こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日まで兄家族の家にいましたが、いざ家を出ようとしますと、グッと込み上げてくるものがありました。
今まで会ってきた方々と別れる時も、なぜか涙が溢れそうになったものでした。
日本を出る時も、多くの人に送り出されて旅立つことができました。
僕もそう思っていましたが、期間に関係なく、人との出会いと別れは感情を昂らせるものだということは、以前から感じていたことでした。
今日は幾度となく書いてきた「出会い」について書いていきます。
日本からの旅立ち
日本から旅立って、いざもうすぐ日本に帰ることが現実化してきますと、
と感じます。
友人たちに涙されながら別れたものですが、
と、今なら思えます。
それくらい、短く感じる旅だったからです。
しかし、こうして旅の中で「出会いと別れ」を繰り返していますと、その一瞬だけでも感動するということが、よりわかるようになりました。
先生をやっていた頃、卒業や引退で大泣きしてしまっていたように、仮に「その後いつでも会える」としても、やはり涙が溢れてきてしまうのです。
この、
- いつでも会える
- 近いうちに会える
とは、真実のようで実は違います。
人にはそれぞれステージがあり、いつでも会えるわけではなくなるからです。
それは物理的にもそうですが、精神的にも「会わなくなる」ということがあり得るのです。
誰もがいつまでも「同じような気持ち」で会えるわけではなく、それぞれが進んでいく道の中で、環境や心境の変化が必ずあるからです。
だからこそ、いざ、
と感じたとしても、あの「別れ」の時に込み上げてきた感情は、「僕の素直な感情だ」と思えたのです。
そこに感情を乗せられたということは、
- 送り出された僕も
- 送り出してくれた友人たちも
「いつでも会えるわけではない」ということを、心から感じていたのだと思います。
と、「いつでも会えるよね」という部分にフォーカスするのではなく、また会えるのがいつかはわからないから、今一緒にいる時間を大切にすること。
今思えば、日本から出る時、僕はそんな「大切な思い」を受け取っていましたし、自分自身もどうなるかわからない未来について、涙することができました。
「また会える」とポジティブに思うことも大切なことです。
それと同時に、一瞬一瞬の別れを思うこともまた、大切なことなのですね。
アメリカの生活を終えて
1ヶ月以上いた、マサチューセッツ州のウスター。
少し田舎で、平日は近くの公園まで散歩したり、時にランニングしたりと、エンタメのない中でいろんなことを考えた時間となりました。
旅としては少し趣旨が違うのかもしれませんが、僕の人生の1ページとしては「最高の時間」でした。
日本にいた時に問い続けていた、
という疑問。
アメリカで兄の家族と関わりながら、さらに彼らと関わりのある家族友人たちと会っていた、あの時間。
「特別豪華な何か」はなく、日々の美味しい夕食と、週末にみんなで行くご飯。
日本にいた時の「一人暮らし」ではできなかった、そんな「家族の温かさ」を久しぶりに味わうことができました。
僕が教育現場や人との関わりを大切にしているのは、やはり何度考えても「人との出会い」を大切にしているからなのだと、改めて感じています。
これを「社会資本」と言いますが、
- 日本にいようと
- アメリカにいようと
僕は社会資本を、誰よりも大切にしていることを実感しました。
一人は一人で好きな時間ですが、人との時間は気を使ったりコミュニケーションをとったりする分、良くも悪くも「濃い時間」となります。
アメリカでの生活は、今までの旅の出会いとはまた違った「人と関わる時間」にフォーカスが当たっていたため、新しい景色をみることとはまた異なる、新鮮な「人との時間」となりました。
最後、姪っ子とハグした時は泣きそうになりましたね笑。
また一人で旅を再開した瞬間、電車で涙が出てきました。
この幸せを噛み締めて、また日本に持ち帰るのです。
人との出会いもまた、少しずつではありましたが旅の中での目的となっていました。
ただただ物理的に新しいものを見ていくことも、旅。
人と一緒に話し、いろんなことを語り合っていく時間もまた、旅。
と努力しながらも、人との「いつもの時間」を大切にすることが、僕にとって必要なことだったのです。
人との出会いを繰り返していこう
僕は「社会資本」を何よりも大切にしています。
その時間がたとえ一瞬だったとしても、別れる時に涙が出るのは、やはり「いつでも会えること」が当たり前ではないからです。
難しいことは、
ということが、必ずしも正解ではないということです。
僕も今まで本当に多くの人と出会ってきましたが、
- 意見が合わなかったり
- ライフステージが変わったり
- それぞれの考え方が変わったり
して、連絡が途絶えている知り合いもたくさんいました。
一方で、そうした「フック」があったおかげで、
- 再会したり
- 数年ぶりに会ったり
することもできました。
人との出会いは一期一会であり、誰だって一生を一緒にいられるわけではありませんからね。
それらは「流動的」なものだからこそ、その出会いを大切にしていくこと。
一つ一つの出会いと別れを大切にし、そこに感情があって涙が溢れるのであれば、それは十分幸せな時間だったということ。
そう思って、人との時間を大切にしていきましょう。
一つ一つの出会いを大切にできる人は、出会いを繰り返しても、きっとその時間を、
と感じられている人です。
日本でも世界でも、「人」こそが僕の求めているものでした。
どんなに平穏な日々であっても、旅の中だからこそ感じられた、最高の時間。
日本に帰ったとしても、その気持ちを忘れずに「人との出会い」を大切にしていこうと思います。
おわりに
毎回出てくる、別れの涙。
単純に「よくしてもらったから」という理由だけではありません。
それは何より、たくさん話して笑って、幸せな時間を過ごすことができたからでした。
その涙があるからこそ、また次へと進むことができます。
世界を旅しているから、そう感じているわけではありません。
人生を漕ぎ進んでいくための、基本的な原動力。
それが人との出会いなのだと、僕は信じています。
それではまた!
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