チームを洗練した人たちだらけにすればいい?【いろんな人で集まる社会】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日から、『NO RULES 世界一「自由」な会社、NETFLIX』を読んでいます。

以前から読みたかった書籍だったので、こうして読めてとても嬉しい限りです。

まだ冒頭しか読めていませんが、最初の方から、

社員数を削減したら、イノベーションが起きた

という趣旨の内容が綴られていました。

僕は今までそんなことは考えたことがなかったのですが、

なるほど。そんな考え方もあるのか

と思って読んでみました。

僕が先生をやっていた頃も、なんとなく思い出しましたね。

今日はそんな「チーム」について書いていきます。

チームとしてやっていく際、どうしても足並みの揃わない人たちとはいる。そういう人たちをどこまで許容するかは、チームとして大事なことなのだ。

数パーセントの邪魔が士気を下げる

書かれていた内容は、数パーセントの人員を削減したら、イノベーションが生まれたという内容でした。

Netflix が人員削減 成長鈍化でコスト抑制 - 日本経済新聞
【シリコンバレー=佐藤浩実】米ネットフリックスが150人規模の人員削減に踏み切ることが17日わかった。世界の従業員の1〜2%にあたり、大半は米国での解雇となる。動画配信サービスの会員数が減少に転じるなど成長鈍化が目立ち始めるなかで、人件費を含めたコストの抑制を急ぐ。ネットフリックスが日本経済新聞に対し、人員削減の事実を...

僕が学校の先生をしていた頃は、

助け合うこともまた、チームの役割だ

と思っていましたし、今でもそれが「そこまで悪いことだ」とは思っていません。

自分が優秀だったというわけではありませんでしたが、確かに学校にも足を引っ張る人とは数名いたように思えます。

理由は様々でしたので割愛しますし、僕が偉そうに述べることでもありません。

ただ、本書を読んでいますと、

確かに人数がいればいいというよりも、足を引っ張らない人がいないほうが、いろいろと速く進むんだよなぁ

とは感じました。

今の日本の「国会」みたいですね笑。

どんなに人数が多かったとしても、「足を引っ張る人のマイナス分」を他の人が埋め合わせなければなりませんからね。

そうやっていますと、ものごとは進むものも進まなくなってきます。

人数が多い = 効率化される

というわけではなさそうです。

実際にそうやって、Netflixは成功を収めました。

もちろん、時の運もあるのかもしれませんから、「これが正義だ」とは言い切れませんし、リストラを礼賛しているわけではありません。

しかし、一つの例として、僕は賛同できる部分はありましたね。

実は職場では人がたくさんいればいいということではない。Netflixでは社員削減をしただけでも、会社がかなり成長したようだ。

それでも人格は攻撃しない

ただ、こういうことを言い始めますと、やはりどこかで「エリート主義」になってしまうのではないかと考えています。

できる人 = 正義」になってしまわないかということです。

できないやつはすっこんでろ!

と言って相手の意見を全く受け入れないようでは、話が違ってきます。

「仕事ができる/できない」と少し関連する話であれば、逆に「エリートだから」とか「何かができない/ズレている」ということを無理やり発展させて、人を叩くことは違うと思っています。

以前にも書きましたが、僕は別にエリートを始めとして、

  • 堀江さんも好きだし
  • 高市首相も好きだし
  • ひろゆきさんも好きだし
  • 日本を護るために活動しているインフルエンサーたちも好き

です笑。

それぞれに対して、みなさんのイデオロギー(≒ 思想や信条)に基づいて批判することもあるかもしれませんが、僕はその人が発言した内容や行動を見て指摘することが多いです。

いいことを言っていたらそれには「いいね!」をしますし、ズレてる発言の場合はスルーします。

要は、結局「自分の主観/意見」に合うかどうかというだけのことです。

職場にいますと、どうしても「仕事ができない人 = ダメな人」というレッテルを貼りたがる人がいます。

  • 「自分が上」だと思いたいのか
  • ただただ誰かを批判したいだけなのか

は判然としませんが、それはよろしくありません。

それこそ生産性がありませんし、指摘すべき点が間違っていますよね。

はい。

ご存知の通り、以前の僕です笑。

ひとたび、Netflixの例を見てしまいますと、

できない人をとにかく切れ

と勘違いしてしまう人がいるかと思いますが、僕はそうは思いません。

ただ、キレイごとも言っておられず、

じゃあ小規模の学校に先生が100人いればいいか?

となりますと、「それは違う」という指摘を受けることにもなります。

極端な例かもしれませんが、そういう話にするとわかりやすいです。

だから本書を読んで思ったのは、

仕方なく切らなければならない時もあるだろうし、それによって生まれるメリットもある

というだけのこと。

仕事ができないから悪い

とか、

エリートなのに話が通じないから、こいつは悪だ

とか、そういうことではありません。

しかし、それによって生産性を下げてしまう恐れもありますから、時に心を鬼にして「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」こともしなければならないのでしょうね。

チームにおいて、いわゆる “できない人” や “合わない人” を切ることは好手のようにも思える。しかしだからと言って、その人を攻撃していいことにはならない。

仲良しこよしではないけれど

チームでやっていた時には、いろんな人がいました。

  • 毎回遅刻してくる先生
  • 生徒と全然うまくいかない先生
  • 朝まで飲んで二日酔いで学校にくる先生

若い時には、こういう先生たちに対して批判をしていたものです。

いえ、僕だけでなく、

自分はちゃんとやっている!

という自覚(あるいは勘違い)のある先生たちは、他の先生を指摘していました。

僕が若かった頃は、

確かに、チームとして批判的になるのは大事なことだ

と思っていました。

でも、だからと言ってその人を貶(おとし)めていいわけでもありませんでしたし、批判している時間がもったいなかったのも事実です。

何より、

自分のことは棚に上げておいて、よく言うわ笑

と今の僕は、昔の僕のことを思い出してこう言いますね笑。

確かに、Netflixのように学校の人員も削減したら、学校も効率化してエリート集団になるのかもしれません。

しかし、学校とはあくまで公的な機関であって、会社のように「利益を上げる場所」ではありません。

かと言って誰にでも甘くしてもいいわけではありませんが、もう “決まったチーム” としてやっていかなければなりませんからね。

仕事ができない人には仕事を頑張ってもらうしかありません。

足を引っ張る人に関しては、管理職から注意を受けるくらいしか対処法がないでしょう。

  1. 失敗を認めたり受け入れたりはするが
  2. だからと言って甘くしていいわけでもない

難しい按配ではありますが、これが理想です。

Netflixはそんな「理想」が貫けるほど余裕があったわけでもありませんし、切迫していたからこそイノベーションが起きたのかなと。

公務員には、こうした切迫感がありませんからね。

それがネックでもありますが、バックグラウンドの違う他人を「認めるいい機会」にもなるのかなと。

チームとは難しく、まとまって進むことは容易ではありません。

今の僕は一人でやりたいようにやっていますが笑、教員生活はいい経験だったなと思っています。

チームでやっていく際には、なんでもかんでも認められるわけではない。公務と会社でも内容は違ってくる。それでもできない部分は本人が研鑽し、場合によっては厳しい措置を取らなければならないこともある。

おわりに

チームを「前に進める」には、時として厳しい判断をしなければならないのだなとも感じました。

しかしいつでも、バランス感覚とは大事なものでして。

「人員を削減しまくればいい」というわけでもないですし、かといって甘々にしていてもいけません。

  • 仕事ができない人
  • エリートなのに言ってることが間違っている

のであればそれらは批判されるべきですが、だからと言ってその人を攻撃していい理由にはなりません。

組織とはこうした「厄介さ」がある反面、チームだからこそできる大きなこともありますからね。

学校に戻りたいような、そうでもないような笑。

それではまた!

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