みんなが休んでいる時が差をつけるカギ【勉強と練習と仕事と】

投資

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

さて、本日は大晦日ということですが、

  • 朝活をし
  • 仕事をし
  • レストランで仕事←今ココ
  • 夜は帰ったらまた仕事

です。

はいはい。「自分は頑張っていますよ」アピールね

と言われるかもしれませんが、僕なんて甘っちょろいほうです。

レストランやコンビニ、ショッピングモールや交通機関で働いている人からすれば、

年末年始?あぁフツーに仕事〜

と言われるだけでしょう。

働きすぎも良くないですが、僕は実は「こういうマインド」が結構好きでして笑。

よし!みんなが休んでいる間に勉強しよう!

とか、

雪が降っている中でも走って自分を鍛えよう!

とか、そう思ってしまうタイプなんですよね。

ダンスを本気でやっていた大学時代も、極寒の舞踊場(練習場所)や駅の構内で誰もいない中、一人でしこしこと練習をしていたものでした。

今日は「どういう時が成長する時か」について書いていきます。

周りが、世間が動いていなくても動き続けよう。無理をしろというわけではない。でも伸ばすならその時が一番だ。

いつものルーティン

僕は以前にも書いている通り、

  • お盆も
  • 年末年始も

特に変わらずに過ごしています。

なぜかといえば、

それを言い訳に自分のルーティンを崩すことは、甘えだと思うから

です。

甘え始めると止まらなくなるのが人間というもの。

そ、それは厳しすぎるんじゃないの?

いえ、僕はそうやって失敗を重ねてきました。

これくらいならいいだろう
この日は世間が休んでいるし休んでしまおう

と言い訳を作り始め、いくらでもその綻(ほころ)びから穴を広げてしまっていたのです。

だからルーティンを崩さないこと。

もちろん、僕が独り身だからこそできることでもあります。

この生活が正解だ

と言っているのではなくて、それぞれが思うように過ごせば、それでいいです。

ただ僕には僕の、過去の自分との約束があります。

自分にウソをつくわけにはいきません。

休日や世間でいうところの祝日などでもルーティンを崩さなくなったのは、正気を保つためかもしれませんね。

どこかで甘えを見せれば、きっと自分は堕落してゆくことになる

そんなちょっとした強迫観念が、僕がルーティンをやめないきっかけになっているのかもしれませんね。

どんな時でもルーティンを止めないことだ。過去の僕との約束を果たすために。

人が休んでいる時こそ

学生時代も、

  • 休日
  • 通学中
  • 休み時間

など、ありとあらゆる時間を使っては、

みんなが休んでいる間に!

と思って、必死に勉強していました。

大学時代も、できる限り毎日休むことなく、ダンスの練習に明け暮れていたものです。

それが崩れてしまったのは、働き始めてからでした。

もう自分はお金も稼いでいるし、帰宅後はフリータイムだろ

と言い放ち、

  1. テレビをつけ
  2. スナック菓子を頬張り
  3. 深夜過ぎまでエンタメを見ていた

という堕落っぷりでした。

別にどんな生活をしていたって構いませんが、今思えば何の生産性もない時間だったと言えます。

あの時の自分は一体…

「学生時代が終わった = もう働くだけでOK」

と、勘違いしていたのですよね。

人生とは様々な区切りはあれど、生涯を通して、

  • 学び続け
  • 働き続け

最後の最後まで生きていかなければなりません。

僕はどこかで、「休みたい時には休んでもいい組」に属そうとしていたんですよね。

だって疲れてるし。社会人だしさ。少しくらいイイだろ

と。

でも実は、そこに「求めていたはずの生活」はありませんでした。

年間で本を読むことも少なくなり、インプットはおろか成長することと言えば、職場の狭い知識や経験のみ。(それはそれで貴重ですが)

これは公務員や教員に限ったことではありません。

会社員もそうですし、誰にでも起こり得ることなのですね。

だからこそ、

よし。また学生時代の頃のように、時間をムダにすることなく、学び鍛え続けていこう

と思えたのですよね。

人が休んでいる時に働いている人が偉い

という決めつけをしているわけではありません。

ただ、

何かが足りないな
もっと自分を変えたいな

と、自分を叱咤激励したいと思っている人にとっては、効果的なのではないのかなと。

ボクサーのメイウェザーも言っていますよね。

お前らが休んでいるとき、俺は練習している。

お前らが寝ているとき、俺は練習している。

お前らが練習しているとき、当然俺も練習している。

「ちょっとした優越感」からでもいいですから、人が休んでいる時こそ、必死になって動いてみましょう。

僕はこれによって、だいぶ「自分を変えること」ができました。

「まるで自分だけが努力している」かのように思えるからですね笑。

もちろん、その時間は多少なりとも影響を与えてくれます。

だから人が休んでいる間に、差をつけていきましょう。

周りの人が休んでいる時ほどどんどん攻めて勉強して、練習していこう。これだけでも人間、変わることができるのだ。

戦い続ける戦士であれ

言い訳をしている場合じゃない

そんな気持ちから、自分を追い込むことに決めたせいじ青年でしたが、

人が休んでいる時にこそ成長したい

という気持ちは、実際は僕の心の奥底にあった「追い込んで強くなりたい」という本能からきているのだと思っています。

若い頃は体も小さく、自分に自信が持てていなかったため、

勉強だけでも頑張らなければ

と、好きだった勉強だけを必死にやっていました。

だから本能的には、「戦って何かに打ち勝ちたい」という気持ちがあったのではないかなと。

強くなるためには、少年漫画の修行のシーンのように、誰よりも鍛えて自分と対話しなければなりません。

それは誰にだって必要な時間であって、そのような時間なくしては、人は成長することなんてできませんからね。

特にこの考え方の良いところとは、「人が休んでいるであろう時期」に自分が成長していることです。

  • 体を休めること
  • しっかりと睡眠をとること

など、基本的な習慣を削れという意味ではありません。

それはそれとして確保しておきつつも、「誰もが休みたいとき」を狙って勉強したり練習したり、仕事をしたりするという意味です。

学生時代の頃も、

よし、この時間こそ成長の時間だ

と『蛍雪の功』という言葉を胸に、よく勉強していたものでした。

貧しい中で苦労して勉学に励み、その結果として大きな成果を上げること

こういう時期ほど、誰もが甘えたくなるもの。

その時間をあえて「追い込む時間」として使うことに、僕は価値を見出しているのですね。

このブログを書き始めた、4年前の2021年あたりからずっと変わっていない気持ちがあります。

それが、

リゾートでダラダラなんてしたくない

という気持ちです。

それ自体を否定しているわけではなくて、ただ僕がそこに価値を見出せなかっただけなのです。

その時間で自分が成長しているほうが、僕にとっては有意義だということ。

年末年始はあくまで一つの例ですし、家族との時間を大事にすることもまた、大切にしなければならない価値観です。

というよりも、僕の昔持っていた「しょうもない、怠惰で甘えた価値観」に対するアンチテーゼだと思っておいてください笑。

おい。ダラけてんじゃねーぞ、せいじ。気合い入れろ

とね。

休むことそれ自体は否定していないし、休息についても記事にしてきた通りだ。しかし自分の甘えや怠惰からくるものには鞭を打っていこう。その時間で強くなってゆくのだ。

おわりに

昔の僕は、本当に毎日頑張って勉強していましたし、いい意味で人と競っていました。

社会人になった途端に、どこか天狗にでもなっていたのでしょうね。

今こそ、過去の自分を超える時。

頑張っていきましょう。

それではまた!

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