初めて靖國神社に行って涙が止まらなかった理由【命について考える】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、靖國神社に参拝に行ってきました。

上の記事は、行く途中に電車で書いていたものでしたので、行った感想ではありません。

結論、細かいことを言いますと「参拝すること」はできませんでした。(いわゆる小銭を投げて拝むこと)

しかし近くまで行って手を合わせて祈りを捧げ、遊就館にも行ってきました。

それだけ、圧倒的に人が多かったのです。(2時間待ちだったとか)

ほぼ日本人のみでした。

遊就館では特攻する前に残した手紙を拝読。

涙が止まりませんでした。

今日は自分の命や今の日本についてなど、書いていきます。

僕が20代の頃、命をかけて国や家族を守ることができただろうか。彼らの魂に応えられるよう、僕も命を張って生きていかなければならない。

遊就館での涙

まさかこんなに泣くとは思ってもいませんでした。

遊就館|靖國神社
明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦歿した軍人らを祀る神社。概要、年表、拝観案内。

最初は少しだけ並んで待ち、甲冑や刀を見ては、

へー。こうやって戦ってたんだ

と思って見ていました。

だんだんと「歴史」の話になってきて、

  • 日清戦争
  • 日露戦争
  • 盧溝橋事件
  • 安政の大獄

など、受験期に “学んだだけ” のワードが出てきましたが、当然内容は頭に入っておらず。

食い入るようにして読みましたが、自分の勉強不足に涙が出ました。(泣いてはいない)

その後回っていきますと、最後の方で戦没者の方々の御遺影が飾られている部屋にたどり着きました。

なぜかすすり泣く人たちがいるので、どれどれと見たのをきっかけに、僕の涙腺は崩壊してしまったのです。

ウソだろ…20代前半で?

多くの特攻隊員はどうやら「エリート」にあたるらしく、彼らしか特攻することは許されていなかったようでした。

彼らの家族に向けた手紙、奥さんや子どもを残してこの世を去っていく旨を書いた手紙を読んでいましたら、僕の目からは自然と涙が溢れ出ていました。

それは単純に、「悲しかった」という言葉では言い表せません。

この若さで日本を守るために、恐怖と戦って後悔しながらも、同時に誇りを持って家族を守って散っていったんだな

と、もうこうして気持ちを書くのも野暮なくらい、いろんな感情が押し寄せてきました。

彼らは命を顧(かえり)みず、日本を守り抜きました。

待っていた奥さんや子どもたちもまた、尋常な精神状態ではなかったことでしょう。

僕はまだ一度しか足を運んでいませんが、何度行っても足りないくらいの、そんな場所のように思えましたね。

ふと訪れた遊就館では、涙が止まらなかった。同じ日本人として、彼らの若き命があまりにも尊かったからだ。

自分の命をかけて国を守れるか

僕はもう30代も後半になりますが、この日本が戦後80年、戦争なく平和に暮らしていけていることに、今までずっと感謝できずにいました。

  • 生きていて当たり前
  • 毎日ご飯が食べられるのが普通
  • 友達と笑い合って充実した一年を過ごす

こんな「当たり前」があるのは、1945年(第二次世界大戦終了)までに戦い抜いた人たちがいたからだということを、忘れてはなりません。

僕が20代だった頃、今から国を守るために行ってこいと言われていたら、果たして自分の命を差し出すことができただろうか?

遊就館にいる間は、ずっとその考えが頭の中を巡り、若くして命を賭していった彼らに思いを馳せていました。

今現在、日本は危機的な状況にあり、いつ戦争が始まってもおかしくありません。

なんだよ?じゃあせいじは戦争に賛成とでも言うのか?

とんでもない。

あんなもの、写真や映像を見ただけでも、二度と起こしてはいけないものだとわかります。

しかし、いざ「僕の大事なもの」を守るとなったら、僕は命を差し出すと思います。

冗談だと思いますか。

逆に聞きましょう。

みなさんなら、家族の命に危機が及びそうになった時、自分の体を張ってでも助けるんじゃないんですか。

僕だって同じです。

日本人とはそういう民族なのです。

特に男である僕は、「真っ先に女性と子どもをを守ること」が遺伝子に刻みこまれています。

ちなみに世界を回った時も、

途中で何かに襲われて、命を落とすかもしれない

そう思っていました。

たまたま無事に帰ってくることができましたが、もしかしたらそうした世界線もあったかもしれませんよね。

だから僕は、

大切なものを守るためであれば、自分の命を投げ出すこともやむを得ない

と思っています。

それは “今でも” です。

もちろん、どこまで行っても口で言っているだけですし、命が惜しいです。

それでも究極の選択を迫られた時には、その判断をする可能性は非常に高いと思っています。

そうまでしてでも、僕は日本や日本人、大切な人たちを守り抜きたい。

そう思ってしまっているのですね。

若くして特攻していった人たちの遺書を見て、僕は今の自分と照らし合わせてみた。僕は命を張ってでも、大事なものを守り抜きたい。男なら誰だってそうなのではないだろうか。

これから学ぶべきこと

これは命を粗末にすることを意味しているわけではありません。

聞こえによっては「行きすぎた愛国心」と揶揄(やゆ)されても仕方のないことでしょうけれど、僕たちは「今」の日本に危機感を持ち、国を守らなければなりません。

しかし、僕が自分の命うんぬんと同時に感じてしまったこととは、先述した通り、自分自身の「歴史認識の浅はかさ」でした。

古事記や神道を勉強し始めたからこそ、先日の遊就館で、

ダメだ。自分の「学」が浅すぎる

と痛烈に感じてしまい、家に帰ってから南京事件や盧溝橋事件についての動画を見ました。

歴史についてなぜ学ぼうとしなかったのかといえば、それだけ自分に「愛国心」がなかったからだったと思っています。

自分には関係ない
歴史なんて学んでも意味がない

こんな考えを持っていたことが、今の自分に繋がっているのではないかと思っています。

日本の教育では、自虐史観を教え込まれている

とはよく言われていますが、僕は「それすら」ありませんでした。

逆にその息がかからなかったからこそ、

日本人ってなんかシャイでヘコヘコしてて、もうちょっと自分の意見を持ったらいいのに

という、また違った角度から「自虐的な日本人」に疑念を抱いていました。

今となっては、

もっと日本の歴史について学びたい。どうやって世界からこの国が守られてきたのかを知りたい

と思うようになりました。

「先生気質(かつ徹底的に調べるクセ)」がある僕からすれば、そういったことを、

  1. 自分で学んで
  2. わかりやすく伝える

ということが、とてつもなく好きなのです。

投資を勉強していた時も、

じゃあこの場合だったらどうなるの?

という質問がされても答えられるよう、専門家ではないにしろそれなりに自ら学んでいました。

僕がこれから学ばなければならないこととは、そうした歴史認識だけでなく、

  • 政治
  • 国際関係
  • 日本のあり方

など、総合的なものです。

もう日本では、誰もが政治に対してフラットに話せるようになってきました。

僕も負けてはいられません。

しっかりと国家観を持って、勉強をしていかなければいけないと思っています。

自分の命について学ぶことも大事だが、それと同時に今の日本のあり方や国際的な立ち位置について考えることも大事なことだ。しっかりと学んでいこう。

おわりに

人生で初めて訪れた靖國神社。

そこには僕のまだ知らなかった「歴史」がありました。

これらは、知ろうとしなければ知らないままであるように、意識を意図的に向ける必要があります。

いつまでも、マスメディアのプロパガンダに騙され続けてはいけません。

我が国を守るために散っていった人たちに恥じないよう、学び続けていきましょう。

それではまた!

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