こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
明日はいよいよ新人の研究授業ということで、指導教官ではないものの、夜遅くまで一緒になって「あーでもないこーでもない」と授業改善の「詰め作業」をしていました。
大変驚かれるのですが、こんななりでも僕は大学院を卒業しています笑。
だからどうしても「英語教育熱」が沸いてきてしまうのです。
新人とは、
- イントロダクションから始まる流れの確認や言葉の使い回し
- リスニングのときのタスクはどうするのか?
- なぜ音読させるのか?
- 指示は的確か?
などを明確にさせるように、たくさん話をしました。
しかし時間も時間でしたので、明日のためにマイナーチェンジだけをして、研究授業に臨むこととなりました。
抜本的に変えてしまうと、「指導案」(授業の流れのプリントのこと)と食い違ってしまう恐れもありますからね。
今日はそんな教師である僕の「授業に対する熱い思い」を書き綴っていきます。
何かを教える時は順序が大切
英語に限らず、何かを学んだり逆に教えたりする時には順序が大切になってきます。
- スポーツでも
- 芸術でも
- 投資でも
基礎・基本を通らずして上達することはありません。
こと言語に関しては顕著でして、英語の授業で順序を間違えてしまいますと、生徒たちは混乱してしまいます。
まず大切なことは、「インプット」です。これなしには語れません。
僕も30代になって「インプットの大切さ」が身に染みております。
英語であれば、
- 「聞くこと」が一番始めにすべきインプットで、
- その次が「読むこと」です。
スポーツや芸術であれば、見たり真似したりと、モデルに沿って学ぶことをインプットというのでしょう。
人生論に関して言えば、人生を豊かにするための「行動」の前に、
- その行動の原動力となる本や動画やお話
- 説得力を持たせるための知識や情報
が前提として必要です。
当たり前のことを言っているようですが、何事においても「インプット」が一番最初にあり、そこから「アウトプット」へと向かっていきます。
英語やスポーツ、芸術などは「そんなもの、まずは口や体を動かしてなんぼでしょ」と言いたい方もいると思います。
確かに真実であり、間違ってはいません。
ただ、インプットとアウトプットがほぼ同時に見えていますが、実は必ずインプットが先行しています。
では今から、
- 「アラビア語を学ぼう」
- 「セパタクローをやってみよう」
とイメージしてみましょう。
まず「アラビア語はどういう字?発音は?」と、見たり聞いたりしなければ、アラビア語の全体像がわかりません。
また「セパタクローって、そもそもどんなスポーツ?ルールは?」と、概要を掴むところからセパタクローを知るスタートとなりますよね。
だから大切なことは、生徒へのインプットをしっかりと考えてあげること。
英語においては、これが大原則となります。
しかし新人ということもありまして、インプット自体がフワフワしており、まだ順序に説得力がありませんでした。
生徒に英語を教える順番としては、まだまだ事足りないし改善点の多い授業計画でした。
極端に言いますと、
- 発音の仕方がわからないのに「発音してみて」と言ったり
- 意味がわからない単語ばかりあるのに「とりあえず音読しようか」と始めてみたり
してしまうパターンですね。
そこに意味があればまだ良いのですが、もちろん裏付けもなく…
まだ教員人生は始まったばかりですからね。今後も見守っていこうと思います。
まずは明日、頑張ってほしいですね。
楽しいと思える授業とは何か?
いろんな学校を経験していますと、英語がハナから嫌いだという生徒もたくさんいます。
人間誰しも、最初から嫌いなことや苦手なことがあって当たり前です。
さてそんな生徒たちを前にした時、みなさんならどのように英語を教えるでしょうか。
僕が大切にしていることは、以下のことです。
- 「わかる」ことが大切で、無理やり全部英語にしない。
- 生徒との相互作用を大切にする。
- めちゃくちゃほめる。
- 口や手を動かさせる。
- 簡単なこと9割、難しいこと1割くらいにしておく。
たくさんあげたかったのですが、とりあえずこれくらいにしておきましょう。
「わかる」ことが大切で、無理やり全部英語にしない
“All in English”という言葉が、以前は流行りました。
最初のイントロダクションから文法や問いかけなどを、「全て英語で行なう」というものです。
僕もできるなら、この手法を使いたいものです笑。
しかし英語を苦手としている生徒を前にしますと、うまくサポートをしないまま全部英語で授業をした暁には、一瞬で嫌われてしまいます。
大切なことは、生徒が理解していることを確認しながら進むことです。
先生だけベラベラ英語をしゃべって進んでいっても、それは「先生の自己満足」でしかありません。
たとえ優秀な生徒の多い高校でも、時に「わかりやすく」日本語で説明すべき部分が必ず現れます。
あまり「All in English」の呪縛に囚われ過ぎず、生徒が理解してついてくることができるような授業を目指すこと。
そのほうが生徒も「置いていかれた感」がなく、自信を持って授業に取り組むことができるのです。
生徒との相互作用を大切にする
英語に限らず、スポーツでも芸術でも、生徒(後輩など)に教えているときはコミュニケーションは欠かせません。
- 「ここまでわかってるよね?」
- 「次行くけど全部写せたか〜?」
- 「これについてみんなはどう思う?」
など、問いかけや投げかけの仕方は様々ありますが、どれも必要です。
生徒との信頼関係は、僕がずっと大切にしているテーマなのですが、それを築くためにも授業中のコミュニケーションは不可欠です。
「先生が王様」「上下の関係」など勘違いをしてしまいますと、これもまた一瞬で関係が崩壊してしまいますね。
英語でやりとりできるのがベストではありますが、そうもいかない場合はヒントを出したり聞き方を変えてみたりして、生徒にアプローチするようにしています。
単純に「日本語で答えてもいいよ」と言いますし、生徒もわざわざ「間違えてもいいですか?」と聞いてくるときもあります。
そんな時は「いい、いい。間違ってもいいよ」と、答える姿勢自体を尊重してあげるようにしています。
まずは人間同士の話し合いから、ですね。
めちゃくちゃほめる
以前の記事でも書きましたが、僕は死ぬほど生徒を褒めます笑。
いくつになっても褒められることは嬉しいことです。
「こいつ適当に褒めてるな」と思わせないようにするには、
- 簡単に解答できてしまう問題には軽い「褒め」を使い、
- 難しいものや生徒が頑張って答えたものには重い「ほめ」を使う。
このように、使い分けるようにしています。
結局どんな形でも、褒められることはやっぱり嬉しいと思うんですよね笑。
ただし「褒めれば英語が好きになる」という神話は間違いだと思っています。
いくら褒められても、できないものはできないですし、嫌いなものは嫌いです。
それでも「やらなければいけないこと」に「英語」が入ってしまっていますので、生徒たちはどうしても向き合わなければなりません。
まずは「まぁ…やるだけはやるよ」と生徒を動かすためにも、こうしてほめ(ちぎ)ることは1つの有効策だと思っています。
信頼関係もUPするので、一石二鳥です。
口や手を動かさせる
英語の授業ですから、やっぱりたくさん話して書いてほしい。
「リピート・アフター・ミー!」でもいいのです笑。
例えば、
- イヤというほど発音と音読をさせてあげるようにする。
- 単語の練習から本文の音読、解答させるときも「1文丸々読んで答えて」と言う。
- 「写せばできる」ような問題を多く配置し、英単語をたくさん書かせるようにする。
最後の出口は英語で。
始めは、英語を「自分で」考えて話したり書いたりすることができなくてもいい。
まずは先生の真似をしてみたり、穴を埋めるために文字を写してみたりするところから始めてもいい。
たくさん話して、たくさん書く。
こうすることで「英語を勉強したなぁ」と思わせるのが狙いです。
- スポーツなら体を動かさせる。
- 芸術なら作品を作らせる。
「生徒を動かさせてこそ」ですよね。
もっとできるような子たちに対しては、さらに自由度を高めてあげてもいいと思います。
簡単なこと9割、難しいこと1割
そもそも英語が嫌いだという生徒にとって、「英語の授業は地獄だと感じるのだろうか?」と思うのも間違いだと思います。
なぜ英語が嫌いかというと、シンプルにわからないからなんですよね。
だからこそ「ちょっと頑張れば分かるような問題」を、多く取り揃えておくことをオススメいたします。
感覚的には「簡単:難しい=9:1」くらいです。
「バカにしてるのか?」と怒られそうですが、英語が苦手だという生徒にはこれくらいでやっと「取り掛かってやってもいいだろう」という気持ちが起きるのです。
できる子たちに対しても、あまり難しいほうの割合を高くしないほうがいいと思っています。
英語が得意な子たちを持っていた頃は、「先生の欲」も出てきてしまって難解な問題を取り揃えてしまったものでした。
まずは「基本〜中級レベル」の数をたくさんこなさせ、それ以上は独自で頑張ってもらうほうがよいのかなと思っています。
まとめ
すみません。
熱が入り過ぎて、授業の話が中心となってしまいました。
とはいえ、この「授業の考え方」は日常の他の場面でも役に立つと思っています。
- 相手にとって初めてのことをこちらから伝える時
- 仕事で新しいことを教える時
- ダンスを教える時
など。
- 何事も順序立てて、
- 楽しく思えるように、
- 相手が理解するペースに合わせてあげること。
- そしてたくさん褒めて、認めてあげること。
「教える」ことに限らず、「伝える」ことや「話す」ことにおいても、同じくらい大切なことだと思っています。
これらは相手への思いやりや配慮だと思うのですが、それは非常に面倒臭いことでしょう。
しかし長い目で見れば、そうした丁寧な「ハシゴ掛け」をしてあげるほうが、相手との信頼関係も築きやすく、結果的に英語が好きになったり理解が早くなったりするのではないのでしょうかね。
僕もいまだに授業から学ぶことはたくさんあります。
「先生も、生徒だ。」
日々学び続けることができるこの職は、自分の成長につながるので楽しいものです。
さて、まずは明日の新人の頑張りを見守ることとします。
それではまた!
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