徒とたくさん話すことができたり、それぞれにある知られざる個性を発見できたりと、数時間のうちに素晴らしい体験をすることができました。
- 準備期間で少し叱られ、
- たくさん笑い合い、
- 手伝ってくれたことに感謝し、
- パフォーマンスを見たり。
あらゆることがいい思い出となりました。
今のクラスの生徒たちの卒業式を思い浮かべただけでも、もうすでに泣きそうです笑。
コロナ禍が一旦収束して日常が戻ってくると、学校のイベントはことごとく僕のハートを鷲掴みにしてしまいましたね。
教師っていいなぁ…でもとりあえずあと1年。
頑張っていこうと思います。
それではまた!
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