生きるエネルギーを得るためにしていること【与えよさらば…】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

毎日を全力で生きるとは大変なことですよね。

僕も、

この命、燃え尽きるまで!

と意気込んで毎日生きていますが、その活力とは自分1人では生み出すことができません。

先日読了した「幸せになる勇気」では、

与えよ、さらば与えられん

という「無条件の愛」について書かれていました。

よく聞かれるのですが、

せいじっていつ寝てるの?

とか、

実は5人いるんじゃないの?

と言われます笑。

僕が一所懸命毎日生きることができている理由。

それは簡単です。

周りの人からエネルギーをもらうこと」です。

今日は人から活力をもらうことについて書いていきます。

人にエネルギーを与えていると、いつの間にか自分がたくさんもらっていることに気づく。

エネルギーは人からもらう

毎日鬼のようなスケジュールで生きている(つもり)の僕ですが、果たしてこのエネルギーはどこから来るのでしょうか。

結論から言いますと、それは「人からもらっている」ものだと思っています。

僕は1人でいることが大好きで、コロナ禍の間はずっと日本の各地を1人で見て回っていました。

それくらい有り余るパワーがあったのですが、どうも虚無感と言いますか、頭打ちになってしまうような、そんな気がしました。

うーん。これはこれで幸せなんだけど、なにかが足りないんだよな…

迷走しながらも、次第にコロナが収束に向かい始め、規制緩和が始まりますと、大学時代の「人と会いまくっていた」あの感覚が甦り、再び多くの人と出会うようになりました。

すると不思議なことに、自分1人では回しきれなかったエネルギーが生み出され始め、以前とはまた違った活気が、体内に満ち溢れてきたのでした。

な、なんだこのみなぎる力は?!

自分でも不思議に思うほど、

  • 人と会い、
  • 語り合い、
  • 涙を流した。

その時間が僕の1日を活気づけ、また新たに頑張ろうと思わせてくれたのでした。

なるほど。僕は人からエネルギーをもらっていたのか!

納得はしたものの、1つの疑問が生まれました。

あれ?どうしてこうなったのだろうか?

と。

自分が生きるエネルギーは、自分一人で生み出すことは難しい。誰かからもらうと、人生は豊かになる。

与えるほどもらえる不思議

ではそのエネルギーをもらうためにどうすればよいのか。

深く考えたわけでもありませんが、その根本には「人を好きでいる」必要があると思っています。

以前は1人こそ至高、自分の幸せこそ最優先

という「なかなかのマインド」を持っていた僕ですが笑、人と話して会うことを繰り返していく中で、自分の心の中に何か温かいものが流れ込んで来るような、そんな感触がありました。

積極的に人に会いに行って僕がしていたことと言えば、その人たちから「もらっていること」ばかりでした。

しかし振り返って考えてみますと、自分が積極的に行動していたからこそ、結果的に受け取っているのだということに気づきました。

「与えよ、さらば与えられん」

そうなのです。

人に与えている時ほど、自分が受け取っているものが多いということに気づいたのでした。

実はこの感覚は、以前の僕にはありませんでした。

与えるほど減ると思っていたからです。

  • お金
  • 時間

は有限であることは間違いなく、使えば減っていくことは至極当然のことですよね。

それでも与え始めてからというもの、心はどんどん豊かになっていきました。

これは何も、

  • 身を削ったもの勝ち
  • 自己犠牲を貫けば良い

ということを礼賛しているわけではありません。

僕は「自己犠牲なんてクソくらえ」だと思っていますし笑、それでは持続可能な毎日を送ることはできません。

大切なのは、その根底に「人を好きでいること」があるべきですし、自分の裁量の中で時間を割く必要があります。

ちょっと無理をすることがあっても、僕は人と会うことを大切にするようになりました。

人生は一度しかなく、会える人も限られているからです。

怠惰な生活時代を振り返ってみますと、今はより精神的に豊かになり、多くの人と笑顔で毎日を過ごすことができています。

人に与え始めてから、多くを受け取るようになった。与えれば、それ以上に返ってくるものがあるのだ。

1人ではできないこと:笑顔と涙

僕の人生に笑顔や涙が増えたのもまた、周りの友人や家族のおかげでした。

僕自身が笑顔になることができれば、より周りの人にエネルギーを与えることができます。

出発はいつも自分である必要があるため、そこにはちょっとしたエネルギーが必要となってきますけどね。

ではそのきっかけとは何か。

僕が発信をしたり、GIVEをするようになったのは、お返しをもらいたかったからです。

おいおい。いよいよせいじも、見返りを求めたGIVEを始めたのか?

白状すると、そういうことになりますね笑。

しかしそこには、相手に与えるという最初の大きな一歩が必要なのです。

だからここでいう「見返り」とは、実は「結果的に」生まれたものでした。

始めの頃は、「人に与えたい」という純粋な気持ちからのスタートでしたからね。

今でもその気持ちにほとんど変わりはありませんが、

  • 会う人の笑顔を見たい。
  • 幸せになっている姿を見たい。

そんな気持ちもまた、だんだんと強くなっていきました。

そうして「見た景色」は僕の心を豊かにし、またもっと与えたいと強く思わせるようになったのです。

なんという正のスパイラルでしょうか笑。

最初の一歩を踏み出したおかげで、どんどん人を愛せるようになり、また人から愛されるようになったのです。

こんなに良い「投資」はありませんよね。

しかも「思い出の配当」を、何年もかけて受け取ることができます。

ただしそれでも、人はいずれ変わっていくものです。

その事実を認識しておくことも大切ですね。

僕自身も、何年もかけて人との関わり方や関わる人を変えていきました。

ただ、忘れてはならない「与えること」は、この先もずっと変わっていかないのだと信じています。

だってもう、その魅力にとりつかれてしまったのですからね。

そのおかげで僕は、一人では得ることのできなかった笑顔や涙を、手に入れることができたのです。

笑顔や涙は、一人では決して造ることはできない。最初の一歩を踏み出し、人に与えてみよう。驚くほどもらうことができるはずだ。

おわりに

「最初に人に与えること」は、とても難しいことです。

それでもひとたび与えてしまえば、与えることでいかに自分が受け取ることができるのかがわかってきます。

そこまでやって始めて、与えることの喜びがわかるのかもしれませんね。

僕もまだまだこれからです。

この受け取る喜びを得るために、また与えていこうと思います笑。

それではまた!

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