悲劇のヒーローやヒロインになる必要はない【自虐的にならなくていいわけ】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

昔から日本人の傾向としてあることですが、「謙虚」が行き過ぎて、

自分が悪いんだ…こんな自分なんてダメなんだ

と、自分を責め始める人がいます。

僕はこの手の言い方がかなりキラいでして笑、

そうやって言っている「惨めな自分」が可愛いんだろ?

と思ってしまいます。

当然「程度問題」でもありますから、本当に追い込まれている人に対しては、そんな思いはありません。

ただ、僕らがこうして普通に生きている中で、

  1. 自分のことを卑下して
  2. 自分のことを正当化しようとしている

といった行動に対しては、甚(はなは)だ疑問ですね。

今日は「自虐行為のデメリット」についてお伝えしていきます。

「自分のせいだ」と言うことによって逃げていないだろうか。問題の本質から目を逸らしていないだろうか。

自虐を推奨しないこと

僕は日本史の知識に乏しく、全然と言っていいほど学んできませんでした。

世界史は高校の時に専攻していましたが、

とりあえず試験に通るために…

と思って、ただただ暗記していただけでした。

あまり歴史の本質を知ろうとしていなかったんですよね。

最近、政治系の動画を見ることで、

あれ?日本ってどうやら、メディアや新聞、そして海外勢力に今までやられてきたのでは?

と理解するようになってきました。

ものすごく知識を得たわけではありませんが、

  1. 敗戦国として
  2. 罪の意識を着せられていた

ということは間違いなさそうです。

もちろん、いろんな史実の見方がありますし、僕は専門家ではないので偉そうなことは言えませんが笑、

少なくとも、戦争で何かしらの影響を受けてきたのだ

と感じることはありました。

なんとなく納得もいきますし、

なぜ日本人はこんなに自虐的なのだろう?

と思っていた疑問にも、多少は答えてくれる内容でした。

歴史を見てみることで納得がいった僕は、

じゃあそんな自虐的な考え方、捨ててしまおうぜ!

と短絡的に思ったわけです笑。

仮に歴史を知らなくても、実際、僕はこんな風に自虐したことは(若い頃は多少ありましたが)ほとんどありませんでした。

それだけ、自分の命に誇りを持っていますし、この日本に生まれたことにも感謝しています。

よく自分に自信を持っている人を見かけては、日本人ほど、

なんだよ、調子に乗りやがって

と言い始めます。

僕はちょっとくらい調子に乗ったらいいと思うのです笑。

謙虚であることと「自分を卑下すること」は全く違います。

でもこうした背景には、実は歴史が絡んでいるのかもしれませんね。

日本は、敗戦国として自分たちの行いを責めるようになったのかもしれない。でも自分を責めることには意味がないのだ。

生きていていいと思うこと

僕は「自分のことを卑下する人」をキラっています。

と言うよりも、

そんなことして、何がしたいのだ?

と思っているからです。

一方である意味、戦後の海外の「洗脳プログラム」が効かなかった「異端児」が、この僕と言ってもいいでしょう笑。

とはいえ僕も若かった頃は、友人や知人と摩擦を生んでしまった時に、

自分はなんでもっと優しくなれないのだろう?

と狭い世界で、もがいていたこともありました。

もちろん、

  • 人を傷つけたり
  • 倫理に反したことをしたり

して、自分を正当化することなんてあってはなりません。

ただ、多くの人にとってそうした「自虐行為」とは、僕は意味がないと思っています。

人間ですから誰だって何かしら間違えることはありますし、意見が合わないことだってあります。

そんな中でも、ちゃんと「自分の生」に集中すること。

これが大事ですよね。

僕は、「生きてるだけで丸儲け」みたいな感覚がとても好きです。

この一度しかない人生の中で、果たして自分を傷つけて何になるというのだろうと、そう思うからです。

仕方ないだろ!そうすることでしか自分を保てないんだから!

深刻な場合は、カウンセリングや家族、パートナーの助けが必要でしょう。

ただ、普段から “そのように思ってしまう傾向” を持っている人は要注意。

自虐したところで、何も生まれません。

あぁ、自分は生きている。誰かのために働いたり、笑ったり楽しいことがあったりする

そう思えるだけでいいじゃないですか。

もっともっと、目の前にあるはずの幸せや小さな自分の頑張りに目を向けてあげましょう。

そうやって自分の「生」を誇れる人と一緒にいますと、僕も楽しいですし、「一緒にいたいなぁ」と思えると思っています。

自分の人生に集中することだ。それができる人の方が、一緒にいて幸せになる。生きているということに感謝し、ちゃんと自分のことを褒めてあげよう。

自分を傷つけることは何も生まない

こういうことを書きますと、

せいじだからそんなことが言えるのだ

と言ってくる人がいます。

勝手にしたらいいとは思いますが、そうやって、

  1. 他人のせいにして
  2. 自分を傷つけることで
  3. どこかで満足した気になる

というように、自分を騙しているのではないかと、僕は言いたいです。

聞いている周りだって面白くないですし、

なんでそんな意味のないことをするの?

と思われてしまいます。

  • 自信がなかったり
  • コンプレックスがあったり

するのは、誰だって同じです。

「何もかも手に入れたような人」だって誰かから何か言われますし、何かしら不安やらツラいことやらもあることでしょう。

だったら、そこって考えても意味ないんじゃない?

僕はこう思うようになりました。

自分を傷つけたところで、

  • 時間のムダだし
  • 自分のHPは減っていくし
  • 聞いている周りの人だって聞くに耐えないし

と、まるでいいことがありません。

かけがえのない自分しかいないのに、最後の砦である自分が自分を傷つけても、残るのは「傷ついた自分」だけです。

別にキレイごとを言うつもりはありませんが、やはりどこまで行っても、

なぜ自分を傷つけるのか?

という疑問に戻ってきませんかね。

ここには、戦後の日本人に植え付けられたプログラムの関係もあるでしょうし、社会的な動物としての「防衛本能のうちの1つ」でもあるのかもしれません。

いろんな見方があって、

  • 歴史的な見方
  • 心理学的な見方
  • 人間としての生物学的な見方

など、様々あることでしょう。

もっとフラットに見た時に、ざっくりと「僕なりの素人の意見」としては笑、

そんなもん。意味ないからやめときな

ということ。

それでメリットがあるなら良いです。

中には、自虐することで気が晴れる人もいるかもしれませんが、

  • 長い目で見て
  • 社会全体で見て

やはり意味があるとは思えませんね。

そんなことに時間を割くくらいなら、残りの人生をもっと自分に向けてフォーカスを絞って生きたい

僕はそう思っています。

自分を傷つけたって、人生において意味があるとは思えない。だからもっと自分を愛していこう。短い人生、ムダなことに時間を使っても意味はないのだ。

おわりに

歴史的な背景などは、まだ勉強したばかりですのでよくわかっていませんが、日本人にはそうした「自虐行為」をしてしまっている人が多いような気がします。

もちろん、落ち込むことや失敗に対しての自己嫌悪を「0%にする」というのは難しいことでしょう。

ただ、傾向としてそうしたことをしないようにすることは、人生における大切な選択だと言えます。

僕は自分のことを傷つけないようにしながら、また今日を自分のため、誰かのために生きていこうと思っています。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました