僕が常に懐疑的であることのメリット【世の中を信じ込まない】

投資

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕は昔から「懐疑的」でした。

それはなぜかといえば、「たくさん勉強してきたから」だと思っています。

勉強をしていますと、

あれ?これって本当に合っているのかな?

と疑う気持ちが強くなります。

鵜呑みにしすぎるのは良くないですし、かと言って疑いすぎるのも良くない。

僕はこの絶妙なバランスを取ることにしています。

今日は「疑うことのよさ」について書いていきます。

懐疑的でいるといろんな知識が身に付く。信じなさすぎることもいけないが、ある程度調べるクセをつけておこう。

疑い深かった学生時代

先述した通り「ガリ勉のすけ」だった僕は笑、教科書に書いてあることを勉強していた一方で、自分が「これだ」と信じていたものを指摘された時には、すぐにネットで調べていました。

当時(僕が中学生の頃)はネットが世に出始めたくらいで、まだみなさんパソコンを使っていませんでした。

父と兄の影響でパソコンがあった僕の家で、僕は当時でも珍しい相当な「リサーチの鬼」と化していました笑。

だからAIが出た現在となっても、

うーん、AIの判断もいいね。でももっといい情報があると思うから、もうちょい調べるわ

と、AIよりも自分の経験と感覚のほうを大事にしているレベルです笑。

もう20年以上も前から、ネットで検索を繰り返してきた人間ですからね。

だからこそ、

ネットで調べたものも、果たして本当に正しいものなのだろうか?

とも、今では思っています。

みなさんに理解していただきたいのは、

  1. 自分でめちゃくちゃ調べて
  2. 自分でめちゃくちゃ勉強する

これが「最強」ということですね笑。

英語や日本語も、ネットで出てくる情報では疑い深いところもあります。

ネットの社会にいち早く慣れたせいじ青年は、「信頼性に欠けるページ」の判断もできるようになりました。

調べるとは手間がかかりますが、

一発で間違いない情報を得たい

というのは、実はかなり難しいことです。(簡単なことなら別ですが)

  • ある程度自分に知識があること
  • いろんな情報に触れておくこと

をしていなければ、

AIがそう言ってたよ
ネットで調べたら、そう出たよ

とだけ言う人間になってしまいます。

これはテレビでも本でも一緒です。(これらはある程度、信頼性が高いですが)

“勉強” とは決して机に向かうことだけではありません。

また「正しい知識を持っていること」だけが、優秀だというわけでもありません。

情報を取捨選択し、自分の中にどう取り入れていくかが大事なのです。

学生時代、ネットが出てきてから僕はたくさん調べるクセがついていた。いつでも情報は玉石混交。自分で見極められるようにしよう。

懐疑的な性格の良かったところ

僕はいつでも懐疑的であり、あまのじゃくです笑。

それって本当にそうかな?

と、いつも疑ってかかっています。

なんだよ、そうやって他人を批判したいだけかよ

それだけならいいんですけどね。

いつでも「自分自身」をも、疑っているといった始末です笑。

だから朝活でも英語の授業でも、何かを投稿するときも、必ず見直しては間違いがないかをチェックしています。

このブログでも、自分が普段使っている言葉が正しいのかそうでないのかを、よく調べています。

特に、

現金が全てだ

と思っていた頃、友人から指摘されたのに腹を立て、

投資?そんなもの、いいはずがない!ギャンブルなんだ!

と、調べては本を読み始めていました笑。(ありがとう涙)

自分にとってそれが正しいのか正しくないのかを自分自身で判断できたからこそ、おかげで今の自分がいると思っています。

  • 学習においても
  • 人生観においても

調べるクセ」はつけるようにしています。

正解のない世の中ですから、たとえば睡眠や食に関しても、

  • 何冊か読み
  • ある程度信じて
  • また新たな情報も入れてゆく

という手法をとっています。

僕が、

こう学んだんです

と言っても、

最近実は変わったんですよ

とか、

専門的な見地から言わせてもらいますと…

と来れば、

なるほど!そうなのか!

と、また正しいかどうかのリサーチを始めます笑。(マジ変態)

でもこの「リサーチ癖」は、多くの生徒さんに好感を持ってもらう要因となりました。

わからないことはわからないと言って調べてくれる
それが本当に合っているかどうかを必ず確認してくれる

こんな意見がもらえるのは、自分の言動や発信をも疑い、自分の使っている英語についても「本当なのだろうか?」と懐疑的になっているからだったと思いますね。

別に僕は、誰かを批判したいわけではないのですが、

これは正しいです。間違いありません

と、専門家でもない人が言っている時には、

本当?待って、徹底的に調べるから

と、嬉しさ9割くらいで調べてしまうのです笑。(やめろ笑)

そして生徒さんも、

とにかく正しい答えが欲しい

というわけではないということ。

一緒になって勉強してくれる先生のほうが、実は親近感があるのかもしれませんね。

懐疑的であることは、「=批判的」というわけではない。そうやって自分の知識や経験も疑っていきつつ、学び続けることなのだ。

それでもバランスは必要

では、懐疑的である僕は何も信じていないのか。

当然、そんなわけありません笑。

投資だって疑ってはいたものの、“調べたおした上で” 開始しました。

大切なことは、

  1. ちゃんと自分なりに調べて
  2. ちゃんと自分なりに勉強して
  3. ある程度固まったらGOサインを出す

という絶妙な按配です。

  • 調べることに時間を使いすぎる
  • すぐに鵜呑みにして信じてしまう

など、いつでも「極端」はうまくいかないものです。

だから上記のようなステップを踏むことですね。

え?でもその「ある程度」がわからないんじゃない!

そんな言葉をもらいますが、ここでのポイントは「経験」ですね。

僕は20年以上前から、情報の取捨選択を行なってきました。

もしそういう作業に慣れていない人であれば、まずは段階を踏む必要があります。

  1. 専門分野や気になっていることなら書籍を買う
  2. ネットなら、1つの事象に対して少なくとも3〜5記事は見る
  3. 友人と意見交換をし、自分の見解が及第点を取れているかを確認する

特に「3」のようなアウトプットをしている人は、少ないのではないでしょうか。

自分の意見が間違っていたらどうしよう?
議論すると関係性がこじれるから言わないでおこう

など、成長することのできない考え方に支配されてしまっている人もいます。

そこで間違ってしまってもいいのです。

その後、自分で調べたり、あるいはその場で調べればいいのですから。

僕だってこうしてブログで好き勝手書いているじゃないですか笑。

もしかしたら、間違えているかもしれないですよね。

それでも僕が書き続けるのは、それで指摘されても「問題ないから」です。

また自分なりに意見を整えて、考え方を変えていけばいいだけのこと。

インプットもアウトプットも、バランスよくいきましょう。

懐疑的であることも大事であるが、同時にある程度でとどめて行動/挑戦もしていかなければならない。うまい按配でやっていこう。

おわりに

僕は昔から懐疑的です笑。

でも普段から「ある程度突き詰めること」をしていますと、それが回り回って自分のためとなります。

正解はない世の中だからこそ、

  • 自分を
  • 世界を

疑っていきましょう。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました