こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
今年は人と会うことが多く、
- 英語
- サウナ
- ダンス
など、さまざまな「媒体」を通していろんな人と出会いました。
以前の僕も、
と思うことで1日を頑張ることができていたものでした。
それは今でも変わっておらず、「人と出会う」ということが予定に入っているとウキウキしてしまいます笑。
そんな予定が入っている毎日を過ごしていて、ふと「幸せだなぁ」と思うことがあります。
今日は日々に転がっている「小さな幸せ」について書いていきます。
幸せはそこに「ある」もの
「幸せ」は僕のブログのテーマでもあります。
先日も「幸せの青い鳥」について記事を書きました。
日本に住んでいると気付きにくいですが、僕は今の生活を幸せに感じていますし、十分に満足しています。
まるで僕が海外経験豊富のように聞こえますが、そうではありません笑。
それくらい、世界が狭くなりつつあり、いろんな国のいろんな事情を、ネットで知ることができるようになったと言うことです。
その「実体験」をするために、僕は来年の2023年から、世界を見て回る旅をしようと思っています。
その話はまた今度にするとして、日本にいますとどうしても今ある「幸せ」に気付きにくいものです。
- 毎日が多忙で
- 子育てや家事に追われ
- 仕事や人間関係で辟易する
これでは、
と思うに決まっています。
本当はそこにあるはずの幸せに気づけないなんて、そんな悲しいことはありません。
以前の僕は、
- 仕事
- 飲み会
- プライベート
と、それぞれにハッキリと線引きをしていました。
仕事が楽しければ良かったのですが、仕事でよくストレスを溜めては飲み会で発散していたものでした。
つまり、「幸せではない要素」が強すぎて、飲み会や遊びの場に頼ってしまうことが多かったのです。
本来は純粋に楽しみたい時間なのに、ほれらが「発散のための時間」となりますと、グチや陰口が多くなりあまり良い時間とはなりませんよね。
本当はそこにあるはずの「幸せ」に気づかないと、どんどん負の感情が募るばかりです。
まずは幸せが、そこに「あること」に気づくこと。
すると「幸せ」へのアプローチも変わってきます。
小さな幸せを探そう
以前にも、横浜みなとみらいでコーヒーを片手に海を眺めていて、涙を流したことがありました。
最近はこういう瞬間が多くなりました。
と思われるかもしれませんが、別に「情緒不安定」というわけではありません笑。
昔の人たちほど、
- 「天気がいいなぁ」
- 「空気が澄んでるなぁ」
- 「子どもたちの笑い声が聞こえるなぁ」
これらの感覚を、当たり前に感じていたのかもしれません。
だから、
というつもりはありません。
現代は生きやすいですし、文明が発達して暮らしが本当に豊かになりました。
ただ、本当に大切なことは忘れ去られてしまっているような気がします。
昔は「生きることに必死だったから」です。
「何不自由なく生きていること」
を奇跡だとすれば、目の前にあるさまざまなことに、驚くほど感謝できるようになります。
感覚としては、そこに「ある」幸せに、
- 気づいて
- それを探して
- 見つけること
が大事だと思います。
たぶん多くの人は、そもそもそこに「ある」はずの幸せに、気づいていないことが多いのだと思います。
意識していないと、なかなかわからないものだからです。
と聞かれて、みなさんならどう答えるでしょうか。
- つまらない
- イライラしている
- うまくいっていない
など、ネガティブな感情が出てきたら、少し考え直したほうがいいかもしれません。
僕が見る限りでは、多くの人がもうすでに幸せな状態にあると思うからです。
まずは幸せが近くにあることに気づき、探してみること。
そうして、小さくても幸せを感じることができるようになること。
すると人生は(僕がそうなっていったように)、少しずつ豊かになっていきます。
- 陽の光でも
- スポーツでも
- 澄んだ空気でも
- 友人との時間でも
なんでもいい。
普段からみなさんの近くにある「幸せ」を探してみましょう。
日常にある具体的な幸せ
僕の中にもさまざまな「幸せの定義」があります。
- ワクワクする
- 満たされている
- 人と会えている
そうした「行動」は、幸せを感じやすいものです。
「楽しい = 幸せ」のように、感情がそれぞれのイベントを、幸せと結びつけやすいからですね。
でも本当は、もっと小さいながらも、「幸せ」は日常に溢れています。
感じ方は人それぞれによって違いますし、
という意味でもありません。
ただ、そこに気づけるようになったことで、僕自身の人生へのアプローチは180°変わりました。
歩いてコーヒーを買って、どこかでスイーツでも買って帰る。
人によっては贅沢なことなのかもしれませんが、僕にとっては平凡な休日です。
そこに幸せを感じたことなんて、今までではありませんでした。
人生について考えていく中で、少しずつ毎日の出来事に感動するようになりました。
僕は、
「与えられたこの人生を、最期まで生きなければならない」
と思うからこそ、「幸せ」に感じる瞬間はあるに越したことはないと思っています。
僕が提示した「幸せ」は、あくまで僕なりの解釈であり、人それぞれ幸せの捉え方は違います。
しかし、
「小さくても幸せを見つけられること」
は、生きていく上でとても大切なことであることは間違いありません。
だから、できる限り自分なりの幸せを探しておくこと。
それは「日常」にほど存在しているものであり、
- 仕事中
- 朝起きた部屋
- 通勤電車の中
- 人と会いに行くまでの道
など、どこにでも見つけることができます。
こういう人は、「感性が弱い」というわけではありません。
単純に「余裕がない」のです。
思いっきり休んで、世界を見渡してみてください。
ゆっくりと見る「普段の景色」は、また違った色に見えて鮮やかに映るはずです。
- 散歩
- 瞑想(マインドフルネス)
をして内省をしてみましょう。
毎日の「何が尊いのか」に、気づけるようになってきます。
おわりに
日常の幸せに気づけるようになったからこそ、今までの自分がいかに「与えられて当然だ」と思って生きてきたかがわかります。
幸せに気づけていないことが「悪」ではありませんが、普段の些細なことに、
- 感動できる人
- 感謝できる人
は、人生を豊かに生きていくことができます。
僕が目指すのは幸せで豊かな人生。
もうすでにそんな境地まで達していますが笑、毎日を「当たり前にくる日」と思わずに、もっと感謝して生きていきたいですね。
それではまた!
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