立ち止まりたくなる時、僕はどうするか【いかに僕らの人生は短いか】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

こうして日々ルーティンの中に入っていきますと、

こんなんでいいのかなぁ

とも思っています。

いえ、確かに僕はしっかりと自分の事業を進めようとしており、

  1. 少しずつ範囲を広げることで
  2. いろんな人に認知してもらって
  3. 結果的に届けたい人にサービスを届ける

という流れを作ろうと、あれこれと奔走しています。

ただ、ふとした瞬間(例えばサウナに入っている時とか)、

僕は今後、どうしていくのだろう?

と思うことはあります。

今日は「僕が立ち止まらない理由」について書いていきます。

人生はあっという間だ。だからマラソンではなく短距離走なのかもしれない。いずれにせよ、止まるより走っているほうが断然いい。

ふと立ち止まる時に考えること

こんな風に毎日ブログを書いている僕でも、ふとした瞬間に魔が差すこともあります。

自分は一体何に向かっているのだろう

と。

しかしこれは、教員時代に感じていた「何をしているのだろう?」とはまた違った感覚でした。

教員時代は、働いてお金を稼ぐことはできましたが、

  • やり切れなさ
  • これから先の不透明さ

について真剣に考え、辞めることを決意しました。

あの時の感覚とは、ちょっと何かが違うのです。

少しだけ「ポジティブな迷い」にも思えますね。

今はたぶん、事業の波に乗れていないからこそ、そう思ってしまうのだと思います。

これはいつでも起こることでして、

  • ブログを始めた時
  • 英文法を教えた時
  • 世界一周をした時

全てにおいて、始めた直後に「危機的状況」が生まれたものでした。

いわゆる「俺今、何してんだろう症候群」ですね笑。

だから僕は、立ち止まりそうになった時にはいつも考えます。

いいから続けよう

と。

その結果、いろんなことに繋がったことは間違いのないことでした。

  • どんな状況でも
  • イヤなことがあっても

続けてきたからこそ、得られたものが多かったのでした。

ただ、決して「続けること」それ自体にとらわれてはいけません。

  • 続ける中に成長があるのか
  • 自分なりに意味を持たせているのか

などの問いが大事であって、「とにかくやればいい」は思考停止になってしまいますからね。

特に先生を続けていた時は、「思考停止」の状態でした。

続けていればお金がもらえるため、経済的に何も恐れるものがなかったものの、ほとんど自由はありませんでした。

ある意味、「大丈夫か?」という恐怖心はありました。

そんな時に止まってみて、一体何がいけないのかを考えてみることです。

また続けていくのもよし、舵を切るのもよし。

立ち止まること自体は問題ありません。

そこからどうしたいのかを、よく考えることですね。

ふと立ち止まることは誰にでもある。続けていることに意味があるかどうかは、後でわかってくることでもある。

人生はあっという間に終わると知ること

僕が必死で生きるようになったのは、その人生の短さを知ったからでした。

何もせずに生きている時なんて、本当に意味のない時間でしかありませんでした。

確かに先生を始めた時は、それなりに一所懸命でしたし、たくさんの仕事を覚えました。

ただ、

プライベートが大事なんだ

と言い訳をかまし笑、仕事は適当にやっていました。

その時の記憶なんてほとんどなくて、

  1. 適当に働いて
  2. 飲みに行って
  3. 休日は遊び散らかす

という状態でした。

これを「思考停止」と言うのですね笑。

「教師を続ける」という意味では、”継続” なのかもしれませんが、あのままでは僕の人生はゾンビ状態、つまり「死んでいるように生きている状態」が続いていたことでしょう。

今の時代を生きている人たちなら、よくわかると思います。

  • 芸能人も
  • スポーツ選手も
  • インフルエンサーも

いくらどんなに有名になっても、いつかはいなくなってしまうということ。

あっという間にいなくなることだってあります。

だからといって、

有名になったってムダだ

とは思いません。

そういう人たちほど、「今の大切さ」を知っているからです。

今しかできないとわかっているから、必死で頑張って、お金を稼いでいるということ。

僕もその事実に気付かされました。

いいからなんでもやってみる。その後、衰退してもいいから、とにかく続けていく

そう決めたのです。

頑張り続けて何もうまくいかずに最期を迎えたとしても、それはそれでいいのかなとも思っています。

それまで頑張ったことはウソにはなりませんし、そうやって走り続けた人生のほうが楽しいに決まっているからです。

「あっという間に消えていく人たち」を一発屋だなんて揶揄(やゆ)する人もいますが、今の僕にとっては、

そのステージに立っただけでもすごい

と思えています。

そのステージに立つことすらできない人もいますし、ハナからバカにして遠くから石を投げてくるような不届者もいます。

一生すら短いと言えるのですから、その中で必死にもがいて何かに挑戦していくことは、ある意味「正しい」とも言えます。

もちろん、いろんな生き方がありますから、

  • 有名になったり
  • お金を稼いだり

することが、この世の全てだとは言いません。

ただ僕にとっては、一所懸命に頑張ることが今の一番の生きがいとなり、そうやって過ごした日々のほうが大きな意味を持っていました。

人生はあっという間。

そう感じたのならば、止まっている場合ではないのです。

人生はあっという間に終わってしまう。だから必死で生きることも悪くない。

まるで短距離走

僕は人生を「マラソン」だと思っていましたが、

実は短距離走なんじゃないか?

と思うようにもなりました。

いえ、言っていることは一緒なのですが笑、

とにかく走り続けなければいけない

という点を考慮しつつ、かつ「人生は短い」と認識をするのならば、短距離走のようにガンガン走っていくしかないのだなと思ったのです。

だから時に休んでもいいのです。

ただ、すぐにスタートしなければいけないですけどね笑。

どちらの例えもあり得るのかなと思っていますし、これはその人の考え方によるのかなと。

こうして新事業を始めて、

どうやったら人に喜んでもらえるか

を追求することは、今までの教員生活の “継続” とは大きく異なっていました。

走り続けることはとても大変です。

でも、長距離走と違って「目の前のゴール」がとても近く感じられるようになったのは、間違いありませんでした。

それは教員時代と違い、ダイレクトに人と関わることができたからです。

教員時代もそれなりに頑張ってはいたものの、

  • 立場
  • できること

などの制限が多くて、

できる範囲内で精一杯やっていただけ

に過ぎませんでした。

もっともっと、誰かのために何かできるはずだ

そう思えたことは、僕にとって大きな革命でもありましたね。

人生それ自体を短距離と認識してもいいですし、自分の事業の区切りをゴールと仮定してもいいかもしれません。

とにかく毎日、全力疾走で走り続けることです。

「止まっていない人たち」ほど、いつでも自分の人生の短さを認識しています。

だから走り続けられるし、止まることをやめないのだと思います。

僕もそうありたい。

短距離走を繰り返していって、「結局は短かったなぁ」という人生の最後に、息をあげて一生を終えるのです。

たった一回きりの人生。

止まって考えることだってあります。

でもなぜか僕は、その先にある「何か」を求めて、走り続けてしまうのですね。

生きるとはマラソンかもしれないし、もしかしたら短距離走なのかもしれない。息が上がるまで、猛ダッシュで進んでいこう。

おわりに

いつも思うのは、

ここで止まることができたらどんなに幸せだろうか?

と思うかどうかということ。

今の僕は、そんなことを全くもって考えなくなりました。

たぶん止まっていた時間のほうが、たくさん後悔してきたのだと思っています。

何事も始めた直後はうまくいかず、人に届かないこともしばしばです。

でも僕は、

それを数年も続けて前に進んでいれば、きっと自分の望む「像」が手に入る

と信じています。

だから今日も走り続けます。

みなさんと一緒に。

それではまた!

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